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懐疑に生きてしまうことに疲れた。


私はいつも物事に対して「疑い」から入ってしまう。

なので関わってくれる方々に「信用・信頼」が私の中に芽吹くまで時間がすごくかかってしまう。

すごく仲良くなりたいし、楽しいお話をしたいけれど、私は厚い壁を最初から作ってしまっている。

他人から見た私はどうなのかわからないけれど「信用・信頼」できない相手として認識されても仕方ないと思う。むしろ自分からそうしている所もある。近づきすぎたと思ったら反射的にシャッターを閉じてしまう。ことごとく自分に嫌気がさす。



少しずつ信用が芽吹いてきた矢先に裏切られることが何度もありすぎると警戒心が強くなる。


プライベートでも仕事でも、そーなんだと素直になればどんなに楽かと毎回おもうけれど、「懐疑心」が先にでてしまう自分に疲れました。


疑いながら人と関わるのも碌なことがない。


相手の思惑を深く探ったりした結果、「嘘」だの「利用しようとしている」だのと利己的な考えが出てきて”まっくろくろすけ”かよと開いた口が塞がらない。


せめて、せめてそれをやるなら全力で騙して欲しい。

わからなかったらそのままだもの。

わかってしまうから余計に傷付く。


それか、全力でぶつかってこいよ。逆に隠し事がなくて気持ちいいわ。


信用して裏切られるのも、わかっていても結果が最悪だと再度認識してしまうのも疲れたし辛い。


でも、自分を守ることを優先するなら懐疑心でいたほうがまだ良いのかもしれないと思っている。


だから私はこれからも、物事に対して「疑い」から入ってしまうのだろう。


本当は、素直に信じたい。

疑いを持つ世の中よりも、信用溢れる世の中の方がうんと楽しめるのに。


「利己」「利他」に変えるだけだよ。


私も他人のことをどうこう言える人間ではないけれど、とても切なく思う。
何を偉そうにと思うでしょう?本当バカみたいだよね。どうでもよくなる。


絵を描いている時が1番落ち着く。
あと、ほんの少し疲れたから、旦那に甘えてダラダラしようと思う。

腹抱えて思いっきり笑いたい。

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