見出し画像

『猛龍生誕80周年 ブルース・リー4Kリマスター復活祭2020』で再発見したこと

久しぶりに銀幕で龍哥を観た。またいろいろ思うところや再発見があった。

7月24日の元町映画館でのトークや、2013年のシネマート心斎橋でのトークを聴いてくださった方は覚えておられるかと思う。なぜ私が「ブルース・リー」ではなく「龍哥」と呼ぶのかを。

香港人はブルース・リー李小龍を「闘神」とは呼びこそすれ、その存在を「神」や「雲の上の人」と捉えてはいない。彼の才能や努力を称賛しリスペクトしているけれど、自分達香港人の代表でありつつも自分達と同じ地に足を付けた人間として身近にフラットに扱う。香港人メンタリティな私はブルース・リーではなく常に愛とリスペクトを込めて「龍哥」と呼ぶ。

因みに「龍哥」とは「龍アニキ」といった感じの親しみとリスペクトの込もった呼び方で「ろんご」と発音する。『猛龍過江』広東語版なら、マフィアを蹴散らした龍哥をレストラン従業員たちが「龍哥」ともてはやし、それまでアニキ格だったのに一気に「お山の大将ステイタス」を持って行かれてしまったジミー(小麒麟)が「ふん!みんなして龍哥、龍哥とかもてはやしやがって!」と激おこプンプンなあたりで何度も聞けるので、DVDやBDをお持ちの方は是非聞いてみてほしい。

さてその龍哥の4作品をまた銀幕で観た。
これまで何度も何度も観ている。なのに観るたびに常に発見がある。
「噛めば噛むほど味が出るスルメのような」ってそういえば最近聞かないな。ここで龍哥作品の例えに使うのはやめておこう。

今回感じたこと。それは
「これは32歳の顔じゃない」
ということ。

子供の頃、あるいは若かりし頃、32歳に満たない頃に観た龍哥は断然オトナに見えた。そりゃそうだ、自分が子供だったんだから。
そして十分すぎるほどオトナになった今、龍哥の顔を見て感じた。
「これは32歳の顔じゃない」

老けているのではない。「老成」しているのだ。『Green Hornet』『Here Comes The Brides』 『Marlow』の頃の顔は溌溂とした青年の顔なのに、香港に凱旋してからの顔とオーラが明らかに老成している。

小学生の頃、担任の先生が言った言葉をまだ覚えている。「人間は誰もが同じだけのエネルギーをもらって生まれてくる。その与えられた一生分のエネルギーを早く使い切るか長くじっくり使うかで人生の長さが決まる。」と先生が言った瞬間、私の脳裏には当然龍哥の顔が浮かんだ。

つまり龍哥は香港に凱旋した時点でラストスパートをかけたのだろう。本人がそれを意識していたかどうかはわからないけれど。龍哥は一般人の70年80年分のエネルギーを地球上での32年という時間に凝縮して詰め込んで生き、そして龍として天に戻っていったのであって、龍哥の死因は「運命」だったのだと私は今回納得した。龍哥の物理的な死因にこだわる人からは叱責されそうだけれど、私の中では「運命」でよしとする。死因より、人間界に降りてきて生きてくれたという事実、その存在を大切にしたい。

トークでも話した。龍哥の物理的な身躯はもういないけれど、彼が人間界に残してくれた遺産は限りなく大きく、龍哥の魂や心は常に私の傍らにいて、私を守り導いてくれている。だから「私は人生が李小龍」。だから「気付いたら Be Water で生きてきた」。

= 龍哥の言葉 =
The meaning of life is that it is to be "lived."
人生の意義とは、それを「生きた」ことにある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?