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生きづらい世の中で。美意識の重要性

「これで本当に良かったのだろうか」
「この人の言っていることって正しいのだろうか」

生きていれば、判断に迷うことが多々ある。

仕事においても、暮らしにおいても、恋愛においても。

基本的には常識やマニュアルに従えばいいだろう。

でも、常識は人それぞれ違うし、マニュアルは通用しないときのほうが多い。

だから判断に迷ったとき、僕は美意識に従うようにしている。

美意識とは

辞書で美意識を調べてみると、以下のように記載されていた。

美に関する意識。美しさを創造・受容する心の働き。また、何をもって美しいかをきめる基準や考え。

コトバンク

字面だけをみると、美意識は美術や建築などの芸術作品を評価するときだけに必要な素養に思える。

しかし、決してそんなことはない、と僕は考える。

なぜならどんな行動にも”美しさ”は存在するからだ。

人と会話をするとき、仕事をするとき、食事をするとき。

どんな場面でも、その行動に対して美しいのか、そうではないのか、を判断することはできると思う。

だからこそ、美意識とは
『美しいと思える行動すべて』
だと僕は考える。

仕事での美意識

こんなことがある。

ある朝オフィスに行くと、見慣れない人がいた。
他の拠点で働いてる人だろうか。
たまたま今日来ただけで、今後は二度と会わないかもしれない。

この人に挨拶をすべきだろうか。

初対面だし、ちょっと緊張する。
もう会うこともないから、挨拶しても意味はないかもしれない。

些細なことだが、こういうことって結構ある。

わざわざ、「あの人に挨拶したほうが良いかな?」と聞くのも違う。

こんなちょっとした判断に迷うときも、僕は自分の美意識に従う。

『挨拶をされて嫌な気分になる人はいない。笑顔で挨拶をしたらお互いに気持ちよくなるはずだ』

これが挨拶における僕の美意識だ。

だからこそ、迷った素ぶりなんて見せずに、
大きな声で笑顔で挨拶をする。

「はじめまして、〇〇課の△△です。よろしくお願いします!」

それに対して相手が何を思うかはコントロールができない。

もしかしたら、
「わざわざ挨拶なんてしなくても良いのに」
と思うかもしれない。

でも、美意識に従うことで自分の心は満たされる。

自己満足かもしれない。

でも、それくらいの自分勝手さは許されるはずだ。

飲み会の僕の美意識

酔うと、人の悪口を言いたがる上司がいる。

「あいつは全くダメだ」
「お前なんかいらないんだよ」
「あいつマジで死んでしまえばいいのに」

「本当に人の上に立つ人間か?」と疑いたくなるような言動を平気で言う。

パワハラ、アルハラはダメだなんて世間では当たり前だけど、ミクロの視点で見ると、まだまだこういう昔の人間は存在するのが事実だ。

飲み会で悪口を聞かされるとき、また悪口を面と向かって言われるときの僕の美意識はこうだ。

『絶対に同調しない。悪口を正面から受け取って落ち込まないし、喧嘩しない』

まず飲み会で人の悪口を言うこと自体が美しくない。

SNSでこんな言葉が見かけたことがある。

「酒が人をアカンようにするのではなく、その人が元々アカン人だということを酒が暴く」

人の悪口を言う上司は、アカン人なのだ。

でも僕がそれに同調してしまったら、僕もまたアカン人になる。

それは美しくない。

だから同調しない。

そしてアカン人がかけてくる言葉で落ち込んでいたり、反論したりしたら、それもまたくだらない。

同じ土俵で戦うことになってしまう。

だからこそ、落ち込まない、反論しない。

美意識が自分を形づくり、守ってくれる

結局のところ美意識を大切にする理由は、自分を守るためだ。

困ったら全部を聞いたり、周りに流されたりしてしまうことは、誰かの美意識に従うことを意味する。

それが美しいと思うのなら、それもいいだろう。

でも、そうじゃないことも多いはずだ。

美しいとは思えず、それでも流され続けてしまったら、自分を信じられなくなる。

自分の意味がわからなくなる。

だからこそ、自分の美意識を大切にしたい。

ときにその判断は間違っているかもしれない。

でも、
『これは自分にとっては美しい』
と思えるならば、それだけで自分を保てるんじゃないか。

僕は僕を守るために、これからも美意識を大切にしたい。


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