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Your Body Is Working as Village

私がサムのレッスンを受けたときは衝撃の連続だった。

きついことが正しいとされてきた常識を覆されたから。

「痛みがあるところに、成長がある」
「ハードであればあるほど、結果がついてくる」
そう思い込んでいた。

でも、彼女のレッスンは「気持ちが良い」の連続だった。
どうしてこんなに気持ちがいいんだろう。
ストレッチをしてもらっているわけでもない。知っているエクササイズなのに彼女の言葉と手が入るだけで、私の身体は痛みとは逆のベクトルを示した。

「さあ、今度はあなたが動いてみて」

そう言われて自分で動こうとすると、動けない。
痛みが走る。

なぜ?同じことをしているだけなのに。
混乱が走った。
そして、また彼女が私の体に手を添える。
すると体はフワッと心地よくいとも簡単に動く。

いや、簡単にというのは嘘かもしれない。
努力とか、なんとかしようとかという観念とは違う種類の
ハードさがあるのだが、終えた後の身体には徒労感よりも、上にぐんぐんと伸びていく感覚が走っていた。

何キロも走れてしまうような、ずんずんと前に闊歩していけるような感覚。
でも、彼女がいないとできない。

ある日、私は、トラップテーブルの上で彼女に吊るされながら泣いた。

Your Body Is working as a village

Sam 

「あなたの体はね、一つの村のように働くのよ。」

という言葉を聞いて泣けてきたのだ。

「あなたは、単発の筋肉を強化しようとしてきたでしょ?
 二の腕、とか、腹筋、とか、広背筋、とか、ふくらはぎの筋肉、とか
 個別にワークするようにしてきた。
 あ、私の広背筋が弱いから、強化しなくちゃって。
 でも、違うの。あなたの体は全体で動くの。全体で動けばいいのよ。
 もっと他の筋肉と一緒にお互いに頼りながら動いていいのよ。」

と。

その言葉をもらって、走馬灯のように自分の人生を振り返った。
1人で頑張ってきた自分。
私のここが弱いからダメなんだ。直さないと、と必死になっていた自分。
周りは敵だとばかりに、頼らずにがむしゃらに。

そのメンタルの結果がこの体の使い方になっていたのだ。
私は、他の人と協力をして何かをするのは苦手だ。
誰かと誰かの意見が合わないとか、とてもめんどくさいと思う。

立場が強い人や言葉が強い人、意見が強い人が結局はその場を持っていく。

そして、立場が弱く、言葉がスムーズに出てこなく、意見がすぐに出せないと
その場にいることは、「従う」という立ち位置になる。

それが嫌で、それ以外の方法を知らないために、
私は人と何かを一緒にやるのはすこぶる苦手だった。

でも、1人でやるのは限界がある。
一つの体に頼ることに無理が来るように。

It is time to learn how to get help each other. 

Sam 

「もうヘルプをお互いにもらいながら生きる方法を学んでもいい時期じゃない?」

そんな風に言われた。

あの日、あのトラップテーブルで涙をしながら私は自分に言った。

「生き方を変えよう。このピラティスを通じて、生き方を学ぼう。
 きっと私が体を村のように全体で動くように使うことがわかれば、
 他人とも、きっと全体で動くことができるようになるに違いない。」

きっとその先に、彼女の教えるピラティスで感じる
「気持ちがいい」世界が待っているに違いない。

そこから、私のピラティスの姿勢が変化した。
そして、人生観の学びの連続だった。

続く

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