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第47話:親という夫婦

オヤジとオフクロは詰まらぬことでよくケンカをしていて、正月に帰省するたびに、それぞれがそれぞれの愚痴を僕らにのたまった。

聞いている僕らにとってそれは結構に辛辣な言葉として響く種類の「お言葉」なのだが、当の本人達は極めてあけすけに、何の陰気さもなく、お互いに聞こえようが聞こえまいが構わずに言いのけている。

息子たちやその嫁たちを媒介にして夫婦喧嘩などしなくてもよいとは思うのだが、そういう大人げないオヤジやオフクロをほほえましく見ながら、僕らは正月を過ごすことになる。

例えば、ある年は、オヤジがあるスポーツ店の商品券を手に入れ、それで僕に何か買ってやろうと言い出したが、僕も今更オヤジにものを買ってもらう歳でもないから、「オレはいいから自分のものを買えば。これなんかどう?」と誘導し、藤色のトレ-ナー地の服を買って来たのだが、その時オヤジが一言「お前と来て良かった。バアサン(オフクロのこと)に選ばせると腐ったような汚い色のしか買って来ない。全くセンスがねぇ」とのたまふ。

家に戻って早速オヤジはその鮮やかな藤色の服に着替えることになるが、それを見てしばらくしてオフクロは「全く性格は地味なくせに派手なものを着たがるんだよね。申(猿)年生まれだから赤っぽいああいうのが好きなんだよ」と言い、「申だから」と繰り返した後で「私は亥(猪)だけど4月生まれだから、性格は犬に近いから合わないんだよ」と言う。
犬猿の仲だと言う訳である。

どちらにどういう正しい言い分があるのだかは知らないが、夫婦というものについて客観的に勉強する機会を得ることができ、甚だ良質の教材として闘いの有り様を見ることはできる。

その翌年、このオヤジとオフクロ、やはり似たような冷戦の状況になったことがあった。その時はオフクロの実家に行っていた時のことで、僕らはオヤジを残して僕の車で一足先に家に帰ることになった。オフクロは車に乗ってしばらくは例によって文句をブツブツつぶやいていた。

別に同意もせず否定もせずに、カミさんと二人で聞くだけは聞いていたが、車が家の近くに来た時、どうしたことがカニが一匹車の前方をトコトコと横切っているのが目にとまった。

カニが出没するような場所でもなく、カニが車道を横断している光景も決して日常的な風景ではなかったから、僕が思わず「おっ!カニだ」と言うと、後部座席にいたオフクロが身を乗り出して来て、そのカニの姿を自分の目で確認するや否や「止めてっ-」と叫んだ。

その声に驚いて慌ててブレーキを踏むと、オフクロはいきなりドアを開けてバタバタと外に駆け出したかと思うと、道の真ん中にいたカニを手にしてスタスタと戻って来た。

危ないところでひょっとしたら車に引かれていたかもしれないカニ君、「オフクロに命を救われたか」とオフクロの優しさにしばし心を打たれていると、果たして戻って来たオフクロもカニを見てニコニコとしている。

見ると大きめの元気の良いサワガニだったが、ふとオフクロが何故カニを逃がしてやらずにここに持って来ているのかが気になって「どうするの?」とオフクロに尋ねると、「お父さんの機嫌を損ねちゃたからね」と相変わらずニコニコしながら言う。

オフクロの言葉の意味がつかめず一瞬沈黙が走ったのだが、オフクロは続けて「お父さんの大好物なのよね、これ。今夜はカニ汁にして、これで仲直りしよう」などと言う。

瞬時に僕は子供時分によく見た鍋一杯のカニ汁を思い浮かべ、あのトコトコと走っていたカニが数時間後にはコナゴナに砕かれて煮られてしまう様を想像して暗い気分になり、いたずらな感動などせねばよかったと反省をしてみたりもしたが、もう遅い。

こんなところにウロチョロしているカニだから、大方どこかの家でカニ汁になるところを逃れて来たのだろうに、はからずもオヤジとオフクロの夫婦喧嘩の仲直りのためにその身を犠牲にしなければならないとは、かわいそうなことである。謹んで哀悼の意を表したい。

それにしてもこういうイタイケな生き物を犠牲にせぬよう喧嘩もそこそこに慎んでもらいたいものだと思わないではない。 僕らはそのまま実家を去ってしまい、事の顛末を知らない訳だが、後に電話があった時にそのことを確認すると、「うまくいったよ」というオフクロの返事だった。「一匹だけだから味がちょっと薄かったけどね」と言っていた。

カニ汁一杯で機嫌を直してしまうオヤジもオヤジだが、ケンカしながらも、しっかりオヤジをさばくコツを握っているオフクロもオフクロである。

何十数年を一緒に暮らすということはこういうことなのだろうかと思う。

「親たれど所詮は夫婦である」ってなことを感じたわけで、カミさんの機嫌を損ねると必ずケーキを買って帰る自分を思い出しながら、これがひょっとしたら遺伝だと怖い、などと思ったりもした僕なのであった。

(土竜のひとりごと:第47話)

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