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漢文って必要ある。と思います。


こんにちは。
昨日に引き続き記事を投稿したいと思います。
最近ツイッターをやっていて目にしたのがこれです。



さすがに影響力のある人がこんな誤解を招くようなツイートをするのは納得がいかなかったので、自分の意見を記事にしたいと思います。


RADWAMPSのボーカル野田洋次郎さんのツイートです。フォローしているわけではなくリツイートで流れてきました。



野田洋次郎さんは慶應義塾大学環境情報学部を中退した経歴を持つ、自分の先輩にあたる?人ですね。曲はちょくちょく聞いたことがあったのですが、慶應に入学していたことは知りませんでした。


ここからが本題で、このツイートに関して賛否両論あると思いますが、皆さんは漢文って必要だと思いますか?


結論から言いまして、私は必要あると思います。その理由を3つ紹介というか説明したいと思います。


1つ目に

私たちは日本に生まれたからです。
私たちがアメリカ人なら漢文は習う必要はないのは自明だと思います。しかし、私たちは中国のすぐ隣、嫌でも昔から影響を与え、受けてきた過去があります。日本の文語文は漢文の影響を強く受けていると言われています。

明治から昭和後期にかけて公文書や新聞・雑誌に用いられた「普通文」と呼ばれる文語文(文語体日本語)は漢文訓読体の影響を受けて発達した文体であると考えられている。

私たちのアイデンティティを読み解くツールとしても漢文は大切だと思います。
文化人として、隣国の文明について知らない、関心がないのは少し残念な気がします。


2つ目に
東洋の大文明の知見・思想を漢文の知識を通して学ぶことができるからです。

漢文の授業で漢書を読めるようになれるとは思いませんが、
クラスに1人でも漢文を通して中華文明に興味を持ち、その興味を広げていけたら、漢文の授業に意味があると思います。
私自身も漢文の授業を通し中国への関心がましたし、中国人の文化・風俗を学ぶことができました。

これは浪人期に東大漢文集中講座かなにかを本郷で受けていた時にでてきた白居易の詩の一節です。 自分の部屋に未だに貼ってあります。


簡単に要約すると千里の道も一歩から始まり、どんなに高い山もすごく小さな塵からできているように私の道はあり、日々成長することを貴ぶ。

最後の行がうまく訳せなかったので、だれか知っている方いましたらコメントください🙇‍♂️


3つ目に

漢文の訓読法は先人たちの進んだ文明の情報を必死で取り入れていこうとして開発された努力を賜物であるからです。

漢文訓読(かんぶんくんどく)とは、文語体中国語の文章である漢文を文体をそのままとして、符号(返り点)・送り仮名などを付けることによって日本語の語順で読解できるようにすること。
レ点とか一二点とか使って無理に日本語で訓読できるようにすることにどれだけ意味があるのだろう。

なんか他人の努力を意味のないことと批判する感じの悪い人にしか見えませんが。訓読法がどのような背景でできたとか知識がなかったのなら仕方がありません。


何が言いたかったといいますと

野田さんの批判がしたいわけではなく


漢文の授業を大切にしてほしいなってことです。


#漢文 #radwimps #野田洋次郎 #大学生 #東大受験 #慶應


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