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遅いことは悪いことではないと思う

こんばんは。

今日も脚というかお尻が痛くて
昨日よりは少し引いてきた気はしますが
角度によっては痛みが走るので
運動はお休みにしました。

3歩進んで2歩下がるくらいのペースなら
私としては上出来なのですが
1歩進んでしばらく休むというのは
まるで進んでない!

痛みを我慢して動かすと
いろいろと長引きますので
ここはちょっと我慢です。

さて、今日のタイトル
「遅いことは悪いことではないと思う」について

私が今回退職に至った理由の結構な部分は
仕事のスピードが遅いことでした。

一つ教えたら10を察してというのは私には無理で
仕事を覚えるためにはパターンの蓄積が必要なので
どうしても時間がかかってしまいます。

同じことかなと思えることでも
なんか微妙に違うと確認せずにはいられなくて
結果、仕事が遅くなるという。

覚えるのも行動するのも両方遅くて・・・
確かに嫌ですよね。一緒に働くの。

相手の立場に立てば
怒りたくなるのも分かるし、
怒られても仕方ないと思います。

回想はここまで。

私は普段の行動もやっぱりのんびりしているので
早口で説明されると途中から分からなくなります。

すごい勢いで会計してくれるのも
確かに助かるのですが
レシートとかカードとかしまう余裕もなく
急いでその場を離れて
離れたところでもう一度荷造りします。

会計したら早くどいてって言われてる気がして
焦ります。

速さが美徳とされるこのご時世ですが、
本当に速さについて行けなくて
どこに行ってもすごく疲れます。

こういうのって
私だけなんだろうか?
私が特別ダメ人間で
私だけが流れについて行けていないんだろうか?

ふと、そんなふうに思いました。

うちの両親は後期高齢だから
チャキチャキ動けないお年頃になり
お耳も遠く
そんなときはちょっと手伝ってあげると喜びます。

お店とかでも
ゆっくりでごめんなさいねって謝っている方も
見たことがあります。

全然悪くないのに
世の中のスピードよりも行動が遅くなると
謝らなくちゃいけない。

それってどうなんだろう?

速さを求めない場所があってもいいのかなって
ふとそんなことを思いました。

私は速く行動はできないけど
ゆっくりは得意です。

待つのも得意です。

待つといっても
待ち合わせに遅れてくる人とかは嫌ですけど
ゆっくり歩くとか
字を書くのがゆっくりとか
しゃべるのがゆっくりとか
そういうのは全然気にならない。

むしろ、私はその方がうれしい。
自分も遅いから(笑)

それって時代には合っていないかもしれないけれど
小さなニーズはありそうだなと思ったりしました。

遅いことで怒られて謝ってばかりの生活でしたが
ゆっくりを喜んでくれるってことも
あるんじゃないかなと思いました。

具体的に何か思い浮かべて書いているわけではないので
あくまでも私の頭の中での妄想なんですけど
そんなゆっくりの世界が
あってもいいなと
いやいや、あって欲しいなと思いました。

今日は自分の行動の遅さについて
前向きに考えてみました。

では、また明日🍀









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