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日本維新の会で行こうと決めた理由:その1:(まずは背景)

今日はまだ誕生日ギリギリです。誕生日には京都で開催された日本維新の会の定期党大会に参加してきました。

日本維新の会へ参加のその前の前のことになりますが、私が市議会議員に挑戦を決めたのは昨年の12月20日というかなり遅い時期でした。

その前の頃、夏から冬にかけて私とリアルに交流があった方で、「次、どうするの?」聞かれた方には、聞かれたので正直に「私はもう議員はイヤだから出ない」という内容を話していました。
理由は大きく2つあって、
(1)そもそも御前崎市ではまっとうな議員活動ができない理由がわかったから
(2)議会の雰囲気がとても辛く、私のメンタルがやばいと感じていた
というものでした

(1)の理由をもう少し詳しく説明すると、議会に出てきた書類(=資料)に疑問を感じる事が、少なくとも直近で最低3回はあって、もしかしてこれは構造的な何かがあるんじゃないか?と思ったからです。この点については、秋くらいに会合でお会いしたとある方に警告をした記憶があります。念の為、お相手は匿名にさせていただきます。その疑念が大きくなった一つの出来事については、議会での記録にも残っています。←これは詳細を書くかどうかはまた決めます。

私たち議員の仕事は常に判断(議決)をする事ですが、判断をするための論拠となる書類に書かれている「内容そのもの」について疑義があるとしたら、そもそも何をどうしたっていい仕事ができる訳がない。そのような中では議員はできない、、、って思っていました。

こんな中でどうして「またやろう」を覚悟したのは、とある方々の連携プレーみたいなアドバイスによってです。私にとってここから言われたら「はい」か「yes」しかないって角度から「ぐだぐだ言わずに、弱い人のために働きなさい。今回はとにかく立候補しなさい。当選するかしないかは市民の方々が決めることだから、そこはいいから」というような内容のアドバイスがあったんです。

とはいえ、次の4年間、自分はどんな方向性を持ってやっていったらいいのか? 市政や議会に課題は山積なのは十分理解しているのだけど、その処方箋を実行するのに、最適解はなんだろう?と思っていました。

もうひとつの懸念のハラスメント的なこと。私は別に誰かを蹴落とすような活動をしてきた訳でも、誰かを怒らせる事を意図して議員活動をしてきた訳ではありません。が、私が御前崎市のために良かれと思って質問をしたり提案をしてきた事が、ある方々にはおもしろくないようでした。それが政治闘争とか政策論争というものかもしれません。だだもし2期目をやる事になって、もっと踏み込んだ発言をしていった場合には、今まで以上にしんどい事が待っているのだろうと思ったら、正直怖いなって感じました。(そもそも恐怖を抱かせるような現状がおかしいんですが)

維新入りの事が全く書いてないその1でごめんなさい。その2に続きます。











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