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弱い人間と強い人間はどう違う?


先日、友人に「あなたは弱い人間の気持ちがわかってない」と言われました。
その時は「そうなのかなあ」くらいで済ませていたものですがよくよく考えてみると興味深いな、と。 そもそも弱い人間と強い人間ってどう判別してるんだろね?

私の答えは「そもそも初めから強い人間なんているわけねえだろ」です。

今から書くことは完全なる私の自論。

人間スタートは皆同じです。ただ手持ちのカードが違います。そのカードは環境だったり身体だったり様々な事柄に影響しますが与えられる札は完全にランダムです。
最近は「人生100年時代」なんて言われてますが、手札のカードで100年単位の時間を過ごしていくわけです。

ただ手札を増やすことはできます。
それは生きているなかで何かをしたりしなかったりすると手に入ります。
ポジティブなカードかネガティブなカードかは時の運と持ち主の使い方次第です。

時に私はよく人から「強い」と言われます。

持論になぞらえて行くと、
私は、香川県のとある町で高卒の母と農業高校卒の父の間に生まれ11個年の離れた兄を持ち、衣食住には困らない環境を手にしている。 容姿は可もなく不可もなく。鼻が少し低くて背が小さい。これが生まれ持ったカードです。

そして21年間で様々なカードを獲得しました。

「不登校」「抜毛症」「恋愛依存」「快楽依存」「破局」「自殺未遂」「うつ病」「孤独」 「読書体験」「人との対話」「バーテンダー」「カフェ店員」「営業トーク」「音楽趣味」「物書き」「オタク」「友人」。

これらのカードを総体的に見てなのか局所的に見てなのかはわかりませんが、誰かは私を「強い」と言います。たまに「弱い」とも言われます。 この中には手持ちから消えたカードも消したカードも、消えたと思っているけれど実は手札にまだいるかもしれないカードもあります。そして意識的に増やしたものもあります。

生きやすくするための方法。

それは人生における局所、バトルで使えるカードを増やしてしまえばいいんです。もしくは使いたくないカードを消してしまえばいいんです。
それができないなら手持ちのカードに合わせた闘い方を覚えればいいんです。なんなら戦闘から逃げたって構いません。それはゲームから降りるのではなくバトルから降りるのですから。
「先手必勝」「後手必殺」なんて言ってないで闘わなければ絶対に負けることはありません。

言わば手札のカードでどれだけ上手いプレイングができるか、ということです。プレイングが下手な人間は弱い、プレイングな上手な人間は強いとみなされます。
強いか弱いかは手札の問題ではなくそいつの戦略の問題です。個人的な考えですが、プレイングが下手なら自分のアラを探してプレイングを変えるなり上達するなりすればいいと思います。強要はしませんが。

何が言いたいかというと「そいつの生き方次第なんだから知ったこっちゃねえ」です。

ここで大事なのは本当のところ強いか弱いかを決めるのはあなた自身ということです。 あなたの冒険の書はあなただけのものです。ページをパラ見しただけの輩にとやかく言われようが全ページあなたの所有物です。他の人間に所有権などありません。

長々とお話しましたが人生って案外ゲームみたいなもんだよなあ、とぼんやり考えたりします。
結局のとこゲームなんだから楽しめばいいんじゃないかな。終わりはあるんだし。

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