吉田松陰[1]/山岡荘八 著 読書感想文③
↓前回記事
長崎から戻った大次郎(松陰)は藩公、毛利敬親に宛てて
毛利藩はこうした方がいい、ああしたほうがいいと上申書を書きます。
藩の重臣は生意気だと怒りましたが
主の毛利敬親は
「はっはっは🤣あいつも言うようになったのー」
と笑い飛ばし
「大次郎に江戸を見せてやろう」
と、大次郎の江戸行きが決まりました。
江戸を見た大次郎は、故郷の萩とは全く違う
先進的な文化と学問に愕然としました。
長崎で出会った宮部鼎蔵と再会し、江戸の海岸の警備の薄さに
また愕然とします。
東北に外国船が頻繁に出没していると聞き
宮部鼎蔵と、盛岡藩の安芸五蔵の3人で東北の海岸の警備の様子を見に行く計画を立てました。
東北に行くのに藩の許可がいるにも関わらず
なかなかOKが出なかったので
藩の許可を待たずに、江戸を飛び出して行きました。
脱藩は死罪です。
大次郎は死罪だろうが国難の最中、じっとしていられなかったのです。
東北に行く途中、3人で兄の敵討ちを計画していた安芸は、酒や女遊びに慣れてない、国難を免れる為なら死を恐れない
大次郎の真っ直ぐで純粋な人柄に触れ
仇討ちには巻き込めないと思いました。
安芸「仇が盛岡から江戸に帰ってしまったのでやっぱり1人で仇討ちに行こうと思う。」
大次郎「えっ⁉️私が何か悪い事をしましたか⁉️
友として生死を共にしようって言ったじゃないですか❗️江戸に戻って仇討ちしましょう❗️」
安芸「いやいや、これ以上旅の邪魔は出来ません❗️」
大次郎「急になんでそんな事言うんですか⁉️宮部くん、なんとか言ってやってください❗️」
宮部の説得で安芸と別れる事になった大次郎は
東北の沿岸警備を見てまわり、萩に戻りました。
脱藩の罰として、吉田家取り潰し、武士の身分を剥奪されました。
毛利敬親「我が国の宝を失った😭」
しかし、藩公の情け(好意?)により、異例の10年間諸国遊学に行く事になります。
このころ、虎次郎と改名しました。
(感想)
安芸五蔵が吉田松陰の純粋さに徐々に気づいて
恐ろしくなり、逃げ出してしまったエピソードが
おもしろかったです。
しかし、武士道にある
忠孝・尚武・信義・節操・廉恥・礼儀
という日本人が忘れている大切なことを
吉田松陰に教わりました。
学問への努力と、徹底した武士道、国や藩に対する忠誠が毛利公の心を動かしたのだと思いました。
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