Sophie

科学がいくら進歩したといっても、科学が答えられるのは「どうやって(How)」であり、「…

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科学がいくら進歩したといっても、科学が答えられるのは「どうやって(How)」であり、「なぜ(Why)」の質問には答えられない。それでも問わずにいられない。それが人間に与えられた唯一の特権と思っている。みなさんも一緒に考えてみませんか?

最近の記事

欧州をめぐる旅(さよなら、パリ)Sophies Zimmer

パリ滞在最後の朝、私たちはタクシーに乗り込んだ。タクシーの予約は、前の日にホテルのフロントに頼んでおいた。1週間定期券を使ってRERで空港まで行けば、タクシー代はかからなかったのだが、前日までRERは運休だったり大幅に遅れていたりして、不安だった。当日は調べていないが、北駅でRERが通常運転しておらず、タクシーを求めて右往左往する姿は容易に想像できた。しかも、その日は日曜日で、タクシーがつかまらない可能性だってあった。 ホテルで料金を聞いたら、65ユーロとのことだった。ち

    • 欧州をめぐる旅(40年ぶりにパリを訪ねてみたら- 2 - やっぱりパリはパリだった!)Sophies Zimmer

      40年ぶりのパリ、変わっていなかったこと その1- 公共機関のサービスの質は変わらず パリの北駅で降りて、まずミュージアムパスを買おうと、構内の観光案内所に向かった。観光案内所は、意外にこじんまりしていた。スタッフは2人しかおらず、同時に2組の客しか対応できない。幸い、私たちの前に客はいなかった。だが2人はお喋りに忙しく、私たちの方をなかなか向いてくれない。 この光景、見覚えがあった。そう、40年前もそうだった。役所など公的機関の窓口で、職員同士が私語に夢中になり、来訪

      • 欧州をめぐる旅(40年ぶりにパリを訪ねてみたら-1)Sophies Zimmer

        40年ぶりのパリ 今回の旅ではドイツ語圏だけまわる予定だった。でも、地図をよくよく見ると、(当たり前の話だが)ドイツから電車でひょいとパリに行けるではないか!これは行かない手はない。それからというもの、私は、ドイツそっちのけで、パリの地図を食い入るように見ていた。 パリには遠い昔、住んだことがあった。パリを去ってから実に40年。40年という年月は、どれくらい長いのだろうか? 私が帰国したとき生まれた赤ん坊は、もう40歳になっている。大人にとってはあっという間でも、子供に

        • 欧州をめぐる旅(バーデン・バーデンで窮地に( ゚Д゚))Sophies Zimmer

          ヨーロッパ屈指の保養地、バーデン・バーデンへ シンデレラ城、ではなく新白鳥城(ノイシュバンシュタイン城)を見た翌日、ミュンヘンを後にした。次の目的地は、温泉保養地として有名な、バーデン・バーデン。バーデン(baden)は、入浴するという意味で、それを2回も繰り返す、直訳すれば「入浴・入浴」になる。ドイツ語講座の先輩は、何でそんなとこ行くの?と怪訝そうな顔をして聞いた。 あまり観光名所はないけれど、コンパクトだし、何と言ってもドイツを代表する保養地である。温泉に浸かって

        欧州をめぐる旅(さよなら、パリ)Sophies Zimmer

        • 欧州をめぐる旅(40年ぶりにパリを訪ねてみたら- 2 - やっぱりパリはパリだった!)Sophies Zimmer

        • 欧州をめぐる旅(40年ぶりにパリを訪ねてみたら-1)Sophies Zimmer

        • 欧州をめぐる旅(バーデン・バーデンで窮地に( ゚Д゚))Sophies Zimmer

          欧州をめぐる旅(ミュンヘン編)Sophies Zimmer

          オーストリアからドイツへ ザルツブルクから、ひょいと国境を越え、ミュンヘンに移動する。穏やかで清楚な街から、急に都会の喧騒に放り込まれる。タバコ吸いながらたむろする多様な人種の男達。歩道には吸い殻、ゴミ、割れたビール瓶が転がっている。 同行者のミニゾフィー(略してミニー)は、同じ都会でもウィーンはよかったと、しきりにウィーン(を含めオーストリア)を恋しがっていた。 ミュンヘンに来た目的はただ1つ。ルートビッヒ2世の建てたノイシュバインシュタイン城を見ることだ。ガイド

          欧州をめぐる旅(ミュンヘン編)Sophies Zimmer

          欧州をめぐる旅(ザルツブルク編)Sophies Zimmer

          ザルツブルクに着いた! ウィーンから電車でザルツブルクへ。ホテルのチェックインを済ませて、市の中心に向かう。川を渡ったところで降りると、これまでと空気が違った。適度な湿り気を帯びた清浄な空気。湿り気の心地よさを私は初めて認識したようには思う。日本にいたときは、あれほど不快に感じていた湿り気。その湿り気を今私の身体は心地よく感じている。雨が降ったのだろうか、水嵩が高い。 私達は、川岸のベンチに座り、近くのスーパーで買ったサンドイッチを食べた。アルプスの山々を背景に建つ白い壁

          欧州をめぐる旅(ザルツブルク編)Sophies Zimmer

          欧州をめぐる旅(ウィーン編)

          今ウィーンに来ている。ヨーロッパは初めてではないが、ドイツ語圏には行ったことがなかったから、ウィーンはもちろん、オーストリアも初めてだ。ドイツ語を始めてン年、ドイツ語圏の国々にいつか行きたいと思いながら、コロナがあったりしてなかなか実行できなかった。今回満を持して、ヨーロッパ旅行と相成った。ここでは書かないが、旅立つ直前に、中止せざるを得ないのではないかと思われるような問題が立ちはだかったが、ここはなんとしてもと踏ん張って敢行した。 ウィーンでの観光と言えば、まず浮かぶの

          欧州をめぐる旅(ウィーン編)

          「車輪の下」(ヘルマン・ヘッセ)を読んで②

          私自身、ハイルナーとハンス、どちらのタイプかと聞かれれば、これはもう間違いなくハンスなのである。ハイルナーのような天才的ひらめきとか、学校への反抗的態度とか、私には絶対的に欠けている要素だ。勿論、反発を覚えることも多々あった(特に中学生の頃)が、ここでそれを態度に表したら、受験に不利になると考え、ぐっと堪える、そんなタイプなのだ。 ハンスも最後まで学校や教師に逆らうことはなかった。彼には反抗心すら起こらなかった。だが無意識のうちに抑え込んでいたのだろう。そのためか、彼は精

          「車輪の下」(ヘルマン・ヘッセ)を読んで②

          「車輪の下」(ヘルマン・ヘッセ)を読んで①

           この作品を初めて読んだのは高校生の時だった。小学校から高校まで毎年夏休みに読書感想文を書かせられるが、これも課題図書の1つだったように思う。私は、感想文を書かせる側(教師、学校、教育委員会など)が求めるような内容を、例えば、「主人公のハンス・ギーベンラートは、詰め込み主義の教育や規則ずくめの学校生活によって追い詰められ、その結果として命を失なった。彼は、学校制度の犠牲者だ」みたいなことを書いたように思う。実際、本作には、著者による痛烈な学校(教育制度)批判が展開される。

          「車輪の下」(ヘルマン・ヘッセ)を読んで①

          そこに自由はあるのか④

          遺伝子のたくらみ 考えているのは誰かって? そんなの自分に決まっているじゃないかと言われそうだが、精神はどこから生まれるかとの問いを追っていって、脳が命令しているのだから、脳では?に行きつき、脳も結局は物質というオチがついてしまった。 話は変わるが、私の仕事は、主にバイオ技術の翻訳である。私は毎日仕事しながら、身体の巧妙な仕組みに日々驚かされている。ちなみに、私は純然たる文系出身、バイオは勿論、生物の専門知識もない、その分野では、門外漢である。でもだからこそ、生命の不

          そこに自由はあるのか④

          そこに自由はあるのか③

          脳は命令する? よく、心はどこにあるのかと問われて、胸(つまり、心臓?)を指したり、頭を指したりするというシーンを見かけるが、心を含め、心的働きは脳が司っていると一般に考えられている。例えば、「右手を上げなさい」という信号(命令)を脳が出し、神経を介してその信号を受けた右手が上がる。ということになっているが、果たして万事がそうなのだろうか? 私は仕事中、無性に口寂しくなり、間食をよくする。ピーナツ入りのあられ(○の種など)なんかは典型的で、食べ出すと止まらなくなる。昼

          そこに自由はあるのか③

          そこに自由はあるのか②

          生きていくって何故こんなにも不自由なのか、その原因を突き詰めると、肉体を持っていることに集約されると思う。肉体と言うと生々しすぎるので(いろいろと違った意味もありますしね)、身体(からだ)と呼ぶことにしよう。 長い道のりを歩かなければならないとき、空腹だったり、身体の状態や周囲の条件が悪かったりすると、身体を引きづって生きていることがこの上なくうっとうしくなる。 また、梅雨もあけようとするこの季節、ムシムシする上に日差しがあると、不快指数はマックスとなる。動き回ればた

          そこに自由はあるのか②

          そこに自由はあるのか①

          ドイツでは自由を求めてよくデモが行われる。新しいところでは、コロナ禍で政府が打ち出した外出禁止令、マスク着用義務、ワクチン接種要請に対する抗議活動の一環としてデモが催された。そこではナチ政権に敢然と抗議したゾフィー・ショル(これは運命なのか①)の名前も掲げられたという。(驚いたことに、一連のコロナ対策は、ナチス時代のユダヤ人迫害に例えられていた) ドイツだけではない、フランスをはじめ欧州諸国、アメリカでもそうだ。古くは、王政や植民地という制度からの自由、奴隷という身分から

          そこに自由はあるのか①

          これは運命なのか②

          「運命論」という考え方がある。人生は一切が予め決められていて、人の力ではどうすることもできないというものだ。私は最初、運命論に否定的だった。運命論が正しいのなら、人は自分の人生について選択肢は一切なく、また、変えようと努力しようにもしようがないということになってしまう。 それに加え、日々やらかしているうっかりミス、魔が差して犯した間違い、闇に葬りたい黒歴史の数々、それらもみーんな生まれる前から決まっていたということにもなってしまう。そんなのはイヤだ。絶対に認めたくない。

          これは運命なのか②

          これは運命なのか①

          私は翻訳を稼業としている。英語の文法に、目的を表すto不定詞というのがある。例えば、 「She studied English hard to become a translator」なら、 「彼女は翻訳家になるために、英語を熱心に勉強した」 と訳せるのだが、結果を表すto不定詞もあって、同じ英文が、 「彼女は英語を熱心に勉強して、(その結果)翻訳家になった」 とも訳せるのである。 一見気にするほどのことはないようだが、両者には大きな違いがある。前者は、本人の意志(意図)

          これは運命なのか①

          時間とは何か(完)昨日、今日、そして明日へ

          そんなこんなでもう夜の11時半、寝る時間だ。寝る間際になって、私は俄然焦り始める。あと30分で今日が終わってしまう。 今日が終わってしまう前に、一行でも、いや一字でも多く活字に触れていたい。私は、枕元に積み重ねられた本を手当たり次第に開いて読んでは、閉じ、開いては読み、そうやってあがいている間に時計の針は12時を指し、タイムアップとなる。 ああ今日もついに終わってしまった。私は観念して本を閉じ、電気を消して目を閉じる。そして、今日あった出来事、出会った人たちの顔を一人一

          時間とは何か(完)昨日、今日、そして明日へ