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夢は叶えるものではない

 誰の言葉だったか記憶が定かではないが、”夢は見るものではなく叶えるもの”と聞いたことがある。とても素敵な言葉だと思うし、受験のような大きな目標に立ち向かうときに心の支えとなってくれるだろう。しかしひねくれ者の私は叶わない夢や叶えない夢があってもいいと考えている。


幼いころの夢

 私には鉄道運転士になる夢があった。幼いころから外出のときには必ずと言っていいほど電車を利用していたことと弟が電車を好きだったことから自然と運転士に憧れを持った。小学校の卒業式の夢宣言で「乗り心地の良い運転をする鉄道運転士になります」と宣言したのが懐かしい。沢山の人の命を預かる責任の重さや秒単位での運行予定などにかっこよさを見出したのだ。中学生になると全国の鉄道会社のホームページを見て将来の就職先を探したこともあった。
 必要なスキルを調べた際に自分の想像していたものとは少し違うと感じたのだ。この夢を諦めたという意識は無い。

高卒で働きたい

 将来の夢がなくなった私が次に描いた夢は社会の役に立つことだった。中学生の私にとってそれは働くこととイコールだった。だからなるべく早く仕事に就いて働くことが一番の社会貢献だと本気で信じていた。高校も進学実績ではなく、地域ボランティアなど社会との接点が多そうなところを選択した。
 実際に高校生になると何もできない自分の存在に気が付いた。地域社会の役に立っているというよりも役に立ったと錯覚しているだけの自分がいた。ここではじめて大学に行って何かしらの専門性を持つ必要性を感じた。

教育に関わりたい

 思い返せば小6のときに出会ったアクティブ・ラーニングの本をきっかけに授業づくりに興味を抱いた。中学校では生徒会長として「誰にとっても居心地の良い学校づくり」をテーマにより良い授業のための企画をした。コロナの休校のため実現まで至らなかったのは悔しかった。高校でも探求のテーマに授業研究を選択したり、国際交流を実施し他国の高校生から各国の教育観を聞いたりした。
 ここまで教育が好きな私がなぜ教員になりたいと思ったことがないのか疑問に思う人もいるだろう。それは、教えるという行為が好きではないからだ。詳しくは今度かいてみようと思う。
 そのような私が教育に関わろうと思えたのは、社会教育士と呼ばれる立場の大人が進学した高校で高校と地域や大学をつなげる役割を担っているのを見て教育に携わる方法は沢山あると実感したことがきっかけだ。教師ではない立場から教育に関わりたい。それが大学受験にあたり言語化した夢だ。

夢を持つことの意味

 以上からわかるように私には一つの夢に向かって努力し続ける能力は無いらしい。その瞬間に自分の心が最もわくわくすることを信じて歩んできたことをあえて言語化すると、夢を叶えずに生きてきたと捉えられる。ただそれらは諦めでも悟りでもなく、より面白そうな夢が見つかったからに過ぎない。つまり私の人生は常により良いものへとアップデートされていると言えるのかもしれない。
 私にとっての夢は今この瞬間に自分が一番わくわくするものなのだ。夢を持つと自分が進むべき道が見えてくる。出会うべき人と出会える。

 


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