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ジャズの日々(2): モンクが亡くなった日

 1982年2月18日の話をしよう。
 日付まで覚えているのは、その日に僕がセロニアス・モンクの訃報に接したからだ。アメリカでは17日、だが日付変更線を跨いだ日本でその報が流れたのは18日のことだった。朝刊だったか、夕刊だったか記憶がさだかではないが、新聞でそのことを知った。
 この日、東京は穏やかな晴れだった、と思う。
 渋谷の道玄坂を登って右に入った辺りに百軒店〔ひゃっけんだな〕という「大人の街」があり、今もあるが、当時僕は、その中にあった音楽館というジャズ喫茶で働いていた。

  かいつまんでそこまでのなりゆきを書けば、ジャズに目覚めた中学の頃(前回書いた通り)からずっとジャズばかりを聴いていた僕は、大学の時に東京に移住してからもずっとその熱に浮かされていた。バンド活動にものめり込み、とうとう大学の4年を留年し、2回やることになってしまった。
 親からは見放され、なんとか自分で生計を立てなければならなくなったときに思いついたバイトが、ジャズ喫茶だった。
 と言っても、たぶん、380円の時給は当時の労働基準法のレベルに達していなかったと思う。働いているあいだに好きなジャズを嫌ほど聴けるという「付加価値」があればこその決断だった(一緒に働いていた他の人たちも、多かれ少なかれ、同じ理由で働いていたように思う)。

 僕が仕事に入るのは、午後6時。そこから閉店の11時まで働くのが日課だった。
 すでに半年以上も働いていたので、その頃すでに僕は、ウエイターからカウンターの中へと「昇格」していて、かけるレコードもまかされていた。
 マスターが店にやってくるのはいつも閉店間際なので、自分の聴きたいレコードを存分にかけることができた。お客さんからのリクエストもけっこう多かったので、そちらを優先しながらだったけれど。
 で、その日は、言うまでもなく、追悼の意味を込めてモンクのレコードをたくさんかけた。『セロニアス・ヒムセルフ』(1957)、『アローン・イン・サンフランシスコ』(1959)、『ソロ・モンク』(1965)などのソロ盤からはじまって、『ブリリアント・コーナーズ』(1957)や『ミステリオーソ』(1958)などの管楽器を入れた編成のもの、あるいはマイルスとの因縁でよく知られる『バグス・グルーヴ』(1957)などまで、お客さんのリクエストの合間を縫ってかけつづけた。

 その日、ウエイターで入っていたのは、寺山修司のような風貌をした福士くんだった。
 色白でちょっとふっくらした顔に、ギラっと光る大きな目玉をした彼は、いつも同じグレーの中折れ帽をかぶって、ベージュのレインコートを羽織っていた。もしかしたら、本人も同郷の寺山に似ていることを自覚していたのかもしれない。
 「同郷の」と書いたとおり、福士くんは青森の出身だった。一見コワモテだったが、寒いと赤らむ頬と、どこかテンポの遅れた動きと、少しハイピッチの小さな声は、彼にどこかアンバランスな繊細さをまとわせていた。音楽館で働いていた頃のことを思い出すとき、鮮明に脳裏に浮かぶ顔がいくつかあるが、福士くんの顔はそのひとつだ。

 その彼が、この日、意外な行動に出た。
 10時頃だったと思う。マスターが来ないうちにという誘い文句だったから、たぶんそのくらいの時間帯だ。
 客はもうそのとき、すでに一人だった。来ると必ずウェス・モンゴメリーのレコードをリクエストするので、僕たちが密かにモンゴメリーおじさんと読んでいた、草臥れた背広を着たサラリーマン風の人だけが、端っこの席で眠っていただけだ。 
 その彼を横目で見ながら福士君がスッとカウンターの中に入ってきて、壁に取り付けてあった棚からウイスキーのボトルとグラスを2つ取り出して、やおらそのウイスキーを注ぎ出したのだ。1センチくらいで止めて、僕にひとつをわたす。そして、「献杯」しましょうと声をかけてきた。「献杯」という言葉を聞いたのは、たぶんこのときが初めてだったと思う。 
 そして、一瞬なんのことかとポカンとしていた僕を尻目に彼は、小さな声で「モンクに!」と言って杯を掲げた。
 僕は、あわてて唱和した。
 リクエストの合間を縫ってモンクのレコードをかけていたことを彼は気づいていて、自分も好きだからと、言いにくそうに告げたのだった。普段あまり自分の趣味について話したりしない福士君だったから、この時のことはよく覚えている。
 そして、サッとそのウイスキーを飲み干して、僕らは何事もなかったようにグラスを片付けて、またカウンターの内と外に分かれた。
 もう誰も来ないだろう店で、最後に僕は『モンク・イン・トーキョー』をかけ、まだ店の片隅で水割りのグラスを前に眠り呆けているモンゴメリーおじさんを片目で捉えながら、福士君と二人で聴き入った。やがて閉店の準備にマスターがやってきて、僕らも腰をあげ、片付けをはじめたのだった。

 帰り際、福士君とは方向が逆だったので、店の階段を降りて道にでたところで別れた。特に何を話すでもなく、じゃあと言って。福士君はその後何ヶ月かして突然店に来なくなった。それ以来、一度も会っていない。今でも、モンクを聴くと、彼のことを思い出す。



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