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虚像のヴィラン

『ジョーカー』を見て友人に言った言葉は、「これじゃあまりに虚ろだ」という言葉だった。
 ジョーカーというスーパーヴィランについてそう口から出たが、考えを進めるうちになお《虚ろ》がキーワードになってきたように思う。
 ここで頭にちらつくのは「アナと雪の女王」のハンス王子だ。(彼は作中鏡としての役割を担い、誰に対しても《理想の存在》を演じていた。)

アーサーは仮面をつけない。ピエロとして顔に化粧をする。そして笑顔のペルソナを顔に貼り付けるのだ。
ハッピーと母に呼ばれ、笑顔で広告ボードを振り回しながら踊り子ども達を笑わせても、常にアーサーはネガティブ感情をもてあましている。
ピエロ恐怖症とされる人たちは、笑っているメイクの下の顔が怖くてたまらないという。

 化粧をするとはどういうことか。特に現代女性は自分の思う理想の顔になるため、人を不快とさせないマナーとしてだろう。これは笑顔も同じだ。
 社会にいる中で、人はペルソナ(仮面)を必要とする。他者に求められる仮面をはりつけて社会に求められる機能を果たす。

 しかしアーサーは虚ろだ。誰にも何も求められていない。《透明な存在》とは酒鬼薔薇の使った言葉で耳にしたことのある人や体験したことがある人もいるかと思うが、劇中のアーサーは本当に誰でも何でもない。母にハッピーちゃんと呼ばれることすら母でもなくハッピーでもない、ただの虚ろであり、人を笑わせるという夢の理由となった笑いだす神経の病も虐待によってつけられたものだった。

 公開直後の今、彼に対する共感がSNSに溢れている。違うのだ、そこには虚ろしかない。そのような共感は彼を祀りあげ、病院にも連れて行かずにタクシーの上で躍らせる暴徒たち、あれに過ぎないと恐怖を感じている。

 人は虚ろに何を観るか?
 彼自身が虚像の中に、人々は自分自身を見る。理想を見る。実際にひどい後遺症を追うほどの虐待をうけ、両親とは血がつながらず、母の精神病に巻き込まれ、己も精神病で福祉を頼るも見捨てられ、職場は派遣でいじめとパワハラ、治安が悪いため見ず知らずの人に暴力を受ける.....というようなことと全く同じ体験した人はいないだろう。
 せいぜいどんなにどん底でも2~3つ、多くて5つ当てはまるかというところだ。 

しかし人は、自分の体験した中でしか判断が出来ない。共感が出来ない。理解がしづらい。おそらく共感を示している人は、己に巣食った虚無感・誰にと糾弾できない被害者意識にのみによって共感している。こういった被害者意識は下記の書によって分析されている。

日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか (光文社新書) 古荘純一 https://www.amazon.co.jp/dp/433403506X/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_ZkQNDbP13D4GN

本当はこんなことではなくアーサーの赤いスーツの意味やアーサーフレックという名前の考察などをしていたかったのだが、善悪についてはメタルギアソリッドVが名作と思っているので、善悪について考える際は常に凡庸な悪について思っていたいと思う。
http://kimoidameo-brog.hatenadiary.jp/entry/2016/08/26/MGS5%E3%81%AF%E6%82%AA%E3%81%AB%E5%A2%9C%E3%81%A1%E3%81%9F%EF%BC%9F

また絵を描いたらヘッダーなどに追加予定......描き終わるかは未定

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