透明化されたマイノリティー


日々社会に生きるなかで、大多数の少数派と呼ばれる人たちは息を潜めているように思う。出る杭は打たれるというが、

世の中では例えば、
男性が髪を伸ばしたり化粧をしたりすると気持ち悪がられるし、
女性が髪を短くしたり化粧をしなかったりしても気持ち悪がられる。

世間一般の暗黙ルールは、あまりにも性別によって決められすぎている。
特に日本は外見が少しでも可笑しいと揶揄する傾向があるように感じる。まぁ他国がどうかなんて知らないが。

皆同じでないとおかしい、少しでも出る杭は打たないと不公平だ、そういう価値観が安定をもたらす反面、生きづらいと感じる人間が『透明化』されている。

そうして、性別だけでなく障害の有無や持病の有無、子どもの有無、婚姻歴の有無など、さまざまな基準すべてが満たされていないと可笑しいという世の中になってしまっている。
その価値基準全てが標準でいられる人はどれほどいるだろうか。

私の会社はあまり体調不良で突然休む人を見かけないが、もし自分が突然具合が悪くなっても休みづらいだろうし、女性の場合は生理痛が酷い場合休みづらいという問題は社会に内包されている。
もちろん、男性の場合も持病を抱えている等で突発的に休みたい場合もあるだろう。

そういう、『当たり前』を維持するために、目に見えて問題がある人は排除されるので、『いない』ことになっている。


つい最近、Twitterで見かけたつぶやきに、何となく言い知れぬ嫌悪を抱いた。批判したいというより、何となく嫌な心地になった、というだけだが。

ただ、よく考えれば、この人はセクシャルマイノリティーが異性愛者を『ヘテロ』と呼ぶのだから、同性愛者を『ホモ』と呼んでも差別用語にならないのではないかと言っているだけなので、主張としては間違っていないかもしれない。ただ、正しくもないと思う。

このツイートは恐らく、『ヘテロ』と『ホモ』を同列に扱っていて、
ホモが差別用語=ヘテロも差別用語、ホモが差別用語でない=ヘテロも差別用語でない
と考えているように見えるが、それは少し乱暴に思える。


『ホモ』という言葉を差別目的に使う人間が歴史的に多かった経緯があるので、単純に『ホモ』(レズビアンの場合は『レズ』)という言葉は当事者にとって差別的に聞こえて、言われると傷つく人もいるのではないか?と考えてほしいと思う。

例えば自分で自分を卑下して『バカだからさ~』ということはあっても、相手にバカと言われたら傷つくのと同じではなかろうか、といったことが下の記事で書かれていて、個人的には共感した。

※下記リンクを参考にしています。

だから相手が『ヘテロ』と言われて傷つくなら、『ヘテロ』という言葉を使うべきではないだろう。
セクシャルマイノリティー側が差別的に『ヘテロ』という言葉を使えば、このツイートの信憑性は増していくし、やがて『ヘテロ』も差別用語になりかねない。

ヘテロ、ホモ、LGBTとカテゴライズして相手を呼んで、批判的にツイートをする場面を最近見かける気がするのが、何となく嫌だ。

全員違う人間だし、そもそもネット上では声がでかく見えるかもしれないが、普段の日常でセクシャルマイノリティーが出しゃばっている所を見たことがあるのだろうか。

少なくとも自分は自らマジョリティーを演じて隠し通そうと思っているが、それが正しいとも思っていない。マイノリティーが普段の日常でも出しゃばると迷惑だから、こうしてネット上でも批判的に見られがちなのかもしれない。

※ただし、マイノリティー側が強く批判的に主張する場合もあり、強い主張ほど拡散されがちなので、双方相手を傷つけないための配慮が必要だとは思う。


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