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第12話 小難しい本を読むという自己再構築

とにかく、時間だけはある毎日でした。
何をしても自由。テレビやゲームにうつつを抜かしても、誰からも咎められません。

でも、理性的に考えることもありました。
外見に全く自信を持てなくなってしまったからには、外見以外のところで自分の強みを見つけなければならない。ゲームとか、無駄なことばかりをしているわけにはいかない。
こんなふうに、自分を叱咤激励したのです。

どういう強みを持つべきなのだろうか。
やっぱり、頭がよくないといけないだろう。
いろいろな学問に興味を持って、自分の知性を高めていこう。

まあ、こんな風にかなり単純思考ではあるのですが、勉強するということへのモチベーションを作り上げました。
大学の図書館は、素晴らしい場所でした。
設備が整っていて、蔵書がたくさんあって、それも普通の本屋には置いてないような専門書がたくさんあるのです。
生物学の専門書は、細胞やら遺伝子やら最新の科学研究の成果がきれいに図解されていて、それを読んでいるととても賢くなった気分になれました。
医学の専門書など全く自分の専門外なのですが、背表紙を眺めてこんな分野にも専門が分かれているのかと、学問体系の深さを思い知りました。
哲学についても、ちょっとだけかじってみました。絶望を「死に至る病」と定義したキルケゴールの世界は、今の自分にフィットしているように思いました。自分はまさに今、彼の言う「美的実存」の世界に囚われている(外見が美しくありたいと願っている)けど、いつになったら次の段階(倫理的実存、宗教的実存)に行けるのだろうかと考えたりしていました。

図書館以外にも、素晴らしい場所がありました。
老舗の静かな喫茶店。そこで出されるミルクコーヒーと焼き立てのロールパンのセットを片手に、持ってきた小難しそうな本を眺めるのです。
貧乏学生なので毎日そこに通うほどの余裕はなかったですが、週に1回か2回はそこへ行って、勉学に打ち込んでいる学生という雰囲気を楽しみました。

悩んでいることを一瞬でも忘れられたという意味では、この行動はよかったと思います。
当時、どんな本を読んだのかはほとんど記憶もありませんし、その当時の勉強がなにか具体的な成果につながったわけではありません。
でも、少なくとも昼の時間を有意義に過ごすことができました。

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