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魂を『有機物質』から『情報体』へ移す時代の到来

お願い:武術書などでよく見かける用語は、本来の意味として正しいかどうかまだ確証が持てないので、ここでは私独自の呼称を多く用いることを了承していただきたい。



自分が武術を通して感じるようになってきたのは、肉体にも意を通されて構築された『意体』とでも呼称すべき体があるということだ。

昔の人達はこの『意体』を通しての身体活用が達人で、現代人からすると発想すらできないような活用の仕方をしていた。

これはアバウトな想像ではなく、具体的な運用方法を伝授してもらった上で認識できた事である。
(恭しく「伝授」なんて単語を使うのも、その内容を体感すると「丁寧に扱いたい」と、精妙さにたいしての尊敬が沸き起こるからなので、この辺もご了承いただきたい。)

この意を通しての活用をしないままで武術の動作だけを真似してみても、それこそ絵に描いた餅の状態で、なんの力も持たない。

まずは身体の仕組みに則った上での力が出ること、さらにその力は意を通した力になることまでを経験すると、意の使い方によって自由度の高い身体運用が可能になる。

物理的な力なのに『意』自体は体の外にまで及ぶ事を発見すると、この「自由度」の具体性を理解できてくる。

体というものはこんなに奥深い運用ができるものなのに、時代はVtuberという仮想的な体(以後「アバター」と表記)での表現をする時代へ両足を突っ込んだ。

「Vtuberとはなんだ?」という諸氏の為に簡単に説明すると、まずは下記のURLを御覧いただきたい。

「A.I.Channel キズナアイ」
https://youtu.be/NasyGUeNMTs

これがVtuberだ。
アバター(仮想体)をまとい、YOUTUBEという動画配信コンテンツで自身の活動を配信する。

今の時代は、企業から個人までみんなこのアバターになることを望んでいる。
一億総Vtuber時代の幕開けだ。(「一億総」は例えです)。

どんどんその数を増やしているVtuber。
今や配信者も800人を超えるらしい(執筆当時。今は1600人を超えるそうだ)。

この現象は時代が進むにつれて顕著になっていったのだが、要因として武術レベルの身体運用ができる下地が社会から無くなっていっているのだろう。

過去の達人たちが残した身体運用は、現代では高度すぎて体現できる人は少なくなった。
また、そうした人達は社会へ発信する技術についてはほとんど修得していないので、単純に社会での認知度が足りない。

時代は「体を使わない」方へ進んでいっている。

高度な身体運用は専門技術化し、専門家を目指す人達の間でしか継承されなくなった。

「安全な社会」を目指すが故に、日常の中で体を活用する機会が減っていっている。
もはや肉体の存在意義が消えかかっている。
結果的にアバターそのものになって、肉体を無くしても構わないほどに。

少々突飛な話をしたが、今の段階としては芸能をしたい人にとって、さまざまなハンデを克服し有名人になれるチャンスだし、そうでない一般人でも理想のアバターで仮想世界に行き、理想の環境を楽しんでこれるエンターテイメントである。

「誰にも脅かされない脅かさない、理想の世界」として今の仮想世界はまさに理想的だ。

現実ではそんなことまではできない。
設定が名前や年齢、立場、見た目に縛られる。
できることも物理法則に縛られる。
多彩さは圧倒的に仮想世界が上だ。

時代の後押しを受けて、今後アバターの技術は飛躍的に進歩していくだろう。
視覚的な表現だけではなく、身体感覚も再現できるかもしれない。

そんな技術が現実になった時、武術の緻密で精密な仕組みと操作を実現するアバターが現れるのかもしれない。

『身体感覚を得たアバター』。

これは新たな地平を切り開いていくのではないだろうか。

2018/04/20 仙龍雲 空人

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