見出し画像

考えすぎ変身日記④ 人間味に強烈に惹かれる

相変わらず心理学に興味がある。好奇心が止まらないし、今の気持ちの不安定さのバランスを取っている。
益田先生のYoutubeを以前から見ていた。


今回観た回が、先生自信が思いを話しながら涙しているものだった。
自分の生い立ちと医者になるまでを話していた。
「最近少年時代の自分と対話している」と話しており、インナーチャイルドと対話しているのかな?と思った。
話の中で出てきたことばは「寂しかった」と「裏切った、裏切るんじゃないか」というもの。
裏切る、ということばが胸に引っかかっているのかな、と思った。
何か親の期待が大きかったのかな?とか、分析グセ。やーね。
どんな要因かはわからないけど。


前の仕事の研修で田中康雄さんの講演の時も思ったけど、
うなりながら支援について考えている、自分も葛藤しながら患者のために仕事をしている、という姿が素敵だと思っていた。
今回の益田先生の動画もそう思った。
悩み、思いが揺れながら必死に寄り添おうとする人間味に心打たれる。


療育の仕事で日常的に子どもたちの葛藤や頑張る姿、他児と思いがぶつかった時に出る本音にたまらなく鳥肌が立って震えた瞬間がたくさんあったことを思い出した。
懇談でお母さんたちが語る子どもへの思いや葛藤を聞いた時も、その人間味に心を動かされた。
このような場面で私の「人の役に立ちたい」欲が爆発していたんだと思う。
一緒に考えるよ、手伝うよ、と。
生きている、ということを強烈に感じるんだと思う。
悩む自分に疲れたりもするが、生きていないとこれは出来ないと最近は思うようになってきた。しんどいけど、これは自分が創り出していることで創り出している現実。生きている証拠。


感情に対してもっとフラットに、淡々とこなせるほうが自身が削られない、自分が楽にこなせるし、仕事が継続出来る。
継続は出来る方がいいけど、「淡々と」というのは興味惹かれないし、自分の色ではないかも。
心身を削らない工夫
もう50前までこの思考で生きてきたので変えるのは難しいけど、工夫は出来そうだと思う。
考えたくないけど考えずにはいられないのも自分の性格。うまく友だちになろう。背負いすぎる、真面目さも線引の練習を。適当に。


支援者は強く、利用者の前で一緒に泣くなんてしてはいけないと思っていたけど、自分から本音や感情を出した時に自分が癒やされたり、利用者との関係が変化したりしてきた。
本音を出すのは損をするかもしれない、けど本音を出すことのデメリットはどのぐらいあるだろう?
それこそ相手を見極める必要はある。


本当に療育という仕事に自分は育てられたと思う。
子どもたちに、同僚に、先輩に、お母さんたちに。
「プリズン・サークル」等のグループ治癒に惹かれる。
人は人に傷つけられるけど、癒やしてくれるのも人なのだ。
人が集まるグループが治癒としてお互いを支えたり成長させたり出来る場面がたまらなく好きなのだ。


感情労働は自分に合わないのかも知れないと思うことがあるけれど、人同士のやり取りを観て自分がとても癒やされたのだ。
熱意の調節は難しそうだけど、うまく付き合っていく技術を身につけるのは自分に今後プラスになると思う。
感情労働は熱い人が多い、熱い人じゃないと選ばない職業だと思う。


人がどう感じどう思うのか、思想とか文化、その違いに強烈に好奇心をくすぐられる。
違いが楽しい、療育も海外も旅行も。刺激が欲しいのだ。
「こうしてみたい」というひらめきと、行動が止められない。
リスクを伴う挑戦を、したことがないモヤモヤがある。


私も居場所が欲しいのだ。
本音で話せる場に何度も救われた。
そして自分の劣等感である「私はひとりだ」という思いはきっと、仲の良い家族への嫉妬心なのだと思う。強烈に憧れているのだ。強烈に欲している。
仕事でよく偉そうにお母さんたちに「一人で考えちゃだめだよ、一緒に考えるよ、思いを聞かせてね」と言っていたのを、自分には出来ていない。本当に(笑)
担当してたお母さんに言われたことばをまた思い出す。


社会に出ると素直さはどんどん削られ、または隠したり抑えないといけなくなっていく。
分からないことを「分かりません」と言えなくなっていき、カッコつけなくては馬鹿にされてしまう。
特に日本は「普通に」見えるように擬態しなくてはならない。
本音がどんどん分からなくなってしまう。本音がどんどん言えなくなる。
これが生きづらさに繋がるのでは。
本音で語る難しさ。
でもSpeak myselfが身を助けるのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?