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愛で男性性を使うとき

今日は相手にとっては過酷だとしても、はっきり伝えないといけない事がやってきた。
それはそのうちくると予想していた事だったけど、数日前から思いのほかタイミングがどんどん早まっていって今日決定打になる事がきた。

そういう時、まずそれを相手に伝える前はとても冷静になる。その伝える事に対しての現実的な裏(事実)をしっかりとってから、相手に伝える。今回もそう。

相手が逃げ癖が巧妙で、その相手にはっきりと現状を突きつけなきゃいけないときは曖昧なものは全く役には立たない。相手だって逃げるのに本気だから。


ちゃんと向き合える材料は用意してから。

それは愛からか??

っと何度も自分に問って、自分の立ち方を確認してから今日の夜に相手に伝えた。

要点はははっきりわかりやすく、そして自分の本心の感情の部分も、まっすぐに伝える。

そうでないと相手に刺さらない。

こういう場面は初めてでもないし慣れてないわけではなくても、毎回エネルギーはすごい使う。

伝えた後、他にやらないといけないことは沢山あったけど流石に事が事だっただけに、心が痛くて(身体も痛かった)気持ちを切り替えて!っとはできなかった。

そんな自分を悔しくおもった。

今日の相手に、これを伝えたらから別な事ができなかったって自分のなかでなるのがすごい嫌だった。相手は関係ない。これは自分の弱さや未熟さだから。そこまで自分に厳しくならんくてもっておもうけど、悔しさがつのったのは正直な感情だった。

伝えたことでの痛みと、自分への悔しさを感じるしかできんくて

どうしょうもなくて風人といっしょに近くにある縁の濃い神社に行って、手を合わせながらまず今日の出来事や今の自分の状態を伝えた。


そこで伝わってきたことはわたしが

これは愛からなのか??

って感じた自分の行動についてだった。わかりやすく優しさあふれる愛のある行動には全く感じれないことであっても、男性性の愛の使い方だったりするんだと感じた。

一見厳しく、鋭く、
相手の変容に必要な衝撃を与える

その為に必要であればムチや毒も使う

それはふわふわした状態では無理。
しっかりと地に繋がった状態でなければ、現実的に必要な衝撃は起こせない。


未熟さはありつつも、わたしなりの精一杯の男性性の愛の発揮だったんだ。

そうかぁ。

って神社で手を合わせてると伝わってきた。
これまでもそういう場面の時は、男性性を使っていたんだなと感じた。


本当に必要なとき、癒しや寄り添いや受容だけでなく、いつでもムチも毒も慈悲で使える自分でいたい。

そう今日強くおもった。

その為にはもっと自分の内をクリーニングしていくことが必要だと感じた。

その為に今日感じた自分への悔しさは残しておこう。










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