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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(2)- 初めての海外はシアトル -

私の人生に大きな影響を与えたこと。それはシアトルへの交流プログラム。
ここからは通訳者の話から少し脱線。

国際交流研修という名のツアー

高校1年生の春。学校の掲示板で見かけた「兵庫県の高校生のための国際交流研修」の募集記事。神戸市とシアトル市が姉妹関係にあるので、こういうプログラムが出来たらしい。参加資格は兵庫県下の高校1年生と2年生(3年生の夏休みは旅行なんかやっとらんと受験勉強しろ!ってことだそうだ)、夏休みの約2週間、滞在先はシアトル市ワシントン大学の学生寮。

シアトルだよ!?しかもワシントン大学だよ!?
資格ギリの来年は10周忌の年だよ!?
心臓がバクバクした。「行くしかないだろ」という声が聞こえる。
そう、私は李小龍迷。(迷=ファン)
シアトルは龍哥が根を降ろし、お墓まである場所。
ワシントン大学は龍哥が通った大学。
こんなプログラムがあって行かないわけにはいかない。

このプログラムは成績優秀な生徒が行く交換留学ではなく、お金さえ出せばだれでも行ける団体旅行のようなもので定員200名。当時は1米ドル=230円。ウチが裕福でもなんでもないのをわかっていた私は「来年、英語の勉強をするためにこの研修に参加したいからお金を貯めておいてくれ」と親に1年の猶予を与えた。実際は龍哥の10周忌に当てたかっただけだけど。随分後になって父親の給料を知り、生活にどんな必要経費がかかるかわかるようになってからは母に心の底から感謝した。よくぞこの家計で参加費用を捻出してくれたものだ。

当時は英語が出来るということに対する特別感があり、英語の成績がなかなかに良い私が更に英語の勉強をしたいというので、親も必死でサポートしてくれた。この交流プログラムに参加するのだからと英語学校に入ってみたが、クラスのレベルが低くて英語力のブラッシュアップにならない内容だったのですぐに辞めた。前もって勉強せずに行って大丈夫なのかと両親は心配したが、200名を男子10人と女子10人の20グループに分けるための実力測定テストで(多分)満点を取ってグループ・リーダーになったので、出発前から親としては鼻高々だった。

アメリカへ到着

200名を超える団体なのでチャーター便。ほとんどが初めて飛行機に乗る人ばかり。シアトル・タコマ空港からワシントン大学まではチャーター・バス。車窓に張り付いて外の様子を見ながら、初めてナマで西洋人を見たウチのチームの女の子たちは「きゃ~!本当に目が青い~!」「きゃ~!金髪!!」と大興奮。そんな時代だったのよ。

男子10人のグループと女子10人のグループで1チームとして一緒に行動する。各チームには地元の大学生が先生として、高校生がアシスタントとして配属され、毎日、午前中は授業、午後は様々なアクティビティを用意してくれて、いろいろな体験をさせてくれた。Fisherman's Wharf に行ってサンドイッチを食べた日。飲み物を買いに入ったスーパーで、遂に出会った。Root Beer!龍哥が好んで飲んでいたという Root Beer をいそいそと買って飲んでみた。・・・・・・・・・不味い!不味すぎる!龍哥は本当にこんなに不味いものが好きだったの?ショック・・・・不味くて一口でやめてしまった。

最大の目的地へ

金曜日の授業の終わりに、土日は授業無し、各自で自由に過ごして良いと言われたので、当然私は Lake View Cemetery 行くぞおおお!と気合満々。チームのアシスタント Brian が私に週末どうするのかと聞きに来た。Brian はイケメンとはいえないが金髪で青い目。ウチのチームの女子はほとんどが彼と仲良くなろうと必死だった。ところが当の Brian はいつも私に引っ付いてくる。偉そうな言い方になってしまうけれど、チームの中でまともに英語を喋れるのが私だけだったから。RとLの発音ができるのは私だけだったから。なぜかわからないけれど、その頃の私は既に英語がある程度喋れるようになっていた。

よく聞かれる。「英語はどうやって喋れるようになったんですか?」と。
常に答える。「申し訳ないけれど、わからない。ある時突然リエゾンができるようになって、知らぬ間に喋れるようになっていたとしか言えない。」なので、英語が話せるようになる秘訣もアドバイスも差し上げられない。

話を金曜日午後に戻そう。
Brian に週末どうするのかと聞かれた私は答えた。「I want to go to Lake View Cemetery!」当然「Lake View Cemetery? Why?」と驚かれる。そりゃそうだ。親戚がいるわけでもないのに突然墓地に行きたいなどと言われたら驚くわ。「There is Bruce Lee's ... Bruce Lee's ...」しまった。シアトルに着いた時に辞書引いた「墓」という単語を忘れてしまっていた。「Oh! Bruce Lee's grave! Why do you know that?」「I'm a big fan of Bruce Lee!」「I'll take you there! I'm living very close to there!」当時は龍哥が Lake View Cemetery に眠っていることを知っている人は地元でもそう多くなかったそうだ。Brian は家が近いから知っていたらしいが、さすがに日本から来た女子が知っていて、墓参りに行きたいと言い出すとは思ってもみなかったという。

バスで行けるのか?電車はあるのか?などと交通機関を調べていたら、Brian が「僕の車で連れていってあげるよ。Lake View Cemetery は僕の家の近所だから、まず僕の家に行って遊んで、それから墓地に行こう。」と言う。私達が滞在しているワシントン大学の学生寮まで車で迎えに来てくれると言うので驚いた。Brian まだ高校生なのに車運転していいの!?当時のアメリカでは17歳?18歳?から免許取得可能だったので合法なのだそうだ。だとしても自分の車持ってるってどういうこと!?私にとっては金髪で青い目よりも高校生が運転免許を取得できてしかも車を持っているというのがもうカルチャーショックだった。

この研修プログラムには私の同じ学校からの同級生も二人参加していた。龍哥の墓参りに一緒に行きたいと言うので Brian にもその旨告げて4人で行くつもりをしていたところに、Brian をどうしてもゲットしたくて私をライバル視していた女子が割り込んできた。週末は Brian が私達と一緒に Lake View Cemetery に行くと聞き、自分も行くと言い出す。「龍哥の墓参りなんか興味ないでしょ?」「いいの!」「車、そんなにたくさん乗れないと思うよ?」「大丈夫!」Brian も優しいので「車、乗れるからいいよ」ってことで総勢5名で Brian宅 ⇒ Lake View Cemetery へ。

(続)

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