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イッタラ展で気がついた「伝え手として生きる」こと

前回のイッタラ展のレポートの最後に追記しようと思ったけど長すぎてやめた(笑)、個人的な思いを少しだけ。

正直にいうと、フリーランスになって以降、編集・ライターの仕事より料理にまつわる仕事(フードスタイリング)に傾倒していた節がある。

それはきっと、社会人3年目で芽生え、ずっと心に奥にしまってあった「食の仕事にチャレンジしてみたい」という気持ちが強かったから。

そこでこの数年、ケータリングチームに所属したり自分でも出店したり、はたまた企業向けのサービスとしてスタイリングを提供したり。食にまつわるさまざまな仕事を文字通り、試行錯誤してきた。

一方で、文章という限定的な表現への窮屈さ、不自由さみたいなものも無意識のうちの感じていたのかしら……?とも思う。

でも今は、文章という限られた枠の中で「やり切った」といえる日まで(そんな日はいつまで経っても来ないのかもとも思うけど)、追い求めてみたいと、自然に思えるようになってきたのだった。

こうして再び「書くこと」に気持ちが向いたのは、たぶん料理の仕事に出合ったから。  

「食の仕事」といっても本当に仕事の種類ややり方はさまざま。何が得意、好きでどういった場面なら自分を活かして人の役に立てるのか。

実際に行動して実験してみて、自分の心の声に耳を傾けて。数年かかったけど、そういうプロセスを繰り返して、やっと分かってきた気がしている。

長年メディア作りや文章にまつわる仕事に携わってきて「書く」という大海の中で、自分がどう関わり生きていくのか。何を伝えたいのか迷い続けてきたのだけど、朧げながら少しずつ見えてきた気もしている。

不器用で要領が良いタイプではない、私らしい回り道という名の、近道だったんだろう。  

そんなことを思っていた矢先に行ったイッタラ展。
帰宅する途中の電車で書いたメモには一つの目標が書いてあった。

世界中の「ものづくり」を中心に、食や生活工芸、インテリア、デザイン、建築、アートなどのジャンルでライターとして書いていくこと。こういう企画展のレポート記事なんかも書いていけるといいな。

こんな風にすばらしい「もの」たちを、自分の手で生み出すことはできないけれど、世界中に散らばっている、日常を彩ってくれるすばらしいものを拾い集め、編み、そして広く伝える。

そんな伝え手として存在していけたら、と思っている。 その手法が執筆であり、編集であり、スタイリングなんだろう。  

このことを、iPhoneのメモに収めておくだけでなく、未来へのメッセージとしてここに記し、本展示の感想の締めくくりとする。

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