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鐘撞きて 時間の国の 有栖川

〜高校生オリエンティア、今昔物語〜

佐々木 順(渋谷で走る会、浦和→東京90)


1. 未来を夢見し頃

「27R、佐々木君、職員室まで」
「お前、愛されてるなぁ」
「いや、オバハンに愛されたってしょうがないだろ」

 週に一度はある、顧問の中野先生からの校内放送の呼び出し。
 手には、最近持ち歩いているOマップのファイル。学校にいるときにオリエンの技術論になることは少ないけど。
 実際に行ってみると、今週のクラブ活動時間の内容だったり、いま呼び出されなくてもいいような話が多いので、正直まいる。

 次の時間は世界史だ。睡眠学習あるいは内職の時間。担当のM先生は、授業中に突っ伏していようと内職してようと、怒る素振りを見せない。それに甘んじたあまり、初の赤点。本当に通知表の「2」が赤くなる。
 クラス全体がひどい出来(*1)だったようで、三学期は範囲を大幅にしぼると宣言された。天下のなんちゃらだか知らんが、実態は形無しだ。

 でもごめん、きょうの授業も内職だわ。
 世界史の教科書にはさんだ、数学の問題集。内容は漸化式。辞書的な定義で言えば「各項がそれ以前の項の関数として定まる、数列を再帰的に定める等式」だってさ。そんな定義よりも、カタチに夢を感じないか?
 一つ前の代から自分たちに、何かが受け継がれる。少し、何かが変わる。それで、最初の姿さえあれば、知りたい未来がわかる!

 いいねえ。未来。

 そもそも、歴史って嫌いなんよ。何が楽しくて、何年に誰それが何やったって知らなきゃいけないのよ。しかも世の中はそれを教養と呼んでありがたがると来た。科学技術は教養じゃねーのかよ。俺は来し方を探るよりも、行く先を作るほうが百万倍好きなんだ。

 でも、テレビ番組の「世界・ふしぎ発見!」、あれはいい。エジプトのピラミッドを掘って誰それの宝物が出てきたなんてやってるけど、あんな石ころひとつから、長いストーリーを語れるなんて、すごいと素直に思う。俺にはできんけど。あと、エンディングの曲もいいよね。

Time 幾千年も
恋人たちは時代を越えて
Time 幾千年も
傷つきながら旅を始める

渡辺美里「君の弱さ」(1988)

 時代って、越えられるのかね。Back to the Futureのデロリアンは形も設定もそれっぽいけど、理系原理主義の俺でも実現は無いと思う。だって、あれができてたら、とっくに未来から誰かが来てるはずだろ?

 でも、知りたいねえ。未来。

 内職の努力もむなしく、睡眠学習に落ちてしまった。

2. 未来に迷いし頃

 目が覚めたら、なぜか公園にいた。都会の風景に囲まれている。池もあって、いい場所。掲示を見る限り、広尾の有栖川宮記念公園らしい。

 今にも雨が降りそうな天気。親しみのある風体の連中がたむろしていて、フラッグの設置に行っているようだ。面白そうなので、声を掛けて参加させてもらう。参加費300円。見たことも無い赤い板状のものを指に付けて走るみたいだけど・・・まあ、見よう見まねでやってみようか。公園でオリエン、やったことない。迷路みたいで楽しそう!

ALICEGAWA IN WONDERLAND(2024、麻布学園OLK)、1本目のポイントO。
(あえて書込済使ってます)

 1本目のポイントOと、2本目に白抜きとかいうコースがあって、3本目がリレー。1本目、この赤い板切れをフラッグの上に付いてる器具にはめるのがチェックになるらしく、時間かかった。リレーは、東大OBだというおじさんと、東工大現役のお兄さんに混ぜてもらった。迷ったけど楽しかった!そして、どっちでもいいから、俺を拾ってくれ!!(切実)

 様子見てると、麻布の中高生が開く大会みたいだね。麻布がこういう活動してるってのも聞いたこと無いし、高校生以外もわらわら集まっていたし、自分の見てきた光景とは違ってすごいよ。
 地図も自分たちで調査したの? 色鉛筆何色も使ってトレーシングペーパーに書く作業だよね? やったこと無いけど、あれ、大変じゃない?

 終了後、そんなことを考えていたら、「新しく来た人なら話を聞きたい」と高校生男女三人から声を掛けられた。お言葉に甘えて、広尾駅近くで食事しようかということになった。 

誰だって大人にはなりたくないよ
永遠の少年のあなたが言うの
シャム猫のぬいぐるみ抱きしめながら wow wow
叱られた子のように私立ってた
瞳閉じれば四次元の迷路
タキシード着たウサギが走る

松田聖子「時間の国のアリス」(1984)

「 平 成 元 年 か ら 来 た だ っ て ぇ ? ? 」
 その三人が、揃って驚きの声を上げた。

「あれ、そもそもさ、平成元年って何年だっけ」
 向かって左側に座っていた、二年生だという男子が言う。さっき、むちゃくちゃ熱い走りをしていたのを覚えてる。
「1989年じゃないかなあ」
 と、片付けがあるからと多少遅れてきた、一年生の男子。
「2024年から引き算して・・・35年!?」
 右には一年生の女子。学校はみんな違ってそうだけど、仲良さそう!

「ところで、何年なの?どうやってここに来たの?」
「二年だよ。もうすぐ飯能でインターハイがあるんだ。この前の定例会でやっとこさE権取った(*2)とこなんだから。どうやって来たかなんて、こっちが知りたいよ。あっそうだ、たまたまOマップのファイル持ってるからさ、証明代わりにそれを見せればいいよね!」

3. 来し方を語る頃

「これ、去年のインターハイ。むっちゃ寒かったんだよ・・」
「伝説の第1回!鹿島田さん(*3)と田島さん(*4)が優勝したやつ?」
 まんなかの一年生男子が聞いてきた。
「えっ!鹿島田さんと田島さんって知ってんの?」
「何言ってんの、超有名人だよ。鹿島田さんは去年の全日本のコースプランナーで、いま渋谷の織田フィールドで一緒に走ってる。田島さんはナビゲーションのガイドとしてメディアにも出てる」

阿夫利林道(1987、サン・スーシ)での第1回インターハイ・男子個人戦(1988)。
冷たい雨。考える力が無くなって9→10で登るしか無くなり、足をつらせて這ってゴール。

「それにしても、すごいコースだね」
「すごいどころの騒ぎじゃないよ!エリート出ちゃったからさ(*5)、低体温でゴールに担ぎ込まれて、変な方面で他校に名前が知られちゃった。。」

「インターハイはすごいだろうけど、普段のレースはどんな感じ?」
 右にいた一年生女子。そりゃそうだよね。
「じゃあ、入学して初めてひとりでやったレースの地図を出すよ。これね、関東高連の定例会って言って、学校が持ち回りでやるの」
「おっ、七国じゃん!こんな時代からあるの?」
 と左の二年生男子。ゲレンデの形だけで分かるのかよ。
「あるよ、高校生には定番だよ。金も足も無いんだから、このへんの八高線沿線か、青梅くらいしかオリエンには行けないの!」
「4000か、、、Nで七国にしては長くない?」
 とまんなかの一年生男子。
「えっ、これって長いの??」

七国峠(1985、多摩OL)での関東高連定例会(87年5月、運営は浦和)
書いた某先輩の個性が丸出しの手書きデフと、地図付属のチェックカード

「このときはうちが主催だったんだけど、運営は先輩で、新入生は走っていいよってことになったんだよね」
「ところで『うち』ってどこ?この書き込みだと浦和?」「そう」
「おーっ!!同じだ!!うれしい!!」
 左の二年生男子の表情が一変。平成元年って話に持っていかれて、そういう会話をしてなかった。うれしいのは俺もだ。

 思わず、たたみかけてしまう。
「学年色は?」「青!」「おれ赤!」
「この前の古河マラ何位だった?」「45」「すげー。俺130、、」
「そこ、内輪の話で盛り上がるんじゃない! ほかには持ってないの?」
 まんなかの一年生男子にクギを刺される、二年生ふたり。

「じゃ、それがらみで、合宿のマップを・・」
「なに!自前で合宿やってんのか! やりたいんだけどなー」
「やってるよ、夏休みの最初に4泊5日だぞ。去年は富士宮、今年は日光だった。これは去年のメニューのひとつだね、ウィンドウOだ」

角木沢(1986、静大OLC)での浦高OLC夏合宿(1987)メニューより。
印刷された地図を使うのでこういうことに。くり抜いた紙を重ねてやることも。

「これ、さっきの白抜きじゃん」
 まんなかの一年生が言ってくれた。
「そっか、さっき俺『白抜き』が何を意味してるかわかんなかったし、結構1本目で疲れちゃったからやらなかったの。もったいなかったなあ」
「4泊5日もやって、どんなメニューしてたん」
 すっかり同志になってしまった、左の二年生。
「1日目は設置撤収って言って、誰かが設置したものを次に別の人が撤収して位置が合ってるか確認する練習、2〜3日目はさっきのウィンドウOとかラインOとかスコアOとか普通のポイントOとか、年によって色々。4日目に浦高杯やって、5日目がリレーで終了。浦高杯のコース見せるね」

角木沢での浦高杯(1987)。ミドルレッグが多く、距離も現在のトレンドより長い。
これで競ったレースができていたのか、はなはだ謎ではある。

「結構長いな・・・この前の銀杏杯の倍あるじゃん」
「そうなん? って言ってもさ、こっちのみんなが普段どういうオリエンしてるか分からんから、何とも言えないけどね」

「盛り上がってるとこ済まないんだけど、女子ってどのくらいいるの?」
 ローカルな話題で盛り上がりそうなのを制するように、一年生の女の子が聞いてきた。重要な点だよね。
「公立の高校、国分寺とか保谷とか川和とかには結構いるよ。ただ三人つないでリレーができるかというと人数が厳しい、ってとこ」

 その夜は、ネタが尽きることは無かった。
 地図1枚から、こんなに会話が弾むとは。思い入れのあるものなら、石ころひとつからでも尽きない物語を紡ぐことができる。歴史って、こういうもんなのかぁ。少しだけ、理解できたかもよ、M先生。

関東高連定例会のマップたち。カッコは主催校。
左から八丁湖(農大三)、多峰主(桐朋)、二ツ塚峠(保谷)。

「そういえば、このころ、麻布はまだいなかったのかな」
 と、まんなかの一年生。
「あ、ああ、、、そういえば、知らない、ねぇ・・・」

4. 行く先を作る頃

 あの日の出来事、結局夢だったらしいです。高校生の頃、未来を見たい見たいと言い続けていたら、あんなことになったのか。
 色々あったけど、なんとか、無事に、いい大人になりました。

 あの夢のせいか、モノをすぐに捨てがちな私にしては珍しく、三十年以上もの間、当時の地図を保管していたんです。それも実家ではなく、いま住んでいる家に。何回も捨てる機会はあったろうに、すべてをすり抜けて、いまこうして改めて見ています。あの三人がくれた奇跡ですね。

 麻布生だと言っていたあの頃の彼に教えておきたかったこと。私の現役当時は対外的な活動が少なかったのですが、ひとつ下の代から本格的に競技に取り組み始め、私が卒業する年のインターハイ(山梨)で個人・団体ともに優勝。以後、現在まで続きます。

 私が卒業後の高校生の活動で目立つのをもうひとつ。自前で地図調査して対外的に大会を開いたことですね。五日市広徳寺の高連競技会。デフで調査者&作図者名が隠れていますが、当時の麻布・早実を中心に、女性も含めた複数校のメンバが調査に加わっています。有名どころでは現U-20ヘッドコーチの石澤俊崇氏(早実→早稲田93)の名前も。

五日市広徳寺(1992、関東高連)。調査期間91年7〜12月。
高校生がどうやって広範囲の調査時間を捻出したのか。情熱に頭が下がります

***

「もし、よろしければ、2月12日の部内杯に来られませんか?」
 そんなお話を、先日意気投合した平田くんからいただいたのが1月下旬。日程は空いてますよ。場所は寄居・鐘撞堂山。

 最近すごいと話には聞いている、母校の部内行事。高2の終わり頃って何やってたっけ。変な夢を見たのも、この頃だったっけなあ。録り貯めた渡辺美里をスマホから流し、当時の地図を引っ張り出し、市販の素を使って娘娘のスタカレー(*6)を作って考える時間も、また楽し。

 行きは、八高線で行きました。箱根ケ崎から小川町までは、涙が出そうな車窓の連続。パッセル・さやまみね、七国峠、加治丘陵、多峯主。梅園、越生六地蔵、道元平。寄居は未体験でしたが。

「関東圏テレインマップ」より。使える所はあらかた埋まったか。

 ほぼ誰も知らん状態で行ったのに、まあ話のネタの尽きないこと。大学入ったら経験者アドバンテージなど数ヶ月で消えちゃう話、文化祭の料理の話、体育祭の騎馬戦と棒倒しは無くならない話、雨天決行原則の学校行事の数々など。時間があっという間に流れました。

競技面だけでなく、運営面、部員の態度なども雲泥の差でした。。

 「二年生が運営経験の総仕上げとして部内杯を開催し、次代に受け継ぐ」が狙いで、第一回銀杏杯と名付けられました。午前中が予選でスコアO、上位半分が決勝のポイントO、下位は短いコースに出るルール。内部行事なのでここでは詳しくは書きませんが、設置・撤収含めて、いろんな出来事がありました。これもひっくるめて、ザ・高校の練習会です。

鐘撞堂山(2014、NishiPRO。2018リメイク)での第一回銀杏杯。
2600↑205。地形の違いはあるにしても、先の浦高杯との差に注目

 顧問の澤岡先生とも話してきました。先生が付き添いで来て、スタートと計センやってくれるんです(*7)。こんなの私の現役時代にもありませんでした。来年50周年を迎える部活。とは言っても、調査される中で細い時代があったことは認識されているようで、「これはグレートリセットだな」というフレーズを使われたのが印象的でした。

 部員のStrava見てると練習メニューに圧倒されるのですが、運営機材も昔とは比べ物にならないほど充実。自前でポスト機材とSIユニットを完備し、フォレストの頻度を増やす。1年生は部員の脱落も無くここまで来たなど。
 現状をひっくり返し、行き先を作らんとする、心強い言葉ばかり。

 この行事の直後に、部長以下の代替わりが行われました。漸化式の項が、ひとつ進みました。実際は外乱があるので、未来の予言なんてどんなシステムもできないんだけど、すべての代のエッセンスが、少しでも今の姿に入っているのかと思うと、見る目も変わりそうです。

 最近は大会帰りはかならず電車内でビールなのですが、こんな物語に感化されたせいか、結局この日は帰宅まで飲みませんでした。

 お前の知りたかった未来って、こういうことか?

Special Thanks

 銀杏杯の二日後に、偶然にもこのレースのコースプランナーの宮本樹氏(東京15、京葉OLクラブ)と織田フィールドで会いました。
 そこで御礼と、当日出た会話を伝えたところ、こんなコメントが。
 「10→11で道回りがベストルートだって議論があったって? もう少し10の場所をいじって、道回りが見えないような形にしたかったけど、高校生向けのコースだからまあ、いいかなと・・・」

この日の織田練習終了後。参加者は私を含めて4人。

 ああ、道走りが見えなくて尾根道を行った私が通りますよorz

***

 今回のネタを成立させてくれた平田海星くん(浦和/練馬OLC)、浅井琉太朗くん(麻布/練馬OLC/渋谷で走る会)、山本瑛里さん(渋谷で走る会)に感謝します。

*1 当時は文理分けは3年のみなのにコレだ。
*2 定例会のポイントの合計で上位15名という選抜方法。
*3 桐朋→東京89。インカレでは3・4年時に個人・団体とも連覇。
*4 みちの会。インカレでは2年時に個人準優勝。
*5 初年度は出場規定なし。くれぐれも適切なクラスに出ましょう。。
*6 カレーを名乗りつつカレー粉は入ってません。こちら参照
*7 澤岡先生ご自身にオリエン経験はありませんが、精力的にお手伝い頂いています。ホント頭下がります。

(おまけ)

高校時代の活動全記録。半分近くは高校生だけの身内の活動でした。
先日PC内を整理していたら発見。

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