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音楽劇『鬱憤』 再演版 製作ノート

フェニーチェ堺で上演された音楽劇『鬱憤』を振り返るnoteです。パンフレットを作れなかったので、代わりにここで製作過程を振り返ってみます。細かい内容にも言及するので、ご来場いただいた方や戯曲をお持ちの方向けの内容になるかもしれません。


再演するってさ!

『鬱憤』のフライヤー (イラスト:平田基 デザイン山口良太)

京都で『鬱憤』の初演が終わった頃、大阪の劇場・フェニーチェ堺から「幻灯劇場の作品を上演しませんか」と声をかけて頂いた。これまでフェニーチェ堺では『演劇解体新書シリーズ』という実験的なWSシリーズを継続して実施してきた。今年もvol.5-6を実施する予定だ(唐突な宣伝)。

演劇解体新書シリーズの様子

劇場とWSシリーズを続け四年が経ったが、フェニーチェ堺ではこれまで演劇公演を主催したことがなかったそうな。はじめての主催公演として『鬱憤』を上演するのはどうだろう?と、トントン拍子に話が転がっていった。奇しくも、グレショー(ABCテレビの番組「THE GREATEST SHOW-NEN」毎週土曜放送。みてね! )とほぼ同時期のお声がけだった。京都でたった二公演上演した作品が、TV局や大きな劇場に声をかけてもらい再演の機会を得るなんて相当に稀有なケースだ。素直に嬉しかったし、これまで関わってくださった全ての人に感謝した。

グレショー版、ハードル上げすぎでない?

23年1-3月にABCテレビで放送されたグレショー版『鬱憤』は稽古からめちゃくちゃ楽しかった。当時の日記を振り返っても楽しかったことしか書いてない。制作期間は一ヶ月と短かったが、Aぇ! groupの6人は稽古場で出会うたび何かを提案してくれるし、1つ技術を教えたらあっという間に膨らませて10個遊んで見せてくれるので、そんな現場が楽しくないわけがない。稽古場の楽しさが実を結んだのか、グレショー版『鬱憤』は大きな反響を呼んだ。

その反響はもちろん、再演にも大きく影響した。再演の会員先行予約には事前に予想していた10倍くらいの申し込みが入った。9月の公演が4月に売れ切れてしまって、稽古開始日には全公演のチケットがソールドアウトしているという、ありがたい状況だった。
それはありがたさと同時にハードルでもあった。16人の俳優が演じた初演版も、Aぇ!groupの6人が上演したグレショー版も、とても出来が良く評価も高かった。端的に言うと「ちょっとハードル上がりすぎでない? 」という状況だった。

これだけ短いスパンでの再演は、物語を知った状態で観にくるお客さんが客席の大部分を占めることを意味する。当然「初めてこの物語に触れるお客さん」と「既に物語を見た上で観にくるお客さん」の間では、作品の接し方に温度差が生じてくる。なんとかして、どちらにも楽しんでもらえる上演にしたい。どうやって準備していこうかな。

台本──アクロバット改訂はモンスターを生む

稽古初日。9人での上演に向けて作戦会議をする出演者たち

まずは台本の書き直しから始めた。『鬱憤』はこれまで書いてきた作品の中で、一番大胆な改訂を重ねてきた台本だと思う。まず、初演版からグレショー版の改訂で10人キャラクターを減らしてっからね。もうこの時点でかなりアクロバットな改訂だ。

例えば初演版には「真田君」というキャラクターが登場する(『0番地』にも登場している)。人数を減らすために、まずこいつを「清水君」という別種のやばい奴とフュージョンさせ一人の人物にすることにした。人数を減らすことには成功したが、そのせいで清水がより一層“感性が豊かすぎる”モンスターになってしまった。アクロバット改訂はモンスターを生む。

再演版では更にその中間の人数での上演を目指すことになる。「群像劇だから増やせばいい」という話でもなく、各エピソードが適切な距離感で共鳴し合うように配置しなくてはならない。考えれば考えるほど改訂はアクロバットを極めた。

空き巣たち──ユズハ(今井秋菜)と土田(藤井颯太郎)と海崎すずめ(橘カレン)

検討した結果、グレショー版では消えた「空き巣たち」のエピソードを復活させた。パンデミック禍でリモートワークが推進され、売り上げが下がったので給付金が欲しいと騒ぐ空き巣達の話しだ。
さらに、これまでのバージョンでは描かれなかった「過去の更に過去」である土田と優弥の関係を描き、この物語の重心を5mmだけ動かすことにした。

初演で各エピソードを繋ぐ役割を担っていた「ゴーストレストラン」のエピソードを抜く決断をするには結構勇気が必要だったが、最終的にはかなり良い判断だったと思う。

台本──男か女か、女か男か

再演『鬱憤』 儲け話で盛り上がる清水と峠

今回はキャラクターの性別変更も多かった。性別変更は意外と難しい。現状日本語には性差が存在する。例えば「やめろ!!」という男性のセリフがあったとして、安易に女性の言葉にしようとして「やめて!!」と書き直すと意味が変わってしまう。「命令」していたはずの台詞が「お願い」になってしまう。それは嫌だし、そういう社会にもどうにか抵抗していきたい。キャラクターの性別変更は、自分の中の偏見を見つめ直す時間になった。

この課題に関してはグレショー版に救われた点が沢山ある。グレショー版は出演者がAぇ! groupという男性アイドルグループだったので、登場人物を全員男性に置き換える必要があった。
グレショー版の台本を作る時すでに、俳優の皆にも協力してもらって「この女性のセリフ、そのまま男性が発することは出来ないだろうか?」ということに挑戦していた。特にリチャは「男性にしては柔らかく見えすぎるか?」と思える古崎のセリフも、柔軟に発話を変えて対応してくれて、ほとんどテキストを変えないまま違和感なく演じてくれた。それは僕にとって、大きな出来事だった。グレショーでの経験があったおかげで、今回も俳優と性別と言葉づかいについて稽古場で話し合う時間を持つことが出来た。グレショーに感謝だ。

これまでの公演の台本をお持ちの方は是非、読み比べてほしい。持っていない方はこちらから戯曲を読むことが出来る。「工藤さん」は初演は女性⇨グレショーでは男性⇨再演で女性となったキャラクターで、最も翻弄され続けた人物と言えると思う。どのような旅路であの言葉遣いになったのか、是非読み比べて頂きたい。藤井が頭を抱えた痕跡が、見え隠れ見えしていると思う。

「演劇ならでは」を目指してみる

稽古を始めた頃は“借景演出(街の風景を使う演出)”なども検討していた

グレショー版では「映像で見て楽しめる演劇」を目指して、舞台美術もある程度説明的(具象的)に作ってもらった。番組を見て演劇に興味を持ち、はじめて劇場へ足を運ばれる方がいるのだとしたら、今度は「生だからこそ楽しめる上演」を見て欲しい。幻灯劇場による再演では【演劇ならではの面白さを詰め込む】ことを目指そうと決めた。

演劇でしか体験できない瞬間は沢山ある。例えば、「色んな声の中から自分の聞きたい声を聞き分ける」ことや「見る場所見るひとを自分で選んで見る」こと。「一回きりの出来事を目撃する」「なにが起きているのか目を凝らす」「全く知らない人と同じものを見て一緒に笑う」などなど。同じ空間にいるからこそできる体験にを楽しんで欲しいと思いながら、俳優とアイディアを出し合っていった。

10m以上あるカーテンをシーンごとに使い分けていく
「巨大な人影」と、外へ弾き出された「小さな由梨」の対比も、生で観てこそ面白い

隔てること。

舞台美術家の野村善文と打ち合わせを重ねるうち、「隔てること/その向こう側に目を凝らすこと」を美術に落とし込みたいと思うようになった。『鬱憤』という作品・今回上演は、時や場所、病との距離、生死のサカイ、沢山のものに隔てられた上演なのだから。

劇中、パンデミックで家の中に閉じこもり、窓から外を眺めるというシーンが何度か出て来るように【窓】や【玄関のドア】という外へつながるモチーフが今回の作品ではとても重要だった。
方舟のような形の舞台を挟んで、可動する二枚の巨大なブレヒト幕を前後に設置する。【窓】から連想して「巨大な家の窓辺のカーテン」があれば面白いなぁと考えブレヒト幕に行き着いた。巨大なレースのカーテンが過去/現在/未来、幾つものレイヤーを生んで、観客と俳優、登場人物達を隔てていく。見え辛い瞬間もあるかもしれないが、僕らは目を凝らして隔たれた向こう側を見つめてみる。

未だに二年前の留守電を聞くことが出来ないのだと吐露する場面

今作で初めてご一緒した照明家・塩見結莉耶さんはとても素晴らしいプランナーさんで、稽古場へ足を運び俳優の演技の意図を汲み取り、緻密に光を組み立ててくれた。「観客が目を凝らせば見える位」に絞られた照明は、事前にあらゆることを計算していなければ作ることが出来ない。さらに半透明のカーテンを透かす/透かさないということまで全て照明がコントロールしているので、この非常やっかいな作品は塩見さんがいなければ成立しなかった。

話に飽きて通報しようとするユズハちゃん(今井秋菜)

衣装はグレショー版でも衣装セレクトを担当してくれた今井秋菜(ユズハちゃん)。アンケートで衣装の配色とAぇのメンバーカラーについて書いてくれている方がいらっしゃったが、実はあんまり関係ない。ポップな色味で仕上げたらたまたまばっちりメンカラを取り入れてしまった。今井は、初日の感想を読みながら「確かに!!メンカラだ!!」と叫んでいた。その後しばらく楽屋で、じゃあ何色がいい?って話で盛り上がった。藤井も黄色のポロシャツを来ていたので「リチャだ!リチャだ!」とハシャイだ。それくらいで、彼らのメンバーカラーと紐付けようなどという烏滸がましい意図はない。

遠くから見ている自分に驚いた

「悠ちゃんはヒーローだよ」

上演し終えてまず思ったことは「来年、もしくはもっと未来。この作品を上演するなら、どうやって上演しよう」だった。稽古場で俳優や演出助手の北村侑也さんとディスカッションを重ねている段階から予感していたことではあったが、今回の上演は、初演やグレショーを上演した時とは全く違う感触だった。

一年前の初演の終演後、演劇仲間が「古崎さん“ただのサイン会”って連呼しすぎだよなぁ」と変な文句を言ってきた。聞くと「本屋の経営に直接響くわけでは無いイベント(サイン会)にこだわり悪足掻きする書店員達の姿」が「体調不良者による中止に怯えながらイベント(演劇公演)の準備をする自分達」に重なって見えたらしい。彼の耳には“ただのサイン会”は“ただの演劇”と響いたのだ。当時は劇中に出てくる出来事は“ありふれた話”で、観客は自分の日常と重ねやすかったのかもしれない。

だが時が経ち、フィクションと現実の距離は変化した。何人かのお客さんのアンケートに「この作品を“物語”として冷静に、遠くから見ている自分に驚いた」と書かれていた。“ただのサイン会”という台詞は僕たちの耳に“ただのサイン会”とだけ響くようになった。二重の意味を持たなくなった。そのことを寂しくも思うし、嬉しくも思う。

暇になること。待つこと。

優弥(布目慶太)の留守電を聞く由梨ちゃん(鳩川七海)と清水(村上亮太朗)

いつの時代にも、自分の力の及ばない巨大な出来事によって「突然暇になること」は起こり得る。職を失ったり、大切な人と別れたり、自分の仕事が不要だと言われることもある。そんな時「暇」をいかに受け止めるかによって、呼吸のしやすさが変わってくる。

もしもまた機会に恵まれたなら、別の時代、別の劇場で上演してみたいなと思う。その時の僕は今より忙しなく急がしく働いているんだろうか。逆にほとんど仕事が無くなっていて、有り余る時間をこの作品に注ぎ込むんだろうか。いづれにせよ、その時の僕がこの物語に描かれている「暇」や「待つこと」についてどのように思うのか、2023年の僕はとても楽しみなのです。

ご来場くださった皆さん、気にかけてくださった方々、フェニーチェ堺のスタッフチームの皆様、これまで作品を一緒に作ってくれた16人と6人と9人の俳優、この作品に関わってくださった全ての方に感謝いたします。

新作の話をするよ

──遊びは祈り──

来年2月、幻灯劇場は大阪の劇場で新作『Play is Pray』を上演する予定です。『鬱憤』以来一年半ぶりに書き下ろす長編新作。「日本センチュリー交響楽団」というオーケストラからやってきた演奏者たちと「クラシカルDJ」という特殊な活動を繰り広げるメジャーアーティスト・水野蒼生くんの生演奏という、あまりに豪華すぎるゲストを迎えてお送りする予定です。

近日、物語や予約開始時期などの詳細が幻灯劇場公式twitter(現X)から告知されるはずなので、ご興味ある方は情報を追っかけていただければ幸いです。

そんなこんなで、もうしばらく演劇作り続けてみる予定なので、見に来てもらえると嬉しいです。劇場でお待ちしてます。

舞台写真撮影・中谷

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