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神様、もう少しだけ!  放送大学面接授業がん哲学外来〜言葉の処方箋〜 授業感想文

いつかは必ず死ななければいけないのに、
なぜ人は死ぬのが怖いと感じるんだろう。

例えば、食べることや寝ることみたいに、
そうすべき時にそうしたくなるよう本能が導いてくれたらいいのに。

いや、死にたくて人生の半ばで自殺する人もいる。
そういう人は死ぬのが怖くなかったのか?
そんなことはないはずだ。
私も生きているのが辛い、と思っていたことが長期間にわたってあるが、
しかし希死念慮の強い時にだって、火傷をしたら反射的に熱源から身を守るものだし、
腐ったものを食べたら気持ち悪くなって吐くようにできている。
個人の認識している意識はともかくとして、身体は無意識に生きようとする。
動物である以上、本能では「死にたくない」と思っているということだろう。

でも、本当に「その時」が来た時には、
導いてくれるのだろうか。本能は。
「死ぬのが怖い」という思いが「オフ」になったらいいのに。
逆に、「死ぬのが怖い」と本能的に感じるということは、まだその時ではないということなのか……

結論は出ないが、とにかく私は死ぬのが怖い。

私の年齢は「妊娠適齢期」で言えば高齢者だが、
日本の税制上の労働資源としては若年層だし、
WHOという世界保健機構の定義によれば青年期に当たり、
なんだかどこからも「若者でもなければ高齢者でもない」年代として関心を持たれていない感じがする。まあいいけど。

自分が何歳まで生きるのかは分からないが、
一般的な平均寿命まではまだ少し先があると思って生きている。

とはいえ、私はこれまであまり体調のよくない人生送ってきており、
そのためか、常に心のどこかで「死」とか「病床」とかを意識して生きてきたところがある。

今回も放送大学のシラバスをパラパラと眺めていて「がん哲学」という文字が目に留まった。

がん哲学とは聞き慣れない名称だが、
なんとなく、人の生死に生物学的な生死以上の意味を見出そうという精神面での取り組みの話なのだろうと想像した。

「がん」というと死刑宣告にも等しい不治の病のイメージがある。
そのような病に「意味づけ」など可能なのだろうか?
できないにしてもどんな「考え方」をしている人がいるのだろう?

単純に興味をひかれた。

授業を受けてみて

でも、結局、
「生きろ」ということだったように思う。

がんになるなどして残りの時間が短いならよけいに、より、「自分らしく生きろ」と。

でも、事はそんなに単純な話じゃない。

がんになってない私だってこうしてがんに怯えているというのに、
実際にがんになったり余命宣告を受けた人の衝撃、動揺というのは深刻だ。

「がん哲学外来」の創始者でもある樋野興夫先生は、
そうした動揺を抱えたがん患者が、
自分の人生を取り戻すためにこの取り組みをされている。

そしてこの「がん哲学」の取り組みからは、
がんという病気の当事者だけでなく、
人生という旅路を歩むすべての人にとってのヒントになる情報が含まれていると感じた。

いくつかは非常に個人的な気付きとなったので、ここで紹介するのも退屈であろうから詳細は伏せるが、
でも、いくつかは普遍的なものもあったと思うので、せっかく授業を受けてきたのでいくつか紹介したいと思う。

マイナスかけるマイナスはプラスになる


たとえば「がん」という病気を抱えた者は、同じような「マイナス」な境遇にある者と対話することでポジティブになれる、ことがある。
逆も然りで、がんに関わらず、自分が「マイナス」を抱えている際、話す相手が「プラス」の状態の場合、自分の抱える「マイナス」はマイナスのままになる。
すなわち、対話する相手は選ぶ必要がある。
同時に、似た背景を持つ者とは積極的に対話すべきだ。

「対話」と「会話」は違う


ようは心の交流があるか否か、ということだ。
愛を持って「対話」をする姿勢でいれば、
無言でいても、相手を安心させることができるし、
相手に内面の話を吐き出させることができる。
そのためには「対話」をしよう、という意識でたくさんの人と接する、すなわち訓練なくしては、習得の難しい技術である。
特に日本の医療者に欠けており、この姿勢が不可欠である、とは先生の弁だ。

涙とともにパンを食べた者でなければ人生の味はわからない


ゲーテの名言を先生が引用していた。
人生イージーモード✌️みたいな苦労知らずの人がいたとしてその人の人生が軽薄であるとは限らないと思うが、
苦しみの多い人生を送る者にとっては、
人生の苦しみに意味づけをする良い考え方だと思った。

良い人生の3要素


「樋野先生にとって」の「良い人生のための3要素」なので完全に先生の主観なのだと思うが、
なんか含蓄のある言葉として響き、心に残った。
良き人生の3要素とは以下の3つだ

・良き師
・良き友
・良き読書

良き師に出会い人生のインスピレーションを受け取る。
良き友と「対話」し、自分の居場所を見出し、自分を客観視する。自分がこの世に生を受けた使命を果たす。
良き読書によって故人や会えない人の考え方に触れる、良い言葉と出会う。
と説明されていたと思う。

人生の最後の大仕事が「死ぬ」ということ


もはや余命いくばくもない子供を持つ両親に対し、
先生が「あなた方の息子には『死ぬ』という大仕事が残っている」と話すと、二人ともハッとした顔をしたという。
誰しもが生まれたら、いつかは死ぬ。
それを、「避けられない悲劇」ととらえるのが普通の感覚だと思うが、
「仕事」と表現することで、
自らすすんで取り組むニュアンスが出るのだと思った。
死に直面し、それをただなすすべなく耐えるしかない苦痛ではなく、
自らそれをどのように迎えるのか?と考えると、
不思議とかすかにエネルギーが湧くのを感じた。

本当はもっと、
普段あまり得られないような発想に驚いていたのだが、
「がんや死について、現状の私の発想をはるかに超えた考えを持っている人がそこにいる」だけで、
バシッと決まる名言が次々出てきたという訳ではないので、
こうして文章にして伝えようとすると難しい。

でも、強い思想を持つ人の近くにいると、
言葉を多く交わさずとも、影響を受ける気がする。 そういう言語化の難しい影響を受けて帰ってきたと思う。

授業で視聴した映像の中で、
がんになって余命宣告を受け、
病院に入院したベッドの上で「もう少し、生きていたいです」と話した老人の目の輝きがなんとなく目に焼き付いた。
人生が辛いと「早く終わってくれ」と思わなくもない。
しかしせっかく生まれたからには、人生を楽しむ、 そういう使命を、全うすべきだと言われた。
それは、たとえがんになったとしても。
なんとなく、そうできたらいいなと思った。



しばらく放送大学で面白そうな授業を履修していきたいと思っています!

もし「お金とか時間ないけど、どんなことやってるのか知りたい!」
という気になる授業がありましたら、
実際に履修してレポ書きますのでお気軽にコメントください!

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