悔しいと泣く私を、ほら見ろと嗤う私
昨日は高熱を出してしまい、屋台をお休み。
noteの更新をする余裕もなく休んだ。
悔しい。
そこで1番学んだのは、私しかいないリスクと、私が手を動かし続けなければお金が入らない不自由さ。
思い返せば。
一昨日遊びに来てくれた、みかさんとゆかさんも同じようなことを言ってくれていた。
その時の私は、実際にそうなる自分をきちんと想像出来ていなかったから、「手を動かせばお金が入るなら良いんじゃない? 」くらいにしか思わなかった。
たぶん私の体は、私に手を動かせない状況を体験してもらいたかったんじゃないかな。
それくらい、バッチリなタイミングだった。
どうしたって、ご機嫌ななめの日
昨日は朝から体がご機嫌ななめでした。
生理前よりももっと酷い気だるさ。
(でも、まだ時期じゃない)
注意力散漫。
(携帯を忘れたり財布を忘れたり。笑)
何故だかわからないけれど、どうやら体はご機嫌ななめらしい。
そう受け止めていくと、心もご機嫌ななめな感じに。
なんとか営業までに立て直さなきゃ。
食欲がない中、ごはんを食べるも効果はなく。
ブルーな気分に浸り切ろうと思い、頭の中に浮かぶ全ての言葉をノートに書くも体の調子は治らず。
これはもう寝て忘れるしかない。
そうして寝て起きてみると、明らかに体が熱を持っていて、頭も痛いという最悪な状況。
営業したいけど、この状態でやってもお客さんのことを気に掛けられる余裕もない‥‥
悔しい。
カンボジアに来て、一番の挫折。
一番泣いた。
それくらい悔しかった。
ご機嫌かご機嫌じゃないか以前に、病気になった動けない。
病気になってしまったら、その中で働いてもパフォーマンスは下がるわ自分は辛いわで、全くいいことなんてない。
「明日は治して、絶対営業するから」
自己暗示。そして病院に行った。
ほら見なさいと自分が嗤う
私はたぶん、1人で居るのが好きな部類の人間だ。
だから1人屋台は性に合っている。
誰かを気にすることもなく、自分のペースで進められるし、自分が解決できないことは周りに助けてもらえる環境がある。
『これからもこんな風に働いていければいいなあ』
そう思っていたけど、今回みたいに突然働けなくなることは沢山あるのだろう。
今回はカンボジアで、1日だけで済んだけど、これが日本でフリーで生きていたんだとしたら致命的になることもある。
私しかいないリスクをひしひしと感じた。
ほら見なさいと自分に言われている気分だった。
だからどうしようという解決策はまだ見つからないけれど、守られていないことのデメリットを初めて体感できた。
悔しい思いをしないために
もう出来ればこんな悔しい思いはしたくない。
そうならないためには、やっぱり助けてもらえる人が沢山いることは大事だと思う。
今回はやらないと決めたけど、例えばスタッフを雇えば、私が居なくてもお店は回る。
それなら私が常に手を動かしていなくとも、お金が入ってくる状態を作れる。
仮にそうやって私の手が空けば、空いた時間で他のことが出来るし、他の仕事を探してこれるかもしれない。
自分の身一つだけで稼がない方法は沢山ある。
それに気付けるか、やるかやらないか、軌道に乗せられるかは、自分次第。
難しいなあ〜。
まだあまり私は気付けていない。
だけど、気付けていないことに気付いたのは、進歩だね。
これからは、そういう視点も持って生きていかねばだ。
今回の経験は、今経験できて本当に良かったと思う。
ご静聴、ありがとうございました。
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