松見草花

精神科看護を通して学んだことや考えたこと、私自身がうつ病当事者として感じたことや考えた…

松見草花

精神科看護を通して学んだことや考えたこと、私自身がうつ病当事者として感じたことや考えたことを中心にエッセイを書いていきます。

最近の記事

ココロのエネルギーの対価

自分が病院で働いていた頃を思い出して、 自分と同じ繊細さんの働きぶりを、その他の人と比較してみて、 精神障がい者さんが作業所で働いているところに同席させてもらって、 その収入を聞いて、思った。 その人のココロのエネルギーの消耗分が対価として支払われたら良いのに! と。 経済社会ではアウトプットされた商品やサービスの出来高に対して 対価が支払われている。 そりゃそうだ、当たり前だ。 でもね、でもね、 ある精神科病棟のナースステーションで 看護師が患者さんの「窓口対応した」

    • あきらめの感染

      精神科病院に勤務していると、ふと気づく。 ここには「あきらめ」の感情が蔓延していると。 「働きたい」「元通りの生活がしたい」「学校に行きたい」「愛されたい」 「結婚したい」「子供が欲しい」「普通に接して欲しい」 「頑張りたい」「健康になりたい」「新しい友達が欲しい」 「以前の友達と関係を回復させたい」・・・ 病院や施設に居ると、色んな希望が出る先から叩かれていくような。 病気や障がいの特性上、加えて医療や社会資源の乏しさから、 困難であることもまた現実としてある。 しか

      • 言えなくてごめんね

        ある日、患者さんが亡くなった。 自殺だった。 夜中にそっと逝ってしまわれた。 当時管理部に配属されていた私は、発見されたその日の朝、 知ることとなった。 私たちは万能ではない。 「死ぬ」と決めた人は、驚くほど用意周到に、バレないように、 確実に既遂される。 ただ、今回の自殺を振り返ると、サインはいくつかあった。 現場に居ないからそう言うんだと思う人がいるかも知れない。 そうかも知れない。 でも。と思ってしまう。 何人もの救えなかった命を経験してきて、 自殺防止のための勉強

        • 間違ってるよ!精神医療

          長い間、看護師としてあちこちの病院で精神医療に携わってきて、 色々な医療者を見てきて、治療スタイルを見てきて、やってきて、 自分自身が精神医療ユーザーとしてサービスを受けてきて思うのは、 「違うんじゃね~!?精神医療!?」ということだ。残念だが。 そもそも政策が間違っている。 一般の人はいわゆる精神科特例といって精神科だけ看護師の人数が 少ない配置でも許可されることをご存じないと思う。 スーパー救急といわれる3ヶ月以内に患者を退院させる (それだけが条件ではないけれど)病

        ココロのエネルギーの対価

          謝罪とサービスの質に関する個人的意見(その2)

          今から20年以上前かなあ。 まだ医療界にも発達障害の診断名が浸透していなかった頃、 一人の少女が統合失調症の診断名で入院してきた。 帽子を目深に被り、人と視線を合わせることを避け、接触も難しく、 よくデイルームで一人、卓球の壁打ちをしていた。 当時は主治医を筆頭に皆して「統合失調症?」と首をかしげたものだが、 今になれば明らかに発達障害の方だった。 同時期、意地悪おばさん2人も入院していて、看護師はもちろん、 コミュニケーションが上手く取れない彼女も格好の餌食だった。 年末の

          謝罪とサービスの質に関する個人的意見(その2)

          謝罪とサービスの質に関する個人的意見(その1)

          サービス業界の一人として発言したい。 的確でスムーズで誠意のある謝罪は質の良いサービスの大事な要素だと。 最近、誰も彼も謝罪しなくなったなあと感じている。 1990年前後は街で人にぶつかると、ぶつかった瞬間、互いに同時に「すみません」と言葉を発していた。そんな感じで謝罪は一般的に浸透していた。 しかし今は無視か、睨み付けていくか、舌打ちされるか、怒鳴っていくか・・・が多い。 自動車の保険会社の教育が影響したせいなのかなあ・・・ 「とにかく謝らないでください」と。 今は少し

          謝罪とサービスの質に関する個人的意見(その1)

          「死ね」という言葉

          「死ね」という言葉があまりにも安易に使われるようになってしまった と感じている。 私が子どもの頃は人前で使うには憚られる、 そんな重みを持った言葉だったと思ったが・・・。 使うのはもっぱら心のやさぐれた人だった。 私の記憶が正しければ、 世間で「死ね」という言葉の重みが無くなっていったのは、 ある芸人さんが突っ込みで使ってから。 私はそれ以来その芸人さんのファンをやめた。 私が教員をしていた頃、 私の未熟さが原因で学生に「死ね」と書かせてしまったことがある。 実習記録に。

          「死ね」という言葉

          手のひら返し

          ある病院で同僚の医師がうつ病になった。 良い先生だった。能力も人柄も。 だから難しい患者さんを沢山受け持たされていた。 私から見てもオーバーワークだなと思った。 労いの言葉をかけた時はもはや焼け石に水の状態だった。 うつ病と診断された途端に、今まで信頼していた他の医師が口々に 「あいつは元々そういう所があった」 「やり過ぎなんだよ」 「上手くセーブしないとね」 とか言い出した。 おい、こら、待て。 患者の割り当て決めたA、おまえが言うな。 B、元々そういう所があるなら、な

          手のひら返し

          私は残念な人

          私は残念な人だ。 子どもの頃、 当時の歌謡曲はストーリーが見えるような歌詞が多かったので、 ただ歌手が歌っているところを撮ったビデオではなく、 ドラマ仕立てのビデオを作ればいいのに・・・と考えていたら、 マイケル・ジャクソンの「スリラー」のミュージックビデオが発売された。 「これ!これ、これ! やっと私が思っていることを体現してくれる人が出てきた」と思った。 私は大のテレビっ子で、CMも大好きだった。 だからTV鑑賞中はトイレに行く暇など無かった。 そんな毎日の中で「CM

          私は残念な人

          病は知識を凌駕する

          ある時大きな災害があった。 阪神淡路大震災以来、 災害があればずっとボランティアに参加してきたのに、 今回は行かないのか!? それで良いのか!? と、いたたまれない気持ちになった。 私の病状は悪かったがそこまで悪いと思っていなかったし、 周りにアドバイスをしてくれる人もいなかったので、 悩んだ末に所属していた組織を通じてボランティアに行った。 一気に病状が悪化し、表情は硬くなり、頭は働かなくなり、 周囲を苛立たせるほどの私になってしまった。 1週間の期間が終了し仲間と車で

          病は知識を凌駕する

          「できることは自分でしてもらう」の意(看護のセオリー)

          私は怒っている。看護界に。何よりその一員である私自身に。 私は数年間、教員をしたことがある。 ある日、看護学生の2年生を実習に連れて行った。 2年生と言えば正直提供できる看護はコミュニケーションくらい。 援助することより、患者さんから「していただく」事の方が多いくらいだ。 学生が私を探していたと看護師から声をかけられ、 慌てて学生の元へ行った。 「患者さんの背中を流そうと思ったんですけど、先生いなかったから。 もう良いです」と実に残念そうだった。 そう、私が学生だった頃

          「できることは自分でしてもらう」の意(看護のセオリー)

          私が変わると・・・(児童思春期病棟 私が育てられた話)

          児童思春期病棟での話。 みーちゃんは小学3年生の女の子。 でも気分はきっと幼稚園児。 大柄で正直かわいくない。 大人の関心を買うためにいつもいたずらばかり。 毎晩おねしょもしていた。 それも、おねしょ?した寝床に看護師を添い寝させて 絵本や漫画を読み聞かせさせていた。 頭ではみーちゃんが愛情を欲しているとわかっていても、 心が受け付けなかった。 「なんで愛してほしいのに、人の嫌がることばっかりするんだろう!?」 だからみーちゃんとの時間は心地悪かった。 一緒に遊んでいても

          私が変わると・・・(児童思春期病棟 私が育てられた話)

          どこかで誰かが(児童思春期病棟 さとるの叫び)

          児童思春期病棟での経験。 異動したての頃、まだ20代半ばだった。 入院して5年目のさとるは15歳。 他の看護師にはとびきりの笑顔を見せるのに、 私には悪態をついて睨み付ける日々。 そのくせ詰所にいるとずっと私を目で追っていて、 私に関心があるのは明らかだった。 対応に困った私は先輩に相談した。 「松見さんの気持ちをそのまま伝えてみたら?」 気持ちを伝える・・・どうやって・・・?気持ち? 未熟な私はまだ自分の気持ちを整理したり伝える術を十分に知らなかった。 毎日傷ついて混

          どこかで誰かが(児童思春期病棟 さとるの叫び)

          深夜のコーヒー(キャリアウーマン2)

          午前2時、眠れないと彼女がやってきた。 彼女は癌の末期で緩和ケア病院を勧められていたのだけれど、 死にに行くようで嫌だと拒否していた。 タバコが吸いたいので内緒でデイルームを開けて欲しいと言った。 今では信じられないだろうけど、 当時、デイルームには喫煙所が設けられていた。 でも、デイルームの使用時間は6時~21時。それ以外は施錠されていた。 例外的な看護も提供していた私だったけど、 火を取り扱うということもあり、さすがにためらわれた。 そこで看護師の休憩室からインスタン

          深夜のコーヒー(キャリアウーマン2)

          隠して生きるということ

          病気を隠して生きるということは病そのものとの闘いの他に、 世間を欺き続けるという闘いがあると思う。 私は病気になった同僚に対する 他の同僚の態度にショックを受けた結果、 「自分が精神障害になっても、絶対にバレてはいけない」と 心に決めていた。 「絶対」というのは私にとってはこの世に中々ない、非常に強い言葉だ。 だからうつ病になってからは細心の注意を払って バレないように振る舞った。 相談した医療者にも家族にも友人にも バレないようにした方が良いと言われたし・・・。 受

          隠して生きるということ

          ブー先生(看護学校の先生の話)

          精神科の実習は3週間(実質15日)の予定だった。 ところが学校の入試時期と重なり休みの日が多く、実質6日しか無かった。 とはいえ課されている「学生によるレクリエーション企画」は 実施しなければならない。 実習グループのリーダーだった私は頭が痛かった。 おまけに・・・ 私はうつ病の高齢女性(認知症も合併されていたかも)を担当したのだが、実習初日から拒絶されてしまい、 「うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!」 と連呼されベッドサイドにも行けない始末。 生意気にも患者さんと

          ブー先生(看護学校の先生の話)