『IBMM』カード制作草案

〈要約〉

•カードを制作する企画。作者は、本作品をカードゲームらしくしようとしなくてよい。読者も、カードゲームをプレイしようとしなくてよい。ルールも用途も規定しない。テーマは《安心感》、《他者性》、《距離》。
•あえて用途を考えるなら「あらゆるひと」との距離を模索して配置する(正解はない)思索型カード群。
•「あらゆるひとびと」の、他者に対して安心できる距離は異なる。自分自身は勿論、他者の安心についても考えてみるツールがほしい。
•距離の模索すら拒絶されることもある。孤立、孤独、無援、不安、不信。もしそのように見えるひとが居たら? 自分以外のひととそれを考えられるワークをつくりたい。


 9月12日、思考回路のメモ書き。9月13日加筆。

気付いたこと

 何か、はっきり分からないが、殻の外へ出ようとしている自分が居ることに気がつく。創作物を手に持って、話をしに行きたい。……特定のどこに誰に、というわけではない、ただ出来れば、自分も受け取り手も互いに何も知らない、新しいところ。知っていても困ったりすることは無いけれど。いつからか分からないが、これまでと違うコンセプトの創作のアイデアが、頭の中で捏ねているうちにあるパターン認識を持って見え始めた。

 新しい方向性というのだろうか。それは、多分にノンフィクションとフィクションを交えた内容になると思う。(つまり、作者の得た僅かばかりの専門職的経験や知識、協力者から提供された記憶等を動員する)そしておそらく、これまでより格段に難しく、同じくらい楽しいものになるような気がしている。

 手法を探るうちに「やっぱり止めた」となるかもしれないし、それならそれで良い。少なくとも挑戦してみることで何かは変わるし、分かるだろう。

端的に、やること

 創作形式は「カード」
 必要なのは「イラスト」と「テキスト」
 一枚一枚バラバラのカードに、それぞれ物語と、少しばかりの対人関係論的スパイス(必ずしも学術的なものばかりではない、誰かの経験や思索からくる言葉であったりする)を盛り込む。カードバトルもののフレーバーテキストより少し長めのものを想定している。
 ゲーム性の有無は……今のところ分からない。未定だ。カードゲームを作るとなるとまったく門外漢であることを思えば、今回はやめたほうが良いように思う。

◆決めること

キャラクター

 カードに登場するホスト(案内人)キャラクターを無から召喚する方法は大変すぎる……もとい、私の創作世界範囲ではキャラクターとはあまねく「多在」するものなので、この「カード」の総称(タイトル)は【暫定的に】『Imaginary Brother & Man Machine』とする。これまでにキャラクターbot(Twitterアカウント…@kaku_no_ani/@by_263_s)、テキスト掌編集などで主役として描いてきたふたりのキャラクターの名だ。

 ただし、キャラクターbotや小説に登場する「架空の兄」「機械の男」とはやや異なるディテールをほどこす。足し算ではなく引き算だ。詳細な設定はここでは不要だし、かれらがブロマンス的関係であることも殊更に強調することではない。かれらは、《安心》と《不安》という2つの「アイコン」として役割をはたす。

 「架空のきょうだい(Imaginary Bro/Sis)」は、誰もに《安心》を与える幻想/精霊のようなキャラクター。自己同一性(アイデンティティ)が明確であり、迷いがない。

 「機械のひと(Man Machine)」は、自分はアンドロイドだという信念を持っているが、人間の肉体をもつ。頻回に両面の真実をささやく声(幻聴)を聴いて揺らぎ、混乱し、《不安》になる。

用途

 「知識として有用」と思われたいか? つまり、実用的でありたいかと聞かれれば、例えそのようにしたくても難しい、と答えるだろう。
 全体を貫くテーマは、《安心感》・《他者性》・《距離》である。
 架空のきょうだいと機械のひとが、「あらゆるひと」に会い、そのひとびとと己の違い、そして“安心できる距離を感じる”──という物語が基底となる。

 重要なのは「あらゆるひと」とはどのようなひとか? ということである。年齢、住んでいるところ、職業、先天的な外見や内面のもちもの、後天的な価値観や嗜好、思想など。カードの物語のなかでは、その具体名は表記しない。例えば特定の病気のひとが登場するとしても、その病名について触れるのことはない。また、付属の小冊子もしくはパッケージに折り込み式の解題書にて、現実に存在するひとのことについて解説をするかどうか、するならばどの程度かを、よく考える必要がある。実際に時間をかけて当事者に取材する場合、もちろん個人情報には十分気をつかう。基本的には大いにフェイクを入れ、本人が拒否をしたらその情報は作品に使用しない。たぶん、ほぼすべての情報は伏せることになるだろう。そして、イラスト/テキストにおいては、「架空のきょうだい」「機械のひと」のように、比喩的・抽象的な姿として描かれることになるはずだ。

 カードを通して読み手に受け取ってほしいと作者が意図しているのは、《あらゆるひとびとの、他者に対して安心できる距離は異なる》という事実である。一枚のカードを読む時、ひとはそこに書かれているひとのことを考え、想像してみるだろう。だから、カードのテキストの文体はシンプルで易しいものにする。これは教育的配慮といえるようだ。だが、そうするならばまず作者が「あらゆるひと」を想定するのだ。文章も、日本語だけでは不十分かもしれない。

取扱説明(案) 本品はイラストを眺め、テキストを読むだけでも充分楽しむことができます。あなたにもし余裕があれば、床でもテーブルでも好きな場所で(可能な限り平坦で広い場所が好ましいです)そして、できればあなた自身もカードの一枚に含め、すべてのカードが安息できると思う距離と配置を考えてみてください。
取扱説明(案/補足) 正解はありません。あなた以外は全員同じ世界で生きる《他者》です。自分本位な配置にしてしまったと落ち込む必要もありません。《他者》もあなた同様、さまざまに考え抜きながらこの世を生きています。あなたが少なくとも、カード同士がぶつからないよう考えを巡らせてくださったなら、とても嬉しく思います。カードのうち、どれかは私かもしれません。どれかはあなたの家族や友人かもしれません。あなた自身と、あなたの周囲の安らぎを願っています。

 カードは、夜空の星のように、不均一な距離をもって配置される。あるカードは「架空のきょうだい」に近く、あるカードは「機械のひと」に近く、あるカードとあるカードはとても離れている……。そう、そういうふうに。あえて《遊び方》があるなら、これは一枚一枚の適当な配置を模索するゲーム、ということになる。もちろん、正解はない。カードを見渡す中心に居るのは他の誰でもないあなただから。

 自己と他者の安心について考えてみる。

 そういう一連のカード群を、作ってみたい。

絶対にしないこと

•誰かを悲しませること

•誰かの迷惑になること

 これは企画の最初期段階のメモである。

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追記

 自分で書いたものを見返している。

 創作をネット上で公開し始めて六年目、その範囲もTwitterのみでごくほそぼそとしていた自分にとっては、フォロワーでも何でもない、赤の他人を目の前で巻き込んでゆくということが新しい挑戦なのだな、と思う。あと、多分取材を断られるなど骨格形成の段階で難航すれば潰れる企画だろうな、とも。取材というとあやしげだが、要は話を聴かせてもらうということである。対象は「あらゆるひと」なので、まずは実際に顔を合わせての親交があり個人の創作活動そのものに理解のありそうな知人、創作仲間の意見を求めてゆく。

 それから、これは疑いようもなく社会的な方向性をもつ(大げさにいえば、《誰にとっても快・不快な距離がある》という意見発信と、《あなたの自己-他者世界構築をカードを眺めて楽しみつつ振り返ってみませんか》という課題提起としての意味合いをもつ)創作活動だが、宗教、政治、人権、教育、福祉、他どんな集団や組織とも関係ない。個人による個人的な創作だ。それはこれまでと変わらない。

 強迫的思考は自分で自分を深みに陥れるもので、個人的には最も良くない。だから、この企画に限らず「ねばならない」の思考回路を棄てようと思う。棄てねばならない、は本末転倒なので、どつぼにはまらないよう気をつけよう程度に。

 なにごとも楽しむことが第一だ、という。だが、なにごとに対しても楽しむことが不得手で苦手だという人間がここに居る。このカード制作を通して、《自分はこういう人間だ》ということを教えてほしい。私もあなたを知った上で、自分がどんな人間であるかを伝えたい。そういう願いを、個人的には持っている。「そんなことは余計なお世話だ。他人に距離をはかられるのなんてうんざりだ。誰とも関わりたくない」それもひとつの意見だ。そういうひとも居るだろう。孤立、孤独、無援、不安、不信。もしそのように見えるひとが居たら、実際、どのような位置に立つことを選ぶだろう──私はそれを考えたい、私以外のひとと。




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