見出し画像

皆さん、自分で作った不安に踊らされているだけなの(美輪 明宏)

私は不安を感じやすい性格で、不安という言葉に親しんでいると思います。おかしな言い方ですが、不安という言葉と私は、残念ながら仲良しだなぁと思います。

例えば、朝起きたとき。何となく不安を感じます。人と話すとき。会議の前。月末月初、将来の事を考えて、きっかけは何でも良く、どんな事からでも不安を感じてしまいます。

あまりにも不安を感じた時に、不安は体力を奪うので疲れてしまい「私、何でこんなに不安を感じているのだろう」と、ふと思い、立ち止まって考えてみると不安を感じる必要など、全くなかった。。。と驚く事がありました。

私の場合、不安は仕方のないもの。のような気がしています。もしくは、解消しにくいもの。

ですが、実際は不安は自分の解釈からやってくる事が多いように思います。
あの人に嫌われているかもしれない。
将来が不安(病気になるかもしれない。お金が足りなくなるかもしれない。一人になってしまうかもしれない。)
実際に目の前におきていることではなく、未来のことを想像して、推察し、解釈して想像して不安を感じています。

不安を、過去に思うことは難しいです。
同様に、今ここで起きている事に思うことも少し難しいと思います。

不安はまだ起きていない事について、想像し思うこと。
ですが、不安に慣れ親しんでいるとどうでしょうか。

不安は、現実、事実だと思ってしまう。そんな事ないでしょうか。
では、なぜ不安というものが存在するのでしょうか。

人それぞれあると思いますが、私は自分を守るため。予測して被害に遭わないように、不安というものが存在しているように思います。

うまく生き抜く為に、不安は未来を予測し私を守ってくれます。でも、それが過剰になると、被害妄想や心身の疲労につながります。

あなたが今、感じている不安は、あなたを守る為の過剰な推察になっていませんか。もし、不安でどうしようもないと思う時間が長いと感じる方や、不安に体力を奪われて疲れてしまっている方は、自分の不安をメモに書き出してみてください。

そしてそれが、事実なのか、推察なのか。客観的に不安を判断して、不安に振り回されないようにしてほしいなと思います。

今日もお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?