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なぜ、Sophieなのか

皆さんは、学校時代、こんな疑問を抱いたことはないだろうか?試験の答案用紙に自分の名前を書きながら、一体どれだけ同じ名前を書けばいいのだろうか?と。
 
その後も同じ名前を書き続け、私はほとほとうんざりしてきた。父方の苗字は、父が生まれた九州の或る集落に集中していたが、他では聞いたことがなかった。父の実家にはほぼ墓参りにしか行かなかったので、私の旧姓の苗字にも線香の臭いが染みついている。下の名前は、母が付けた。私が生まれた頃流行っていた女の子の名前らしい。
 
私は子どもの頃から、その組み合わせに馴染まなかった。人は私をその名前で呼ぶ。私は、抗う気持ちを抑え、それに応えなければならない。どうしてこの名前でなければならないのか、別の名前ではいけないのか? 結婚して姓か変わり、線香臭さは消えたが、所詮他人の姓だ。名前の方は年を追うごとに呼ばれなくなり、どんどん疎くなっていく。私は、私を表す(representする)名前をずっと探していた。
 
Sophie は、欧米では珍しい名前ではない。英語やフランス語では、濁らず『ソフィー』と読む。私はそれまでに幾度となくソフィーという名を耳にしていた。だが、ドイツ語のゾフィー(という名前)に出会ったとき、私はピンときたのである。Sophieって、「Philosophie(哲学)」 のsophieじゃん、これしかない!と。それからというもの私は状況が許す限り、ゾフィーと名乗っている。趣味の会で初対面の人に自己紹介するときは格好の機会である。反応はさまざま。即座にステキ!と反応する人、ニヤニヤしている人、無反応な人、等々。
 
私が、Sophieという名にそぐわないのは百も承知だ。見た目も性格も、全然Sophieじゃないのだ。冷ややかな反応をされると、きっと「何がゾフィーだ、格好つけちゃって」と思われているに違いない。以前の私だったら、そう思い込んで怯んでしまい、慌てて撤回していただろう。だが、その時の私は違った。踏み止まって10年以上Sophieを名乗り続けている。
 
Philosophieのphiloは、「愛する」、sophieは、「知(又は知ること)」を意味するという。そう、哲学とは、「知を愛する」ことなのだ。哲学と聞くと、何かすごく深刻そうで、難しそうで、人を簡単に寄せ付けないイメージがある。しかし、実はごく単純なことなのだ。哲学と言う用語がよくないのかもしれないが、他に適切な言葉が見つからないため、とりあえず使うことにする。
 
哲学の祖、ソクラテスは、無知の知を説いた。しかし、ソクラテス以降、哲学はいろんな派閥に分かれ、そこからさらにいろんな系統が派生して、難解至極なものとなってしまった。私は、ソクラテスに倣い、原点に戻りたい。自分は何も知らないことを知っている、だから、知りたい。だって世の中はわからないことだらけなんだから。
 
私はSophieという名に値する人間なのか? 私は今、そう自分に問いながら生きている。値しないとしたら、一歩でもいいから近づきたい。もし、私が、仮に生まれたときこの名を付けられたなら、Sophieであるのは当たり前すぎて、それに値する人間になろうなんて思いもしなかっただろう。
 
遅まきながら、私は、人生で初めて、親の期待や世間的プレッシャーからではなく、自ら何かを「選び取り」、それを実現するために自分に課題を課し、取り組んでいる。しかし、ほかの誰でもない、自分が課した課題だから、清々しい。それが今私の生きる力となっている。
 
 

Warum Sophie?


 Seit meiner Kindheit, hatte ich das Gefühl, dass mein Name (die Kombination von Vorname und Familienname) nicht sehr gut zu mir passte. Ich habe also lange nach einem Namen gesucht, der mich besser repräsentiert.
 
Als ich anfing, Deutsch zu lernen und auf den Namen „Sophie“ stieß, dachte ich: das ist es!, denn der ist ein Teil des Wortes „Philosophie“. „Philo“ der „Philosophie“ bedeute Liebe und „sophie“ bedeute Wissen. Genau, es ist eine Liebe zum Wissen.
 
Sokrates, der Begründer der Philosophie, predigte die Erkenntnis der Unwissenheit. Leider seit Sokrates hat sich die Philosophie in verschiedene Fraktionen aufgespalten, von denen verschiedene weitere Linien abgeleitet wurden, was sie extrem esoterisch macht.
 
Ich möchte Sokrates folgen und zum Ausgangspunkt zurückkehren.
Ich weiß, dass ich nichts weiß, also möchte ich wissen. Denn die Welt ist voll von Dingen, die wir nicht verstehen.
 
„Bin ich des Namens Sophie würdig? “ Das frage ich mich immer.
Hätte man mir diesen Namen bei meiner Geburt gegeben, wäre er mir nie in den Sinn gekommen.
 
Ich habe mir etwas in meinem Leben "ausgesucht" und mir die Aufgabe gestellt, es zu verwirklichen und daran zu arbeiten. Es ist aber erfrischend, weil es eine Aufgabe ist, die ich mir selbst gestellt habe, nicht irgendjemand anderes. Es ist das, was mir die Kraft gibt, jetzt zu leben.
 


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