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駄々をこねる日記

4月2日——深夜テンションの殴り書きに、少し追加。



 浪人した。正確には現在進行形で浪人。何でこうなったかといえば長くなるが、簡潔に言うと自分の気持ちを曲げたくなかったからだろうか?

以下、浪人に至るまでの経緯

  1. 文学が好きで、理系だったが親の希望を突っぱね文転。
    大学ではせっかくだから好きな事を学びたいと文学部を志望。就職せず作家になりたいと思う。

  2. 凡そ400万溶かして就職できず最悪ニートになるかもしれないという未来に怯える。
    親が自分の志望校の悪口を言い出す。
    周りがどうして「合格して周りを見返す」だの「キャンパスが綺麗だから」とかいう理由で勉強ができるのかが全く分からなくなる。

  3. 成績が伸び悩む。もう12月なのに親に理系の国立大を薦められる。第一志望のE判定に言い訳をしだす。もう大学いければ良くないか?生きてさえいれば良くないか?本なんてどこでも読めるしとか考えるようになる。

  4. 親が唯一認めた私大があってそこの文学部を併願校にする。
    第一志望を諦めきれず突っ込む。落ちる。

  5. 親が認めてくれた学校に進学することが決まる。

  6. 入学金を払い忘れる

  7. 浪人が決まる

 こうやって書いてみると私、自分で思ってるよりも屑だな。そして浪人も全落ちとかじゃなくて、結構珍しいタイプの浪人。でもね、入学金払い忘れたって気づいた時に最初にやってきたのは、ほっと肩を撫で下ろすような安堵だった。ほんとは大学なんて行きたくなかったのかもしれない。周りと同じように生きていたくなかったのかもしれない。
 そしてずっと親の言うことに縛られる自分自身に腹が立っていたんだとも思う。親自身は、自分の言う事を“提案”だと言った。(そう言ったのも受験が終わってからで、それまでは私は洗脳的に親に従わないとって苦しみ続けていたんだけどね)理系の道に進ませたのも第一志望校に難癖をつけたのも“提案”だから、言う通りにして文句を言うのならそれはお前のせいだと。
 私が第一志望の大学を中途半端に諦めたのは、きっと自分の心が弱かったからだ。親に精神的に負けてしまった。現役の小説家の教授も、面白そうなサークルも、楽しい先輩も沢山いたのに。私は文学と生きることに迷いがあった。私はこの道に一生を捧げますと言い切ることができなかった。そこでライバルに負けてしまった。
 家族にも、同じ学校を目指す受験生にも負けた。情けなさ過ぎる。落ちて当然だ。

 でも今は、もう全部疲れた。今書いてる私小説にも手がつけられない。エイプリルフールが私の存在を虚構にして欲しい。全て最初から無かったことになって欲しい。(まあ実際、この1年間の受験の成果は全部無かったことになったんだけどね。)
 高卒で就職したりせず浪人する理由すら、まだ決めきれない。所詮「もう一年、行きたい大学を諦めきれなくて」と体裁を保つための言い訳に過ぎない。就職はしたく無いけど、無職ニートというわけにもいかないから、結局大学に行くのが一番楽な道だというわけ。
 なぜ就職したくないのか。その理由は学生生活に遡る。私が高校の途中でやめた部活があるのだが、それがもう滅茶苦茶ブラックだった。(部員の中には「この部活をやり切ることができれば社会に出てどんな会社に入ってもやっていけるから頑張ろう」とそれを慰めに頑張る人がいる程。)そこで潰れて辞める羽目になった自分は正に社会不適合者。でも正直、こんなのと似たようなことを大人になって約40年も続けるのなら死んだ方がましだという自分を肯定するような気持ちもあった。

ここにきて、本当に第一志望校に行きたいのかという疑問が生まれる。有名な大学だから、偏差値が高いから、親に反抗したいだけから……大学を目指す理由って何だ?つい難しく考え過ぎる。
 今日はそろそろ寝よう。いっそ、今までのことも全て忘れてしまいたい。

 

 ……ただ――受験勉強という単調な作業のなかでメンタルを削られ忘れそうになったけども――今でも文学は好きだ。死ぬまで遊んで暮らせる金があるなら、間違いなく大学で文学を学ぶだろう。

 理数系が自然の理だとするのなら、文学とは人の心だ。本とはいちばん身近な他者であり、作品を見たり読んだりすることで誰かの心を知ることができる。
 孤独だった。ずっと。誰かに自分の心に触って欲しかった。もしかしたら、自分がやって欲しい事を誰かにする事で、私は自分の心の傷を癒しているのかもしれない。
 独りよがりだけれども、曲がりなりに文学が好きだった。

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