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恋と英雄

昼間の灼熱がまだそこにあるような生ぬるい風が安宿の部屋に流れ込む。窓際のテーブルセットから立ち登る紫煙。タバコを咥えて座っているのは紫髪のアウラ・レンの女だ。下着姿の彼女…イズミは吹き込むゆるやかな風に吹かれながら、アウラ族特有の側頭部のツノに、丹念にクリームを塗り込んでいる。ツノの手入れだ。

手入れをしながら、イズミは室内に目をやる。立て掛けられた愛刀。乱暴に脱ぎ散らかされた2人分の衣類。ベッドでこちらに背を向けて高いびきで眠る大柄なアウラ族の男。イズミは視線を窓の外の星空に向け、ため息とともに大きく煙を吐いた。


また、やってしまった。


かつて故郷で受けた呪いと狂気はしばしばイズミの心を追い詰める。削れていく正気を酒の力で誤魔化そうと、宿場町の酒場で飲み始めたところまでは覚えているが、どういう経緯でこの男とそうなったのかはひとつも思い出せない。名前すら。

だがおそらくたいした理由では無いだろう。飢えた男と自棄な女が出会っただけだ。逞しい筋肉には少し心が揺れたが、やたらとツノをぶつけてくる鬱陶しい男だった。

明日は…というかもう今日だが、どこから調達に行くんだったか。ぼやけた頭ではいまひとつ思い出せない。目録を渡してきた屈託のない笑顔の雇い主、ソフィアの顔が浮かぶ。いま彼女は眠っているだろうか。それともどこかで夜を徹して戦っているのだろうか。

夜風がまた吹き込み、テーブルに置かれていた雑誌をぱらぱらとめくる。開かれたページにはイシュガルドの若き占星術師の記事。占星術がわたしの恋人だとか、そんな煽り文句が踊っている。



英雄ソフィアは恋をしてるだろうか。
ふとそんな疑問が頭をよぎった。



彼女も齢19の娘だ。想い人がいてもおかしくはない。恋愛相談するならFCマスターのトリニテだろうか、それとも親友のリリアだろうか。どちらもきっと親身になってくれるだろう。

しかし、未踏の地があればまっすぐに飛び出していく生粋の冒険者でもある。私の田舎すらいつか遊びに行きたいと言ってのけた。恋など眼中にないのではないか。そして、もし冒険を超える恋に落ちたならば、全てを捨ててその相手と暮らすのではないか。それぐらい、あの娘は全力で生きている。

あるいは、もはや立場が自由恋愛など許さないのかもしれない。理想の殿方が実は血縁欲しさに接近した悪党であるとか、そんな悪巧みはすぐ思いつく。下世話な罠に陥れられる彼女ではないだろうが、そんな心配事を抱えて生きているのかもしれない。

あるいは私達の知らないところで、もう大切な誰かと絆を育んでいるのかもしれない。たとえば「暁」のルヴェユール家のお坊ちゃんとか。案外お似合いだ。



…そこまで夢想したところで、タバコの灰が落ちかけていることに気づき、あわてて灰皿に灰を落とした。整えたタバコを再び咥える。

煙を肺に送り込みながら、イズミはかぶりを振る。なにを勝手な事を。いつの間にかソフィアの事を「どこかの英雄」として扱っていた。彼女自身を同じ人間であると考えない、本人を無視した一方的な妄想だった。

「…これで、仲間にして欲しいだなんてね」

イズミはタバコを灰皿に押し付け火を消す。ケア用品をしまい、大きく伸びをした後、散らかされた自分の服を拾い身につけていった。男を起こさぬよう静かに身支度を整えたが、普段通りの音を立ててもこの男は起きなかっただろう。

アウラ族の男は笑みを浮かべて深い眠りについている。その顔を見てイズミは自嘲する。二度と会うことのないこの男の記憶に、私は淫らなゆきずりの女として記憶されるのだろう。私がソフィアについて妄想したことも、それと同じだ。イズミは宿賃を半分置いて、宿を発った。

もうすぐ日の出だというのに、街角ではへべれけになった酔客達が管を巻いていた。呂律の回らないロスガル族とララフェル族の言い合いを尻目に、イズミは通りを抜けていく。今日は革から仕入れなければ。朝食はどこで摂ろうか。そんな事を考える。日常が戻ってくる。

開店準備をしている書店が目に留まった。店主は山のような本を売れ筋に合わせて店頭に並べている。その中の一冊にイズミは見覚えがあった。

いつだったか、納品物を持ってソフィアのFCハウスを訪れた際、彼女は庭のデッキで読書をしていた。ウルダハで流行りの恋愛小説だった。主人公の2人がくっつきそうでくっつかなくて、でもすごく心暖まる話なのだと、朗らかに語っていたのを思い出す。眩しい笑顔だった。

その続編がこんなところに平積みされていた。私は本を手に取り、店主に声をかけた。

◆◆◆

「ただいま戻りました」

「イズミさん!おかえりなさい!」

「こちらが本日の納品物と目録」

「ありがとうございます!いつも助かってます!」

「…それはどうも」

にこにこと屈託のない笑顔だった。あぁ、私はこの子が好きなんだなぁと、率直に思った。

「そうだソフィアさん、これ差し上げますよ」

「なんですか…?あっ!これは」

「そう、2巻」

「あ…ありがとうございます!どこも売り切れで…!」

でもいいんですか?と彼女は本と私を交互に見る。

「いいんですよ。日頃のお礼です」

「では…ありがたく…!」

そしてお礼は必ず…と言いつつ、彼女は私の目の前で小説を読み始めた。そうなると思った。思い込んだら一直線。そういう子だ。

「…その2人、くっつくんですけど、結局気まずくなって別れちゃうんですよ」

「わーわー!なんでネタバラシするんですか!」

「それで男の方は失意のどん底のまま生き続けて…干からびて…死ぬ…」

「あっ!それはウソですね?!もう、意地悪しないでください!」

「さぁどうでしょうね?結末はご自分で…」

「あたりまえですよ!」

ソフィアは膨れた顔を作った後、再び本の世界に戻った。

彼女がいま恋をしてるのかどうか、私にはわからない。でも、恋模様に一喜一憂する年相応の無邪気な心は間違いなく持っている。たとえこの先、終末を救う前人未到の英雄になったとしても、この心を失わずにいてほしい。私は、そう願わずにはいられなかった。

「…座ったらどうです?」

私は椅子を運び、彼女を座らせる。彼女は序盤の山場の展開に、早くも涙を流していた。

【了】

大英雄になってしまった自機に果たして恋する自由は残されているのか、そんな事を考えてもすぐに答えは出なかったので、それをそのままリテイナーのイズミさんが語る話にしました。そしてアウラがツノを合わせる事は愛情の証。みんな知ってるね。

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