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『楽園のカンヴァス』

📒『楽園のカンヴァス』
(La toile du paradis)

原田マハ 2012

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Yadwigha dans un beau rêve
S'étant endormie doucement
Entendait les sons d'une musette
甘き夢の中 ヤドヴィガは
やすらかに眠りに落ちてゆく
聴こえてくるのは思慮深き蛇使いの笛の音
・・・


「2000年 倉敷」
大原美術館のスタッフが動揺する。ニューヨーク近代美術館(MOMA)より「アンリ・ルソー」の世界的名作「夢」を条件付きで貸し出してもよい、との連絡が入ってきたからである。その条件とは、この大原美術館で監視員として勤務している「早川織絵」をニューヨーク近代美術館の「夢」の前まで寄越すように、というものであった。

「1983年 ニューヨーク」
キュレーター、「ブラウン」はある日スイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのは巨匠ルソーの名作「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋判定した者にこの絵を譲ると告げ、手がかりとなる謎の古書を読ませる。タイムリミットは7日間。ライバルは日本人研究者。
「この作品には、情熱がある。画家の情熱のすべてが。・・・それだけです。」

「2000年 ニューヨーク」

「PIASSO」
「PIASSO」+「C」=「PICASSO」
「PIASSO」+「N」=「PASSION」

夢をみたんだ。ー君に会う夢を。

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🖌️
アンリ・ルソーは画家を志したこともなく、美術教育を受けようと思ったこともありませんでした。彼のニックネームは「税関史ルソー」。税関の門番をしていたのですが、40代になった時に突然、税関を辞めて絵描きになります。ルソーは大胆にもサロンに入選すると信じて一生懸命に絵を描きます。もちろん技術も何もなくて落選し続ける日々。それでも自身は満足しながら絵を描き続けていました。そんな折、誰でも出展できる無審査の展覧会「アンデバンダン展」が始まると、これに活路を見い出し、毎年出展し続けます。毎回ルソーの絵の前には人だかりができるようになります。・・・みんな絵の前で腹を抱えて笑っている。あの親父、また変なものを描いていると。新聞やメディアも揶揄する。「アンリ・ルソーの作品、大評判、一番人気」・・・皮肉な記事であるのに、ルソーは画家として認められるようにになったと、嬉しくてスクラップしていたという。笑われようが貶されようが、多くの人達に自分の絵を見てもらえると喜んでいました。彼は幸せだったのです。
ルソーは妻に先立たれ、子供達も先に亡くす。孤独のうちに病に苦しみながら最期を迎えます。絵を描いている時は幸せだったのです。絵の中なら夢の世界へ旅立つことができる。絵を描きながら実際にその夢の世界を生きていたのです。

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