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病は知識を凌駕する

ある時大きな災害があった。
阪神淡路大震災以来、
災害があればずっとボランティアに参加してきたのに、
今回は行かないのか!?
それで良いのか!?
と、いたたまれない気持ちになった。
私の病状は悪かったがそこまで悪いと思っていなかったし、
周りにアドバイスをしてくれる人もいなかったので、
悩んだ末に所属していた組織を通じてボランティアに行った。

一気に病状が悪化し、表情は硬くなり、頭は働かなくなり、
周囲を苛立たせるほどの私になってしまった。

1週間の期間が終了し仲間と車で帰る道中、

「消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい
 消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい
 消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい・・・」

頭が「消えたい」でギュウギュウになった。
顔は筋肉痛になるほど強ばった。コントロールなんてできない。

休憩のSAで食欲も無いのに周囲にバレないように軽い食事を頼んで・・・
被災者の役に立たなかった上、
被災者よりひどい顔をしている私は仲間に責められているように感じて
トイレに立った。
鏡に映った自分の顔を見て驚いた。まるで能面。
「ああ、これは症状なんだ!症状なんだ!」
そう強く思う自分がいて、でも

「消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい・・・」

「症状なんだ」とどんなに強く思っても「消えたい消えたい消えたい・・・」

病気は知識を凌駕する。

ーーー✴ーーー✴ーーー✴ーーー✴ーーー✴ーーー

解散場所から自宅までは電車を乗り換え2路線を使用する。
「消えたい」という言葉と、
電車が入線してくると同時に走り出す自分の映像が何度も繰り返し浮かび、
その衝動性は高く、とても止める自信が無かった。

「このままでは死んでしまう・・・」

「飛び込みは後で家族に大迷惑をかける(利用者の皆様への迷惑もわかっているのですが)」
とか冷静に働く頭もあるのに、それを凌駕する「消えたい」と映像。

「ああ、どうしよう・・・」

運転手を務めている人は、
予定を延長して2週間ボランティアに当たった人。
疲労も限界に達している。
「誰か途中で降ろして欲しい人いる?」
と呼びかけてくださったが、当然余計な負担になることなので、皆さん
「いいで~す!解散場所で降ろしてください!」と答えた。
私もわかっていた。お願いするのは申し訳ない。でも・・・

「死んでしまう!」

「すみません・・・」
恐る恐る声をかけた。
「私、✕✕(住んでいる土地)なんです・・・」

「チッ!」と言われた気がした。

「しょうがないな。じゃ、△△(乗換駅)で降ろしてあげる」

「ああ、やっぱり怒られた。
一路線は免れたけど、もう一路線・・・どうやって乗り切ろう・・・」
乗換駅のホームで柱にしがみついているけど、
入線してきた電車に走り出す私の映像が繰り返し流れる。
「電車に乗れるのだろうか」

その時、天の計らいが働いた。
工事か何かで突然案内が出てきて、運転手さんがハンドルを切り損ねた。
車はインターチェンジに吸い込まれるように降りていった。
そこは私の住まいの近くだった。
「ああ!もう!しょうがないな。✕✕駅(最寄り駅)で良い!?」
「すみません」

「助かった・・・でも駅か・・・。まさかわざわざホームに上っていかないよね。
大丈夫、そこから走って家に帰ろう・・・。」
「消えたい」一杯の中、
一生懸命、駅に背を向けて走る自分をイメージしようとした。

ドキドキしていると見慣れた風景になった。
「ああ!ここです!ここを左に曲がってください!ここです!」
何と車は私の住むアパートの前で止まった。
車中の人は憤っているように感じられたけど、
私はそれどころではなかった。
「助かった・・・ごめんなさい、ごめんなさい」
胸の中で叫びながら別れた。

家に入って直ぐにベッドに飛び込み布団を被った。
「怖かった怖かった怖かった怖かった・・・」

一眠りして起きたとき、やっと泣くことができた。
本当に怖い体験だった。
今までも希死念慮に襲われることは何度もあったが、
こんなに病に殺されかけたことは無かった。
どんなに知識があったって、常識があったって、
病はそれを超えて命を持って行くんだ。

そういう体験だった。

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