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欧州をめぐる旅(さよなら、パリ)Sophies Zimmer

パリ滞在最後の朝、私たちはタクシーに乗り込んだ。タクシーの予約は、前の日にホテルのフロントに頼んでおいた。1週間定期券を使ってRERで空港まで行けば、タクシー代はかからなかったのだが、前日までRERは運休だったり大幅に遅れていたりして、不安だった。当日は調べていないが、北駅でRERが通常運転しておらず、タクシーを求めて右往左往する姿は容易に想像できた。しかも、その日は日曜日で、タクシーがつかまらない可能性だってあった。
 
ホテルで料金を聞いたら、65ユーロとのことだった。ちょっと高い気もしたが、安全と安心には代えられない。
 
予約した時間は朝8時半だった。私はそれさえ心配だった。果たしてタクシーが時間通り来てくれるのか、と。フロントでチェックアウトした後、タクシーは?と聞くと、「そこで待ってますよ」と入り口を指さした。なるほどそこには黒い車が停まっていた。しかし、どこにも「Taxi」の表示はなかった。大丈夫なのだろうか?一抹の不安がよぎった。運転手と思しきサングラス姿の男性が車の周りを所在なさげにウロウロしている。何はともあれ、時間通り、いや、あのイライラぶりからは、だいぶ早めに来てくれたのだ、それだけでも御の字だろう。
 
車は走り出した。タクシーに乗るのは、今回が初めてだった。ふと、ラジオから聞き覚えのある曲が流れてきた。ミスターサマータイムだった。でもフランス語だ。日本では、80年代初めにサーカスというグループが歌って流行ったけど、フランス語バージョンもあったのか。
 
『ミスターサマータイム、さーがーさないでぇ、あのこーろのわーたしをー(実際はフランス語です)』この物憂いメロディーに、私はとろんとなった。運転手もこの曲が好きなのか、ハミングしている。この曲は何という曲ですか?私はよっぽど曲のタイトルを聞こうかと思った。だが、口にする勇気がなかった。
 
運転手の方も何も言わない。観光客相手なんだから、パリはどうだった?とか、いくらでも切り出せそうなものだが。
 
窓から空を見上げると、朝焼けのウロコ雲。9月半ばだったが、雲は遥か高くすっかり秋の景色だった。空を指差し、日本と違うねなんて言いながら、私とミニーはずっと外を眺めていた。
 
もうすぐパリともお別れだ。40年の月日は、やはり長かった。私とパリをすっかり他人にしてしまった。錆びついたフランス語もそうだが、久しぶりのパリに私は親しみを感じることができなかった。まあ、滞在時間が、たった5日と、短かったこともあるだろうが、あの苦しくも楽しい日々は二度と戻らない。
 
ミスターサマータイムのBGMとともに、私が昔ここで過ごした日々が過ぎ去ってゆく。この気怠く、官能的なメロディーには日本語よりフランス語がよく似合う。そういえば、そんな雰囲気だったな、あの頃のパリは。日本でも、アンニュイ(ennui)なんて言葉が流行ったっけ。それが今や、アンニュイな雰囲気は吹っ飛び、時間に縛られ行列に並び、どこもかしこも人でごった返し、二階建ての観光バスが忙しく行きかう典型的な観光地と化していた。
 
でも・・・。今回泊まったホテルの界隈は、下町みたいで悪くなかった。私たちが観光で疲れ果てて帰ってくると、おかえりと迎えてくれるようだった。そこには小さな商店街があって、どこも親切に応対してくれた。「Bon jour, Madam」で迎え、「Merci, bonne journée!」で送り出す。肉屋のおかみさん、サンドイッチ屋のおじさん、薬屋のお兄さん、それからスーパーの店員さんたち、ありがとう。

毎日通った商店街 

歩道に布団を敷いて、堂々と寝ているお爺さんかいて、最初見た時はびっくりしたが、毎日通っていると、布団の上には花が置かれたり、枕元に絵が飾られたりと、変化があった。私とミニーは、顔を見合わせてさすが芸術の都だねー、と朗らかな気持ちになったっけ。 

いつのまにか曲は終わり、トークに変わっていたようだ。タクシーは早くも空港に到着した。ホテルから30分もかからなかった。

 結局、運転手とは一言も喋らなかった。 

私は65ユーロを出そうと用意していた。運転手は、こちらを振り向き、カードにするかと、カード読み取り機を差し出した。私は現金で、と応え、一応いくらかと尋ねた。彼は、「シ」と、言いかけたのを引っ込め、「セ、セブンティーファイブ」と言い直した(なぜか英語になっていた)。 

カードだったら記録が残るから、65ユーロだったのだろうが、現金なら、記録が残らないと考えて咄嗟に10ユーロ上乗せしたのだろう。私が、ホテルのフロントでは65ユーロと言われたのにと抵抗すると、ムッとして75だ、と譲らない。ここで言い争いになり、飛行機に乗り遅れでもしたら、10ユーロでは済まないだろう。私はさっさと75ユーロを払ってミニーとタクシーを降りた。

もちろん、レシートはくれなかった。 最後の最後に後味の悪さか残った。私から話しかけようかと散々迷ったが、話しかけないでよかった。40年前のタクシーの運転手だったら、こんなに陰険ではなく、客と陽気に話をし、もっとフランクだったような気もするが(ただのイメージかもしれない)。 

私たちは、キャリーバックを手にした客でごった返す空港で出国の手続きを済ませ、クネクネしたチューブを乗り継ぎ、出発ゲートに向かった。さよなら、パリ、いろいろと不具合もあったけど、また来ます。そのときは、お互い新しい気持ちで会おう。初めて会うみたいに。

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