料理の話 2

母は私になにも教えてくれなかった。
人付き合い、マナー、社会性、常識、感情のコントロール、そして料理。

私が結婚すると、母はそれまで一切しなかった言動を始めた。

いろいろな物を詰め込んだ段ボールが届くようになった。
私のところに遊びに来ると言うようになった。

実家を出てから結婚するまで、母から私に何かが届くことは無かった。
当時仕事も忙しく痩せた私に米一つ届いたことは無かった。

周りの子の実家から届く荷物の片鱗を目に、耳にする度複雑な気持ちになった。

正確には一度だけ荷物が届いたことがある。
届いたのはさくらんぼ。

お友達とさくらんぼ狩りにいったそうだ。
一緒に行ったお友達も娘や息子や親せきや、穫れたてのサクランボを送ったのだろう。

「私も娘に送るわ!」
聞かれもしないのに言う母が浮かんだ。

長い一人暮らしの間、母から届いたのはサクランボだけ。

同様に、母が私に会いに来ることもなかった。

私の所に来たのは一度だけ。
大学の頃、借りていたマンションの管理会社に嘘を吹き込まれ怒り狂って突撃しに来た時。
娘の話は聞かないのに他人の話を鵜呑みにし一方的に罵ったあの時だけ。

そんな母が結婚後は一転した。

届きだした段ボール。
中にはいろいろな物が入っている。
実家は貰い物が多い。
そのお裾分けといったところ。
その段ボールの上には立派な苺の箱。
別の時はビールの詰め合わせの箱。

お礼の電話をすると母が言う。
「『夫』君が苺好きだって言ってたでしょ。」
「『夫』君はビール好きでしょ。」

段ボールの中に、九州でしか買えないからと私が帰省の度に買っていたお菓子が入っていたことは一度もない。

母の荷物の主張は夫へ向いている。
『私、いい母親でしょ』

母はお友達に言われたそうだ。
「一緒に旅行に行かない?娘さんが関西にいるのなら娘さんのところに行くついでにちょっと合流しましょうよ。」と。

母が私のところへ来ると言ってくるのはお友達に声を掛けられた時だけ。

口実が『私』のところへ行く、に置き換えられると父の許可が下りやすくお友達にも面目が立つのだろう。

そうして母がこちらに来て自宅で晩御飯を食べることになった時のこと。

母を楽しませるための小旅行で遅くなったため簡単なものでさっと済まそうと用意を始めた。

背後から母が言う。

「ちょっと見てなさい!私が作ってあげるから!」

母が我が家の台所に立つのは初めてだ。
勝手の分からない台所での料理というのはいちいち時間が掛かるもの。
この状況で勘弁してほしく、自分がやるからと断った。

母の機嫌が悪くなる。

私も疲れていたため、そして夫もいるので母のブレーキもそれなり効くだろうと無視して料理を始めた。

母の中では『私が料理などできるわけがない』という認識だ。
自分が一切教えないのだからそうだろう。

しかし実際は私は料理が出来るようになっていた。

母はそれを斜め後ろから一挙手一投足、黙って監視していた。

無言で腕を組む母が突然大きな声で言う。

「あんた!なにそれ!そんな切り方して!もったいなーい!!」

野菜の切り方についてのダメだし。
無視して続ける。

「えーちょっと、あんたそんなとこまで食べるの?そこ、うちではゴミよー!」

一層大きく、嘲笑を含んだ声を家中に響かせる母。

母がゴミと言ったのは白ネギの青い部分。

新鮮で柔らかそうだったため汁物に入れようと切っていたのだ。

くじけそうだった。

母のマウンティングが疲れた脳に付き刺さる。
母はリビングで座っている夫に聞こえる様に言っているのだ。

私は揉め事が嫌いだ。
嫌いなのに避ける器用さを持ちあわせていない。

この時は母に一つ料理を作ってくれとお膳立てし、丸く収めた。

翌日母は笑顔で帰って行った。

私も笑顔で見送り、言い様の無い感情は深いところに積み増した。

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