吉田松陰[1]/山岡荘八 著 読書感想文②
※松次郎、大次郎は吉田松陰の幼名
吉田松陰 長崎遊学
大次郎15歳になり、名を松次郎と改名します。
養父、吉田大助の弟子に世界地図を見せられ
国難が迫っていることを知らされます。
アメリカが、自由に貿易させよ、さもなくば攻め込むぞと脅してきたのです。
しかし、いまの日本にアメリカを打ち払う力は
ないとの事。
日本は神の国であり、誰にも負けないと思っていた松次郎はショックを受けます。
日本は徳川幕府以来、300年平和に過ごす事に
努めました。
なので、国防は疎かになっており、まさか広い海の向こうから船がやって来るなんて誰も予想していなかったのです。
「平和ボケ」ですね
日本弱体の事実に動揺し、苦悩する松次郎
そんな自分を反省し、名前を元の大次郎に
戻します。
考えを改めて文武両道に励み、自らを鍛え直し
西洋の見識も深めていきます。
その中で、養父の同期と出会い、より精巧な
世界地図を見せられ、アメリカ、フランス、ロシア、オランダの船が続々と日本に来ており、
いよいよ大国難であることを知らされます。
そうして視野は広がり、日本が負けてなるものかと、志を作りあげていきました。
大次郎20歳になると、11歳の時から目をかけて
くれている藩主、毛利氏の計らいで、見識を広めるため長崎に行く事になりました。
旅の途中、風邪を引こうが、ステキな女性と
結ばれるチャンスがあろうが関係なし
勉強ばっかりの大次郎
「いやいや、国難の時だから急いでますんで」
なぜなら出発前、叔父から「日本一の藩公(毛利氏)
には日本一の軍学師範が必要だろう。
それはお前だぞ」とおだてられ、燃えていました。
長崎での大次郎は、外国船を生で見たり
有名な先生に、忖度なく自分の意見をぶつけたりしました。
「今起こっている大国難は、徳川幕府が天皇を
蔑ろにした罰です❗️」と
これは養父、吉田大助が書いた書「王覇の弁」に書かれている。
「王」が天皇 徳によって万民を治める
「覇」が幕府 武力によって治める
武力政治は均衡が崩れると崩壊する。
徳による政治にそんなことはあり得ません。
当時の将軍、徳川家斉は贅沢の限りを尽くし
一方の天皇の生活は、かなり質素で困窮していました。「王」と「覇」が逆の状態です。
将軍が天皇を蔑ろにするということは
それに連なる各藩も同じ罪
それは自分の主君の毛利公にも当てはまると
ハッキリ言いました。
吉田松陰は一君万民論というのを唱えています
一君万民論(いっくんばんみんろん)とは、ただ一人の君主にのみ生来の権威・権限を認め、その他の臣下・人民の間には原則として一切の差別・身分差を認めないとする思想・主張である。
(wikipediaより)
天皇は天照大神の子孫なので「神の国」
その下に皆、平等という思想なんですね。
長崎の平戸で出会った宮部鼎蔵と出会った時、ある議論をしています。
孟子曰く、民を貴としと為す。社稷之に次ぐ、君を軽ろしと為す。
※社稷…国家
民を幸せに出来ない君主は君主の資格はない。
その思想で古代中国では、戦が絶えず、何度も
君主が代わりました。
日本は天皇を中心に「和」の精神で、日本は守られてきました。それだけ君主を神聖なものと思っていたのですね。
当時の日本は、君を貴としと為す。社稷之に次ぐ、民を軽ろしと為す。
中国と逆です。
宮部鼎蔵は尊王について、大次郎を試します。
宮部「中国の思想にとらわれた賊が、
民を幸せに出来ないならと、天皇を攻めたらどうする?」
吉田「説得してみるけど、ダメなら戦争するよ」
宮部「天皇が『戦争なんてもってのほかじゃ』と
戦いをやめさせるように追手を差し向けたらどうする?」
吉田「吉田が正しいと悟ってくれるのを待つよ」
宮部「天皇の追手が来ても抵抗しないの?」
吉田「君を貴しだから抵抗しないよ」
宮部「天皇がお怒りになって吉田の首を刎ねよと言ったら?」
吉田「死ぬしかないね」
宮部「吉田の連帯責任で全国民が被害に遭っても?」
吉田「『天皇は絶対』という理を曲げない所が
神の国の民だからね」
それを聞いた宮部は同じ尊王思想を持つ
大次郎に感動し、意地悪な質問をしたことを
謝り、友達になります。
天皇は神様の子孫とか、なんだか宗教的な話に
なってきました…
私が授業を聞いてなかったのか、初めて知ること
ばかりです。
③に続きます
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