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追いかけ続けた背中と、姿勢と、行動を。次は私が、

「やっぱりどうしても見せたかった、この姿を。」

2024年1月初旬。
きっとこの先、私と弟にとって、一つ大きなきっかけになるであろう貴重な機会を持ちかけてくださる方が現れた。
「来月、二人で3日間ほどカフェの営業をしてみない?」というお話。

わたしがお世話になっている職場の方。様々なタイミングが重なってではあるが、料理の世界を目指す弟の腕も見込んでくださり、お声を掛けてくださった。

そのことを報告したとき、一番に喜んでくれた人。
いつかこんな未来がくることを一番に望んでくれていた人。
その人に、私たちの頑張る姿を見てもらうことは叶わなかった。

報告してから、たった2週間後のことだった。

「悔しい… ただそれだけ…」

涙も出ない。
寂しさや哀しさという感情も湧いてこない。
自分の身に起きている今目の前のこの現実が信じられない。

だから、よかった。
だから、ある意味「普通の日常」が送られた。

そして迎えた、この3日間。

家族、親戚、友達(そのご両親)、それぞれの職場の方…
本当に多くの方がわざわざ足を運んでくださった。

心の底から嬉しかった。

ずっと、ずっと、夢見ていた姿を…

何の感情も湧くことなく過ごした、この1ヶ月。
すべてを終えて帰宅後、貴方の前に座ると、そっとこんな声が聴こえてきた。
「よくがんばった、ずっと近くで見ていたよ、ありがとう」と。

そのとき、やっと抑えきれない感情が溢れてきた。
あの日からずっと流せなかったものが自然と流れてきた。

きっと「今日」というこの日まで気を張っていたんだと思う。
この姿を、私たちのこの姿を、貴方にどうしても見せたくて。
貴方にどうしても見てもらいたくて。

何処に居ようが構わない。
ずっと楽しみにしてくれていた貴方が、そう言ってくれるのなら私たちはそれだけで充分。

いつも褒めてくれる貴方に、また褒めてもらいたくて。

今回を機に、もっと大きなものを見せたくなったよ。
もっと、もっと、貴方が喜んでくれるような大きな姿を。
思い返せば、小さい頃から頑張る姿を一番に見せたかったのは貴方だった。

逢いたい気持ちと、ありがとうの気持ちを。
そして、ほんの少しの弱音も、微かに胸に秘めて。

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