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YOUはなぜレイアウトに参加?

自分の場合、「YOUは、なぜレイアウトをつくった?」が正しいとして。

2017年10月。ロフトワークの中に事業責任者というポジションをつくった。組織のヒエラルキーもカリスマ経営陣によるトップダウンのマネジメントもコンプライアンスも求めない、でも従業員100人を超える法人というロフトワークあって、事業ユニット(&事業責任者)という仕組みは、全社的に新しいチャレンジだった。会社的にも役職や役員を増やすより、新しい事業ユニットの数を増やすという話が今も進んでいる。

事業ユニットは、組織より少人数(できれば少数精鋭)で仕事をやりくりする。それはミニ・ロフトワーク ではない。ロフトワークの企業カルチャーを踏襲しながら、そこにあるルールに(ときに)縛られず事業を自由にデザインする。デザインするのはプロジェクトであり、働く時間、活動場所であり、仕事の生み出し方、進め方、その構成メンバーさえも前例主義によらない。いわば本家ロフトワークの秘伝のタレとレシピをお裾分してもらいつつ自由なコンセプトで新しい味のラーメン店を出すような。できれば本家やラーメン界にとっても新しい風となれたら、そんな気持ちでスタートさせた。(ちなみに子会社化はしていない。)

自由だけでなく責任(お金まわり)についても設計した。レイアウトの事業会計はロフトワーク(法人)の傘下にあるものの、年間の収支(売上、原価、粗利、営業経費(人件費)、利益)など経営数字の責任を持つと決めて、いわゆる「事業計画書(年間の予算書)」をつくってロフトワーク経営陣へ提案。これまでロフトワークではプロデューサーとしてプロジェクトの売上や粗利にはコミットしていたけれど、それ以上の数字までコミットするのは初めて。5年勤務したロフトワークで初めて給与交渉をして、自分の給料も成果報酬のあり方も決めさせてもらった。毎年事業計画を立て、現在はユニットメンバーの採用・雇用も給料も一任してもらっている。ほぼ会社経営や社内起業(イントレプレナー)に近い経験をさせてもらっているのだ。

起業という選択肢は、学生時代から常に頭の片隅にあった。学生のまちづくりユニットを運営していた時からリーダーシップも予算管理も担っていたので、法人化していないだけで、経営のエッセンスを経験することができた。いよいよ学生起業か就職かというタイミングで入社を決めたベンチャーでは、いつかの起業にむけて、一つのベンチャーが成長する姿を目の当たりにしたかったからだ。その企業は東証一部に上場するまで組織が大きくなる姿を見ることができた。また、同時に大きくなったことの弊害もたくさん見たし、企業法人が世界の全てでもないとも知った。

計画していて途中、「いっそ、自分で会社を立ち上げたほうが、手っ取り早いんじゃないか?」という気もした。が、当時、社長から言われた「自分でゼロからマーケティングやPR、経理や財務、採用も含めてバックオフィスを持とうとしたら、立ち上がり期の負担は底知れない。ロフトワークというある程度、リソースが整ったプラットフォームを活用して自分のやりたいことを実現する方が、いろいろ短縮できるよ。」というアドバイスが「いよいよ次は起業しかないか?」という自ら生んだ呪縛を解いてくれた。だからレイアウト・ユニットは、起業に向けた経験値の為に始めたものではない。

それよりロフトワークで働いたことで気づいたこと =「企業」が20世紀最大の人類の発明の一つとして、21世紀の働き方は、企業の枠組み内によらない(リンダ・グラットンのライフ・シフト的にいえば企業はあくまで一つの手法であり)「いつ、だれと、どのように働くか(プロジェクト・ベース)」の概念で時々刻々と変化していく。そうだとしたら、手法としての法人や起業よりも「なにか新しい仕事や面白いプロジェクトを生み出す方が先決だ。」と思いはじめた。世の中にプロジェクト(チャレンジ)の総量が増える活動(そして活動を増やす空間)を加速できないか。これが今も変わらない自分自身が持つチャレンジングな「問い」だ。

21世紀は「プロジェクトの時代」だ。「オーシャンズ・イレブン」よろしく、それぞれの職能をもつ(社会的、経済的にも)自立したプロ達が、プロジェクト起点で仕事をする為に集まっては、それが成功したら解散していく時代。働く人の多くが、組織に属す/属さないを問わず複数のプロジェクトに属し、個人の強みと興味関心の軸をもって複数の仕事場、複数の収入源を得る。徐々にそのようなワーク・スタイル(ワーク・スタンス)が増えるだろう。ロフトワークも元来、プロジェクト単位で仕事が進んでいる(年間200件を超えるという)。法人格として、仕事は受けるものの、都度プロジェクトチームを編成して挑むから、複数のプロジェクトの総体がロフトワークともいえる。プロジェクトの失敗や成功は、プロジェクト単位に委ねられ、(理想的には)ロフトワーク自体が直接的にその責を負うものではない。

レイアウトは、この『プロジェクト・ベース』の考えをより色濃くできないかと思ってスタートした。ヒト・モノ・カネは組織単位でなく、プロジェクト単位で独立採算とする。そして数あるプロジェクトの編集を担う「ユニット」の存在。プロジェクトには、「この指とまれ」で人があつまる。プロジェクトメンバーの関係はフラットであり、予算やリソースはプロジェクト・マネージャーが最終的に監督するが、使い道はチームの中の議論で上手くやりくりしてもらう。プロジェクトが終われば、そのチームは解散するし、プロジェクトの継続は、ユニットや全体組織の経営状況に(ほぼ)左右されない。メンバーは、一つに専属しても良いし、プロジェクトを渡り歩き、掛け持ってもいい。できれば来たる「プロジェクトの時代」へ向けて複数のプロジェクトの関与を推奨している。そいうプロジェクト群を "編集(LAYOUT)している"のがレイアウト・ユニットというイメージでいる。

だから、プロジェクト自体を数多くデザイン(プロデュース)できれば、プロジェクトの種類は、なんでもいいと思っている。(それではロフトワーク本体とあまり変わらないとしたとき)レイアウトが取り組む「空間」や「場づくり」「コミュニティ」というテーマは、「プロジェクト・ベースの働き方の総量を増やす」という点において、ちょうどいいテーマとサイズ感かもしれないと考えた。「空間」や「コミュニティ」といった類は、いずれもヒト・モノ・カネをちゃんとプロジェクト・デザインしないと立ち行かない。さらに空間のプロジェクトは複数の「子プロジェクト」を生む「親」にも成り得る。こうして、(主に新しい空間をテーマに)プロジェクトの総量を増やしたいという思いからをプロジェクト自体(&プロジェクトの総量を増やす空間)をデザインするレイアウトを立ち上げた。

初めは5名だった。僕のアシスタントをしていた新卒スタッフと、別部門から移籍したディレクター、外部からリクルートした新人に、外部の建築事務所との兼務で入ってもらうアーキテクトそしてプロデューサーであり事業責任者としての自分。社長のアドバイス通り、社内のリソースを大いに活用させてもらい、異動や採用で徐々にメンバーも増えた。初年度からプロジェクトにも恵まれ、若者がプロジェクトを創出する「未来をつくる実験区100BANCH」の立ち上げと初年度の運営、新しく相談が来る共創空間プロジェクトや実験的まちづくりの活動などユニークな複数のプロジェクトが進んだ。予算は毎年その計画を達成し、売上や事業利益もメンバーも順調に右肩あがりに増えていった。レイアウトの成長記録は、また別の機会に(活動紹介の概要は、こちらに紹介中)。

レイアウト・ユニットは、まもなく4周年。だが、立ち上げ当初に描いた「プロジェクトの総量を上げる」という思いは道半ばにある。世の中を突き動かすような「プロジェクト・ベースの働き方」の加速までには、全くいたっておらず、新ラーメン店にしては、本家の味と対して変わっていない気がしなくもない。でも、ユニットを立ち上げて良かったと心底思う。起業でもなく、事業継承でもない事業責任者として新しいユニットを立ち上げるという経験は、多くの人にオススメしたい。これからどこかの会社のリーダーになるにせよ、または起業家や個人事業主になるにせよ、これから自分なりのラーメンの味を探究する活動に(結果、それがラーメン屋にならななくても)経験として活きるはずだ。

先日、ユニットのメンバーが、あるプロジェクトについて「まるで一つの会社を経営しているみたい」と言い出した。(「そうそう、その感覚あるよね!」と)聞いてニヤリとする自分。自分ひとりで責任者としてユニットを大きくするのは限界があるし、むしろそれでは現代の法人の概念に近づいてしまいそう。プロジェクト・ベースの時代に必要なのは、プロジェクトを増やす事業責任者や自立(自律)できる個人の総量を増やすことなのかもしれない。

次回は、事業責任者としての4年間の振り返りも書いてみたい(ニーズがあれば)。

PHOTO: コオロギラーメン@ANTCICADA

#YOUはなぜレイアウトに参加 #LAYOUT #振り返りnote #プロジェクト


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