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耳鼻科のドクターは奇跡講座を学んでいたのか?

今年耳鼻科のオペを受けたときのことを思い出していました。

耳鼻科の診察でドクターに「あのー奇跡講座を知ってますか?」と尋ねませんし、もし「そんなのは知りません」の返事でも「じゃ、オペは止めます」とはなりませんね。

そのドクターにオペを受けて順調に経過したわけです。

すると、奇跡講座を学んでいることは、他者に対してどれほどのメリットがあるのでしょうか?

あまりメリットがないように思えます。
スピリチュアルに興味がない人には、とくにメリットはないでしょう。
逆にデメリットだけ与えてしまうように思います。

ひとのために学習する

国家資格を取得するために学習します。
それは社会的な名声と、アピールのためでもあります。
「わたしは国が認めた技術と知識を持っている。だから安全安心です」とアピールしています。

わたしは柔道整復師です。 いわゆる整骨院・接骨院の院長が出来る資格。
また機能訓練指導員として、デイサービスなどで働ける資格です。

柔道整復師の資格取得したときには、こう思いました。
「これで自分も、まともな人間になれるぞ!」
それまでは、まともな人間とは思っていなかったからです。

ところが、《整骨院の院長先生》となって、周囲から呼ばれても、『まともな人間』にはなっていなかった・・・


院長先生になると、それまでとは関わる人たちが変わってきます。
その関わりの中で自分自身のこころの中身が見えてきます。

それを見るのは、つらいものでした。

「なーんだ、大したことないな」と自分で感じました。

売上や評判、広告のことなど目前のことに追われて、それしか見えない。
自分のゆったりした心境や体調や暮らしなどは、思いもつかない毎日でした。

整体術の自信はもちろんあっても、それだけでは本当の癒やしにはなっていかない。
では本当の癒やし、人のためになり自分自身のためにもなることはなんだろうか?
と考えてみると

自分のために学習すること

だと気づいたのです。

20年近く奇跡講座を手放さないのは
自分のための学習だからです。

ひとのための学習なら、とっくに飽きているし、卒業しているでしょう。

ベジタリアンな暮らしもそうです。
地球環境のためとか、動物の命を守るとか、エネルギーのことなど後付の理由はありますが。
まずはわたし自身のために、ベジタリアンな暮らしを選びました。

奇跡講座の理念で『自他一体の理』があります。
自分と他者は、存在しない。 ただひとりの神の子が実在しているだけ、とあります。

自我の作ったこの世では、分裂があり幾億もの人類が存在しているように見えます。
また数十もの国家があり、人種があるように見えます。

そららは幻想であり、夢の一つです。

わたしが、イエス・精霊のメッセージを聞き取れるようになる。
そのために、どうしたら自我の大声を止めて精霊の声を聞き取れるようになるのか? イエス・精霊に助けを求める意欲があれば良いのです。

☆イエス・精霊はおなじ概念です。神からのメッセージを携えて、わたしにつなげてくれるのです☆

整骨院の患者さん、デイサービスの利用者さん、同僚

には、わたしが奇跡講座を学んでいようがどっちでも良いのです。
柔道整復師の仕事を全うしてくれたら、OKです。

わたしの心が穏やかになり、それが本物ならばわたしの全身から癒やしのパワーが溢れていることでしょう。
それは相手が感じることなので、わたしにはコントロールできません。

コントロールできないことを、思いわずらっても仕方ない。
ただ、わたしの感情、見方考え方をコントロールすること。
そこに集中することが出来るのです。

記事のまとめ

  • ドクターに奇跡講座の学習の有無は問わない

  • 資格勉強は人のためにする

  • 奇跡講座は自分のために学習する

  • 人の感じ方は、コントロールできない

  • 自分の感じ方、見方考え方をコントロールすることに集中する

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