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第4話:おばあちゃん

おてんとうさま

おてんとうさまに
恥ずかしくないように
生きなさい

いつもおばあちゃんは
そう言った

ふと見上げると
頭の上には
青い空と
ほっかりと
おだやかな
おてんとうさま

正しさとは
案外
そんなものなのかもしれない


これもまた愚話である。

学生時代、ガラにもなく思いっきり贅沢をしてみたいと思うことがあった。別段これと言って深い理由があるのではなかったが、時としてほとんど衝動的にそんな思いに駆られることがあったわけである。

しかし金の無かった僕に許されることと言えば、せいぜい350円の定食を600円にする位が関の山であり、そういうときには何かいたたまれないような気持ちになりながら四畳半の下宿の隅でひざを抱えてはモンモンとしていたのを覚えている。

それでそうした気分から逃れるためにてくてくと10分くらいの道を歩いて、よく銭湯に出掛けた。
銭湯とても入るには1回1ドル何セントかがかかるわけで決して安いとは言えないのだが、あの大きな湯舟に浸かってボーッとしているのは何とも気持ちが良い。思いっきり汗を流して湯上がりにトマトジュースでも(無論ビールの方が良い)飲めばもう最高に贅沢な気分になれる。
安上がりな人間と言えば言えないことはないが、僕にとってはこれが“惨めさ”脱出の最高の方法であった。


今、教員となり給料を貰う身となったが、何故かやはり僕には金が無い。
そしてやはり時々贅沢の衝動に駆られることがある。また銭湯にお世話になれば良いのだが、不幸なことに今は近くに銭湯がない。そこで今度は下宿の風呂に満々と湯を沸かしてそれに入ることにしている。湯の中に体を沈めて行くと桶のふちから盛り上がるような厚みをもって湯が溢れだし、ザザァーという音がして湯気が浴室に立ち込める。そのときの爽快さがたまらない!というわけである。
「なんとみみっちいことだ」などと思わないでいただきたい。幸福についての価値観すらも容易には定め難い世の中なのだ。


全く話は変わるが、僕の家は農家だった。父親が片足を失ってからは兼業だが、米も野菜も、少し前まではイチゴも作っていたそこそこの農家である。
子供のころはよく手伝いに駆り出され、田植えをすればヒルにかまれ、カエルを踏み潰し、稲刈りをすれば鎌で手を切ったりしていた。機械と言えば耕運機しかない時代のことで、子供の僕には重労働であったように記憶している。

ただ一つの楽しみは昼ごはんであったが、家に帰るのではなく、田んぼのすぐ脇に風呂敷めいたものを敷いて皆で車座になって食べた。オムスビなどではなく、ちゃんとチャワンをもって来て食べるのである。
その昼ごはんを運んで来るのがオバアチャンの役割で、オバアチャンの姿が現れると午前中の仕事が自動的に終わりとなった。だから僕にとってオバアチャンは仕事から解放してくれる神様のように見えたことになる。


そのオバアチャンが、ある日、運搬途中に知り合いのオバアサンと話をしているうちに乳母車が坂を転がり出して、積んでいた昼メシごと全部川に落としてしまったことがあった。

オバアチャンは「オレはなんて馬鹿者だ。ああ申し訳ない。」と言いながらもう一度炊き出しに家に帰ったが、その日の昼食も夕食も、自分はその川に落ちたものを食べた。
普段から蟻だろうがコクゾウだろうが、食べ物に入っているものは何でも食べてしまった人だが、さすがに「悪い菌でもついていたら」と皆で止めた。しかしオバアチャンはまるで聞く耳をもたず、頑としてそれを食べてしまった。

一事が万事、オバアチャンという人はそういう人だった。いかにも昔の、いかにも田舎の、貧乏な暮らしの中で身につけた、愚かと思われるほどのそういう一途さや素朴さを、僕はこんなたわいのない出来事の記憶と共にふと懐かしく思い出すことが今でもある。

こんなことを書いたからと言って、別に、贅沢をするな!などと言おうとしているのではない。ただ時々、贅沢など何も知らず、恐らく自分の幸福ということすら殆ど考えたことがなかったであろうオバアチャンの、そういう一生とはいったい何だったのだろうと考えずにいられないときがある。自分の在り方や行き方を考えるとき、何か複雑な思いがしたりするのである。


もっとも、僕が今でも800円以上の定食を食べるのに相当の覚悟を必要とするのは、単なる貧乏性のゆえであり、むしろ学生時代に800円しか持たずに1600円のステーキを食べ、身分証明書を「一時預かり」された上に、その夜、腹をこわしたという単純な理由に基づいているものと思われる。

(土竜のひとりごと:第4話)



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