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マインドフルネスの「今ここ」と、12キロのダイエット ーその2ー

数か月で12キロのダイエットに成功:変わった食生活

前回の記事で、断食と瞑想を組み合わせたダイエットの経験について書かせて頂きました。

結果として、3~4か月で12キロのダイエットに成功することが出来ました。身近な友達には、急速に痩せていった私の姿をみて、何か深刻な病に掛かっていたのではないかと心配されることもありましたが、もちろんそんなことはありません。

しかしながら、思い返すと痩せていった理由には、断食と瞑想だけではなかったことに気がつきます。

例えば、断食を繰り返すと、こってりしたものや、グルテン系の食べ物が胃にもたれるので殆ど食べなくなりました。

家族がグルテンアレルギーなので、家庭で出てくる食事が小麦系の食事が出ないということも大きな影響だったと思います。

私も軽いグルテンアレルギーなのですが、家庭の食事で小麦系が全くでないということは、大好きなお好み焼き屋ラーメン、パスタ、ピザ、パン類は全て食べられないということです。

なので、断食前は一人外食でそれらの好物を食していたのですが、その習慣が殆ど無くなりました。(しかし、未だにラーメンは大好きなので、週に1回は食べに行っていますが・・・)

また、体が軽くなっり、運動をすることに喜びを感じたので、出勤する際に駅まで毎回自転車で15分通っていたのを25分のウォーキングに変えていました。

都内に住んでいてほとんで気がつかなかったのですが、都内にも外の空気の新鮮さや、木々からの木漏れ日、野に咲く花など、あまり気がついていない豊かな美しさを眺めることが好きになり、出勤以外でもよく散歩をするようになりました。

結果として1日に1時間程度は歩く習慣がついていました。

また、ポテトチップスや添加物系のお菓子が大好きだったのが、体質が変わって体があまり受け付けなくなったので、摂取量が極度に減りました。

甘いものに関しては、白い砂糖よりもラカントを用いたお菓子の方が、繊細で美味しく感じたので、自分で糖質制限した甘いものを自分で作って食べていました。

レアチーズケーキが大好きなので、下記の「食べて痩せる料理男子」ユーチューバーさんの動画を参考にレアチーズケーキ、ティラミス、チョコレートケーキなどを創って食べていました。この動画にはとても感謝しています。

この動画では、驚くほど速く、安く、しかもかなり美味しいレアチーズケーキが出来るので、とってもおすすめです!

「今ここ」から離れると余分な情報が増える

禅やマインドフルネスでは「今ここ」という「気づき」が最も重要なテーマになっています。

今この瞬間の気づきである「今ここ」、とは「過去」「現在」「未来」という時間軸を超えた「意識/気づき」のことです。

「過去」や「未来」とは良くも悪くも解釈であり、物語です。そして、その「物語」とは「出来事」が組み合わさって、連続性を持った意味のあるものになっています。

私たち人間は、「物語」そのもので、「物語」とは「出来事」の集合体です。その「出来事」を一つの意味のあるものにまとめ、連続性のある物語としてつなぎ合わせてている働きをするものが

「意識/気づき」のことです。

逆の言い方をすると、『意識の作用で、出来事がまとまって、物語と意味が生まれる』ということになります。

意識は、何の条件もなく存在し、私たちを常に見守っています。それは無条件で存在する、純粋な知覚です。

            簡単な気づきのワーク
『・深呼吸して目をつぶってみてください。そして、口の中の舌先が歯にあたっている感触にただ気づいてみてください。

・雑念や、関係のない感情が湧いてきても、無理やり追い払おうとせずに、またその舌先の感覚に気づきを戻し、維持してみてください。

・それを数分間、行ってみてください。』

そうすると、数分前より幾分か落ち着いていたり、安らいだり、リラックスできる感覚に気づくかと思います。

その安らぎやリラックスした感覚は、何か特別なことをしたり、拝んだり、お金を払ったから得られたわけではありません。

することは何もありません。努力もいりません。私たちはただ「知覚に気づいていただけ」です。その安らぎの感覚は、常に既に、いつもありました。

私たちが忙しくしていると、そのことを忘れてしまうのです。

私たちは常にその安らいだ感覚にいつでも戻ることが出来ます。

そこには何の資格も、お金も、条件もいりません。無条件で癒されることが出来ます。

しかし、この「今ここ」という時間を超えた場から離れると、様々な物語の中に埋没します。

その物語は全て原因や結果という因果律に縛られたストーリーです。それは「ああすれば、こうなる」「ああしなければ、こうできない」といった条件付けの世界です。

過剰な食欲も、「これを食べたら幸せになれる」「満足できる」という強烈な依存的な感覚が関連しています。

そうして必要のないカロリーを、ついつい摂取してしまいます。それは、強烈に強い物語への執着です。

前回の記事にも書きましたが、依存的な食欲は、食べた「今ここ」の瞬間よりも、食べる前の期待感(未来への期待)や、食べた後の短い時間の満足感(過去への振り返り)を満たそうとする欲求でいっぱいです。

何か食べている最中も、スマホやYouTube、TVや漫画、本を読みながらとか、考え事をしながら食べているものです。

つまり、食べている時でさえ、過去と未来を含む物語の中に埋没しきっていることに気がつきます。

「今ここ」という場から離れると、このように、よけいな過去や未来の情報(出来事)が入り込み、実際に食事を採っているという状態ではなくなります。

食べる瞑想

以前私は、マインドフルネスの実践会に参加した際、食べる瞑想や歩く瞑想をグループで行った経験があります。

「食べる瞑想」では、目の前に「白米のみでつくったおにぎりと、漬物が二つ」のみの昼食で行います。

その「食べる瞑想」では、最初に、おにぎりに丁寧に気づきます。おにぎりの白米の白さやつや、どのように白米一つ一つが組み合わさっているのかを丁寧に、数分かけて眺めます。

そして、やっと手に持ち、その手に持った際の重さ、手に触れた感覚に気づきます。

口の前におにぎりを持ってきて、その匂いや形に丁寧に気づきます。

ここまで10分弱ぐらい経っているでしょうか。

そして、やっと口の中におにぎりを入れます。

ゆっくりとおにぎりをかみ、白米が口の中に広がるのを気づきます。

同時に唾液が出て、白米が奥歯ですりつぶされ、唾液と融合し甘い味が出てくることに気がつきます。

また、唾液腺から唾液が出る感覚、唾液と白米が混ざって、刻一刻と味が変化する様に気づきます。

何度も口の中でゆっくりと租借します。まだ飲み込みません。

ファシリテーターが、飲み込む合図をしてから、ゆっくりと味わって飲み込みます。

おにぎりがのどを通過し、胃袋に入った感覚に気づきます。

こういうような感じでおにぎりを味わいます。

この経験は私の価値観を一変する大きな出来事となりました。

何でもない、塩も味も付いていない白米のみのおにぎりが、こんなにおいしいとはっ!!

そして昼食は、白米のみのおにぎりと漬物で、十分な満足感を得られました。

禅寺の精進料理が質素な理由を実感しました。

そしてその時体験した、美味しさは、今まで「美味しい」と言っていた味の種類とはまた違う美味しさでした。

そして、私は「おにぎりを今まで食べてことがなかった」ということに気がつきました。つまり、目の前のおにぎりではなく、何かを考えたり、何かを見て何かの情報を取り入れながら食べており、目の前の食事はメインではなく、その情報の媒体でしかなかったのです。

人間の生活は食べるだけではありません。

食事以外でも同じことが同様に言えます。

その後に歩く瞑想を行うのですが、歩くこと一つとっても神秘的で奇跡的なことだと気づかされます。

(食べる瞑想については、以下参考記事にどうぞ。)

「喜びから人生を生きる」

情報断捨離ということが流行り、スマホやパソコンを一定期間見ないでおくということが流行りました。

情報は出来事の集合体で、意味を持ち、エネルギーを持ちます。

その意味やエネルギーは自分で決めた意味とエネルギーではなく、社会や企業、他人が決めたものが殆どです。

スマホやパソコンに限らず、全ての事柄が出来事であり、情報です。

余分な食べ物を食べたり、必要以上の甘いものやお菓子を食べすぎてしまうのは、「今ここ」に広がる広大なエネルギーに繋がっていないので、そのよけいな他人のエネルギーに引っ張られやすくなっている状態でもあるのでしょう。

そうなると、極端な話、「痩せたり、美しくなったり、何かの資格や地位を手に入れると、幸せになれる」、という他人が創った物語に飲み込まれてしまいます。

それは条件付けのストーリーで、常に不安はぬぐえません。

先ほどの舌先の簡単なワークでも行ったように、私たち人間と気づきの関係は、魚と水の関係と同じように、私たちは本来は常に、求めていた安心と幸せな感覚の中に生きていて、それに「気づけば」その安心な故郷にいつでももどれます。

その出発点からダイエットのみならず全てのことを始めることが出来れば、人生や社会は全く違ったものになるでしょう。

ダイエットも様々な優れた方法があります。その優れた方法に、マインドフルネス(今ここ)という要素を取り一れると、より素晴らしい効果が期待できるかと思います。

日常生活の中で、あまりにも何世代に渡って「今ここ」の気づきに浸る習慣を忘れてしまっているので、1日に1分でも、「今ここ」にある気づきにフォーカスする習慣をつけると、

欠乏欲求から展開していた人生の物語から、充足感から展開する人生に書き換わって行くきっかけになります。

それは一言べつの言葉で言い表すと「喜びから人生を生きる」ということになります。















































































































































































































































































































































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