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CURSED LEAF AND DAUNTLESS BLADE 2

【承前】

「ナルザル」「ご当地」「紅蓮の解放者」「陛下御用達」「買うしかない」イズミは派手な看板を飛び渡り、夜の砂都ウルダハを駆け抜けていく。目指すは古美術商会《ヘールゲーツ》社屋。その最奥にある禁書だ。目の前のひときわ大きな看板。鉤縄を用いて乗り越えにかかる。看板に描かれた屈強な女戦士には、アラミゴ解放戦争を勝利に導いた英雄の名が添えられている。

英雄は丸太のような腕で剣を掲げている。ギガース族の如くありとあらゆるパーツが太く巨大だ。——こんなゴツい女なのか。イズミは会ったこともない英雄のイメージを更新し、肖像を足蹴にしながら縄をたぐる。視界に飛び込んできた彫りの深い英雄の顔には青い目が三つ。——三つ?イズミは咥えていた煙草を即座に持ち、英雄の第三の目にそれを押し付けた。

ギャッと悲鳴が上がり、どす黒いエーテルが霧散する。黒く濁った吸い殻は灰となって消えた。そのまま看板を登り切り、屋根の上に着地し、辺りを見渡す。三軒隣の月明かりに照らされた屋根に人影。イズミは足を止めず更に駆ける。何かを潰した感触。頭の中に嘲る声が響く。

「……引っ込んでろ!」

叫びと共にイズミの瞳が妖しく光る。笑い声は遠ざかり、後に残るは砂都の夜を包む冷えた空気。魔除けの香が効かなくなってきている。それだけ近付きつつあるのだ。禁書に封じられた、悍ましき妖異に。イズミは本能的に湧き上がる怖気を抑え、ひたすらに走る。屋根を飛び渡る影が路地裏の雑踏を横切っていく。やがてひときわ豪奢な屋根飾りを持つ建物の上に出た。腹の内側を撫でられるような嫌な感覚が足元から湧き立ってくる。ここだ。

「……やってやる」

イズミは獲物を討ち倒す昏い歓びを想像し、ニヤリと笑った。頬を張り、震えを止めた。仇はここにいる。

イズミは天窓に手を掛けた。

◆◆◆

「だぁぁぁーッ!」「ぎゃああーッ!」

突如店内に響いた叫びに、フロアに居た男達は一斉に上を見上げる。三階まで吹き抜けになっているその空間を、組員の男が砕けた手すりと共に落ちてくるのが見えた。男は板張りの床に鈍い音を立てて墜落したが、フロアの男達は誰一人彼を介抱することなく階段を駆け上がっていく。

「でぇぇぇやぁーッ!」「ぐぎゃあーッ!」

再びの叫びと共に二人目の男が降ってきた。哀れな男はフロアに飾られた南洋由来の壺を粉砕しながら果てた。二階に到達した先頭の男が手で合図する。——魔法が使えるやつはここから撃て。後ろにいた何人かの男が頷き、上を見上げる。対面の三階吹き抜け廊下は手すりが破壊され、人影が動くのが見えた。

「囲め囲め!」「このクソアマ!」

怒号と物が割れる音がいくつも響く。先頭を行く男達は三階に到達した。階段前から三部屋先、乱闘が起こってる部屋からまたひとり男が弾き飛ばされ、それを踏み越えながら小柄な女が飛び出してきた。女は倒れた男に容赦なく直刀を突き立てている。

「撃て!撃て!」

階下から放たれた何発もの火炎魔法ファイアが渡り廊下に直撃し、爆ぜた。刺されていた男は爆炎に呑まれて命を散らし、女は尾を翻して部屋の中に逃れた。廊下に敷かれた高級な絨毯が見る影もなく焼けていく。呪術士達が再び魔法を放つべくエーテルを練り始め、先頭の男達が歩みを進める。だが彼らが考えるより早く女は姿を現した。その手には、投げ槍めいて長く尖った燭台。

「だぁぁぁぁッ!」

女は階下の呪術士達に向かって燭台を投擲。呪術士達は鋭い先端に不意を突かれ詠唱を中断し、慌ててその場から飛び離れた。だん、と音を立てて燭台は床に突き立つ。呪術士達はその先端から大量の煙が飛び出すのを見た。あっ、と思った瞬間にはもう彼らは白い煙の中に囚われてしまった。

呪術士達の耳に階上の怒号が聞こえる。がしゃり、がしゃり。遠くで不快な音。シャンデリアの装飾がぶつかり砕けている。どすん、と床が揺れ、間髪入れずに鈍い音がした。呪術士達は徐々に状況がわかってきた。あの女がすぐそばに、いる。そう確信した瞬間、視界に拳が飛んできた。それで終わりだった。

◆◆◆

イズミは煙幕を通り抜けて階段を駆け降りる。下から登ってくるルガディンの男に蹴りを喰らわせ、そのまま手すりに飛び乗る。足元には呆気に取られているミッドランダーの男。イズミは躊躇なく飛び降り、その男に組みついた。床の上を転がりながら直刀を刺し、始末する。起き上がって壁際まで走り、壁に背をつけてフロアを見渡した。

閉ざされた正面玄関を背に、フロアには数名の武装した男たち。奥には商談用の長いカウンター。右手には上階への階段。左手には地下へ降りる階段があった。ほとんどの人数が上に上がった今が好機。ぐずぐずしていれば階上の軍勢が戻ってきてしまうだろう。下だ。気配を感じる、下に降りなければ。

イズミは深く息を吸って駆け出した。行く手を塞ぐ者たちを斬り裂き、蹴り倒し、殴り飛ばしながら前へ進み、地下への階段に辿り着いた。急いで扉を閉めた後、連戦で曲がった直刀をかんぬきにして鍵をかけ、追手を振り切った。扉を叩く音と罵詈雑言が暗い階段に響いた。

イズミは扉から離れ、階段を数段降りたところでぐらりと傾き、壁に手をついた。荒い呼吸音が暗闇に響く。脳内麻薬が薄れ、震え出す足を殴りつける。

「畜生……数が多すぎる……」

本拠地に乗り込む以上、イズミも多勢を相手にする事は覚悟していたが、ここまで多いとは思っていなかった。イズミは呼吸を整えながら思案する。察するに、自分の他にもこの組織を追っている者がいて、そいつへの備えだったのではないだろうか。それならば最悪のタイミングで侵入したことになる。

壁に触れている指先の感触が変わる。ねばねばとした粘液質が拡がり、イズミの指を飲み込む。イズミは舌打ちと共に手を離し、壁の黒い粘液質を叩き潰した。

イズミは自嘲気味に笑い、暗い階段を一歩一歩降り始めた。階段下からの光が地下フロアへの道を教えてくれる。最悪だろうとなんだろうと、彼女はやるしかなかったのだ。追い立てられて暗渠を往くが如し。底まで堕ちて野垂れ死ぬまで、成すべき事を成さねばならぬ。イズミは階段を降りきり、扉を蹴破った。

えた臭い。長テーブルと椅子がいくつも置かれた広い部屋を、点在するランタンが照らしている。壁に映る複雑な形の影は、並べられた調度品だけのせいではない。闇の中で蠢く小さな影がいくつも見えた。

イズミは懐から銀色のブラスナックルナックルダスターを取り出し、指にはめて構えた。小さな影は一見すると幼児にも思えたが、あれはララフェル族だ。下卑た顔付きは先程相手にしたゴロツキと大差無いが。

「よく来たねェーお嬢ちゃん」

一人がぐつぐつと笑いながらイズミに呼びかける。僅かに残った歯が点在する廃墟のような口腔が見えた。麻薬の影響が見て取れる。市井のララフェル族と比べる事すらおこまがしいほど、愛らしさのかけらも無い容貌だ。

「いっぱい可愛がってあげよう……ねェー!」

言い終わらぬうちにララフェルの男はテーブルの天板を踏み砕き、跳んだ。イズミとの間に有った5フルムの間合いを一気に詰め、鋭く尖った鉤爪を繰り出した。ララフェル族の持つ恐るべき瞬発力だ。

「寄るなッ!」

だがイズミは半身になってそれを回避し、カウンターの右フックを打ち下ろした。重い手応え。ララフェルは床に打ち落とされ、大きくバウンドして天井近くまで跳ねる。だが男はそのまま落下せず、あろうことか天井に張り付いていた。

「なッ…?!」

イズミは驚愕に目を見開いた。そして気付いた。ララフェルの男が天井に設置された取っ手を掴んでいる事に。

「痛いねェー。だいぶ痛かったよォー」

天井に張り付いた男は血を吐きながらげっげっと笑った。イズミは改めて部屋を見回す。天井と壁に、やけに取っ手や突起がある。地の利。立体機動。

「安心してねェー。殺したりしないからァー」

部屋の奥の別の男が錆びついたショーテルを引きずりながら歩み寄る。長い舌から涎がぼたぼたと溢れている。

「久しぶりのオモチャだものォー」

また一人の男が棍棒を構えながら這い出してくる。文字通り、害虫のごとく床を這いながら、首だけは器用に標的に向けていた。危険な三人組の笑い声が部屋に重なっていく。イズミは舌打ちと共に足を踏み鳴らし、構えた。

「変態ばっかり集まりやがって…!」

小鬼達は一斉に跳ね、イズミに殺到した。

◆◆◆

「はい、地下に追いやりました。はい。あとは先生方に任せておけば」

強面のハイランダーは虚空に向かって頭を下げて報告する。リンクパール通信であった。

「それにしても……あいつが俺達を嗅ぎ回ってたやつなんです?……いや、話よりずっと小柄な女でしたよ。しかも、ありゃあアウラでしたぜ?」

男はフロアを見渡す。斬り殺された組員が続々と隣室へ運ばれているのが見えた。

「……だから言ってるでしょう。あの女だけじゃないんですよ。そろそろヤベェんですって」

「そのようですね」

「そうなんですよ……おい、誰だ?」

ハイランダーの男は通信を切り、玄関を睨んだ。カウル姿の人影がふたり、開け放たれた扉の前に立っていた。足元には門番役が伸びている。カウルの人物は懐から掌ほどの紋章を取り出し、掲げた。描かれたるは宝石と炎の天秤。

「不滅隊です」

女の、それも年若い娘の声だった。

「……不滅隊の将校様が、どういった御用向きで?」

「児童誘拐の嫌疑、と言えばおわかりでしょう?」

「何のことやら」

男は手で合図を送る。フロアに居た組員が向き直り、不滅隊を名乗る二人を緩やかに取り囲んでいった。

「砂都で消える人間なんざ珍しくもないでしょう」

「えぇ、ですからこうして、わたし達が」

「……見ての通り取り込み中でさぁ」

「ならば好きに探させて頂きます」

娘は紋章を納め、一歩踏み出した。瞬間、相対していた男は腰に吊った銃を抜き放ち、娘目掛けて引き金を引いた。鉛の弾丸が娘の額を撃ち抜き、速やかな死が——もたらされる事はなかった。弾丸は娘の眼前で止まっている。青く光るエーテルが弾丸を掴み取っていたのだ。男の驚愕の表情はすぐに苦痛に歪み、銃を取り落とした。その腕には、短刀が深々と突き刺さっていた。娘の隣に立つ男が投げつけたものであった。

「がっ……お、おい!てめぇら!やれ!」

男の号令で我に帰った組員達は、各々獲物を構えて怒号を上げた。投げナイフの男はフードを脱ぎ、ミコッテ族特有の高い位置にある耳を掻きながらぼやく。

「あるじ殿よぉ、名乗る意味あった?」

あるじ殿と呼ばれた娘もフードを取り払い、その顔を露わにした。栗色の編み込み髪に、青い瞳。側頭部に耳。ヒューラン族である。

「最低限の礼儀、というものです」

「真面目だねぇ」

編み込み髪の女と赤い髪の男は剣を抜き、構えた。

「上です。出来る限り、殺しは控えて」

「善処するよ」

二人は階段を見据え、駆け出した。

◆◆◆

「ケヒャアーッ!」「がッ…!」

イズミの腹に小鬼の棍棒がめり込む。イズミは痛みに抗い拳を振るうが、相手は身を翻して闇に紛れた。壁を蹴る音が広間に響く。見失った標的を探す間もなく、背後から別の小鬼が襲いかかってきた。錆びついたショーテルの一撃が頭を掠める。熱。ぬるりとした感覚。傷が増えていく。血が流れていく。

イズミは椅子を薙ぎ倒しながら転がり、拳を構えた。ランタンの生み出す陰の中から迫る気配。ひとつ、ふたつ、みっつ。イズミの想定していた迎撃角度が狂う。そして彼女が感じた気配通り、三人の蹴りが同時に叩き込まれた。イズミは思い切り吹き飛ばされ、床を転がり、石造りの壁に当たって止まった。ブラスナックルが力無く床に転がり、がしゃりと音を立てた。

「やっとおとなしくなったねェー」

「元気すぎるよォー」

「おじさん腕折れちゃったァー」

闇の中からの下卑た笑い声が、イズミの角を震わせる。耳を持つ種族はこういう時塞いで抗うのだろうか。イズミはそんなことを考えながら、痛みに抗い続けた。身体はまだ動かない。

「それじゃあ、おじさん達と楽しく遊ぼうねェー」

じゃきりじゃきり、と耳障りな音が響く。

「楽しい夜の始まりだよォー」

ごつごつごつ、と何かを叩く音がする。

「悪夢の夜かも知れないけどねェー!」

げひゃひゃひゃ、と下劣な笑い声が聞こえた。イズミは朦朧とする意識の中で、その言葉を反芻した。悪夢。悪夢。——これが、悪夢だって?

イズミの血に濡れた口角が歪む。流れる血を指に纏わせ、床に意味不明な模様を描き出した。

「笑わせるな……笑わせるなッ!」

イズミの瞳が妖しく輝く。床に置いた指が黒い粘液に飲まれかける。イズミは手を引き抜かず、更に瞳を輝かせた。

「垣間見させてやるよ……私の……悪夢を!」

小鬼達の足を、闇色の腕が掴んだ。

【続く】


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