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たった一つの節約

節約に関するブログの記事を書いた。

よくありがちな、節約のテクニックで一般ウケの良さそうな記事だと自分でも思う。こんなものでGoogle検索の『節約』というキーワードで上位を取れるということは、世の中の大多数のニーズに見合った記事だということだ。

でも、正直なところクソみたいで浅はかな内容の記事だとも思っている。
(ちゃんと実体験に基づき、効果のある節約方法を掲載しているつもりだ。)


ブログでは節約に関するテクニックを20個ほど集めてみたが、節約に関して突き詰めれば、『買わない』この一言に尽きる。

節約については、この言葉こそが真理であり絶対であり、この一言さえ理解していれば事足りる。

だがブログでそんな内容の記事を書いたところで、読者の検索ニーズを満たすことはできず、Google検索で検索上位は取れないから誰にも見られないという問題がある。

だからnotoにこうして本音を綴っている。



世の中にはいろいろな節約方法がある。

中でも、セールを駆使してお得にお買い物をする方法とか、ポイントを効率良く貯める方法とか、そんな華やかな節約方法が持て囃されがちだ。

誰も『買わない』などと当たり前で地味でクソもへったくれもないことを言う奴はいない。

世の中に溢れている一般的な節約論は、「消費を抑える」ことについてフォーカスされがちだが、本当に効果的なのはそもそも「消費をしない」ことであり、そんなことは誰の目から見ても明白であり、当たり前すぎるからこそ多くの人は忘れているのかもしれない。

Amazonのプライムデーも、楽天のお買い物マラソンも、その他諸々のポイント制度も、お祭りのように盛大な盛り上がりを見せるが、私たちに節約を約束してくれるものではない。

むしろ『買わない』という言葉の重みを真に理解していない多くの人にとって、余計な出費になりかねない。

大前提として、セールやポイント制度は、日々利用してくれている私たち消費者に感謝の気持ちを伝えるための慈愛の心に満ちたイベントではなく、ビジネス上の販売戦略という側面が強い。

私たちはセールやポイントをありがたいものだと信じて疑わないが、利益を最大化するのが目標である販売者が、闇雲に商品を安売りすることはありえない。セールやポイントには販売上の利益につながる理由が存在する。


私たちは、同じ額の利益を得る場合の喜びよりも、同じ額の利益を失う悲しみの方が強く印象づけられる。これは太古の昔、我々の祖先が進化の過程で身につけた、「損失回避性」という性質である。

昨今、このような「サンクコストバイアス」は、心理学的分野だけでなく金融を語る上でも持ち出されるようになった。

私たちは、セールで安いものを見つけると、どうしても必要で買わないといけない気がしてくるし、今日がポイントのボーナスデーだとわかると、どうしてもたくさん買い物をしてポイントを稼ぎたくなる。

この獲物は逃すまいと、損失回避の性質が働くのだ。

食糧供給が不安定だった、狩猟採集時代には有益だった性質かもしれないが、現代ではこの性質を多くのビジネスに利用されている。

消費者はお得に買い物ができてラッキーだと、節約になったと思っているかもしれない。

しかし、果たして本当に節約になっているだろうか?

確かに普通に買い物をするよりもお得だろう。
だが大抵の場合、買わなくていいものまで買わされている。

定価では購入する気がなかった商品も、値引きされているとわかった途端、それを買わないといけない気がしてくる。

今までそんなものを持っていなくても、問題なく暮らせていたというのに。

セールがなければその消費は生まれていない。

あなたも一度は経験があるはずだ。
セールという誘惑があったからこそ、本来使う予定のなかったお金まで使わされてしまった経験が。



世の中には、貯金が当たり前にできる人がいて、その人たちは収入の大小に関わらず貯金ができる。逆に、どれだけ稼ぎが良くても全く貯金ができない人もいる。

この差は、節約方法をどれだけ知っているかではなく、どれだけお金を使うのを我慢できるかというマインドの違いである。

浪費家マインドの人が、どれだけ節約方法をかき集めたところで意味はない。

お金を使ってしまう人は、節約のテクニックを駆使して節約したお金さえも、別の何かに使ってしまうからだ。

節約をしたければ根本的にマインドを変えるほかない。心の真ん中の重要な部分に、「買わないことが1番の節約である」という支柱を建てる他ないのだ。


この世の中、タダで美味しい話が転がり込んでくることなんて滅多にない。

あなたも自分でビジネスをすればわかるはずだ。
定価よりも下げて売りに出す時は、値引をしなければいけない理由が存在する。

ボランティアではないのだから、常に利益を最大化できるように試行錯誤しているし、自分の商品を理由もなく安売りすることは絶対にない。

世の中に転がっている節約方法という、一見私たちを幸せに近づけてくれる魔法のような方法も、その多くが誰かのビジネスの一環であったり、商品の一部であったりする。

例えば、電気会社を乗り換えて電気料金が安くなるのも、その電気会社が顧客を獲得するための策だろうし、iDeCoやつみたてNISAを勧めてくるのもファイナンシャルプランナーの情報商材の一つなのかもしれない。

もちろん全てが悪なのではなく、販売者と顧客の利害が一致することでお互いが得をすることもあるだろう。自らの頭で考えた上で、お得と言われるような制度を利用することは基本的に良いことだと思う。

しかし、何も考えず「安い」という言葉を疑いもしないでいると、ただいい様に利用される。

その点、「買わないこと」は絶対的な防御力を誇る。そこには情報の格差によって生じる社会の歪みも、強者の洗脳すら介入する余地はない。
弱者であっても「買わないこと」によって、強者から余計なカツアゲを喰らう心配はなくなるのだ。



さて、「買わない」を連呼しすぎて、デフレが加速しそうだと思っている読者の方もいるかもしれないが、そんな心配は無用である。

なぜなら、「買わないこと」は典型的な「言うは易し行うはごとし」であるからだ。

誰でも豪華絢爛な暮らしをしたいと思っているし、皆が羨むような暮らしでなくても、せめて健康で文化的な暮らしをしたいと思っている。

人間は欲望の塊であり、多くの人にとって「買わないこと」ほど難しいことはないのだ。

『買わない』をテーマにこれだけの文字数を費やして語ったところで、誰もがそんなことは知っているし、惨めで映えない生活は誰も望んでいないし、簡単に言えば、この思想はウケないのである。


人生は自由だ。

好きなだけ浪費をするのもいいだろう。

欲しいものは早く手に入れるべきだという格言もある。物欲にも賞味期限はあるように、何としてでも早く手に入れた方がいい時もある。

それは、貯金ばかりの人生では得られない経験であるし、いつの日かその浪費によって生じた喜びだけでなく、苦しみや後悔すらも、良き思い出となる時が来るかもしれない。

貯金に命をかけた挙句、巨万の富を築いたが、その富を残したまま死んでいっては元も子もないではないか。

だから消費は決して悪ではないし、消費活動こそ人間が人間らしく生きていくために必要なものだと思う。

一方で、人生の適切なタイミングで、まとまったお金があると人生の選択肢が増えることもまた事実である。

その時のために節約に励むのもまたいいだろう。

何にせよ、この記事で私が言いたいことはただ一つ、買わなければ節約は捗るという当たり前の事実だけ。

ただそれだけなのだが、それが最も難しく、そして重要なのである。


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