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光と影 【Book Review 『眩』】

“北斎“は今や海外でもポピュラーだけれど、その娘のお栄(葛飾応為)については、残された作品も少なければ、生没年も判然としない。

私が彼女を知ったのは、浮世絵好きの同僚が『吉原格子先之図』のレプリカを見せてくれことがきっかけだった。
その絵のあまりの美しさに見惚れてしまい、直ぐに彼女が所蔵しているという杉浦日向子さんの『百日紅』を借りた。


『百日紅』のお栄はまだ嫁入り前で、兄弟子の魚屋北渓(初五郎)に岡惚れしている。
一方で渓斎英泉(善次郎)とは絵のことで意見を闘わせる仲だ。
善次郎は風来坊で女好き、描く絵はアンバランスでお栄は「へた善」と揶揄うのだけれど、彼の描く女性は「凄艶」と評されるほど艶やかで色気に満ちている、と親父殿(北斎)もお栄も認めている。

お栄と善次郎の本当の関係性は、史実には残っていない。
分かっているのは善次郎の生没年、連れ添った妻がいた(芸妓であったらしい)こと。
お栄の生年が判然としていないので、二人の歳の差は8〜10歳と諸説あるものの、兄と妹のような関係でもないようで、どうやら対等に絵師として渡り合っていたと思われる。
彼は著書の中で「女子栄女、画を善す、父に従いて今専ら絵師をなす、名手なり」と評しており、二十歳にもならない時分のお栄のことを、既に認めていた痕跡が残っている。

『百日紅』ではお互いに男女として意識しているような風情がチラついてはいるものの、二人の他愛もないやり取りしか描かれていない。
本当のところはどうだったのか、と漠然と考えていた折、仕事の帰り道に偶然『眩(くらら)』を見つけた。


こちらでは、『百日紅』に描かれたような兄弟子たちのエピソードなどは殆ど出てこない。
でも、杉浦日向子さんの絵柄に馴染んでいる私はお栄や親父殿、母の小兎、善次郎のキャラクターを頭に入れているものだから、活字を追う傍から、彼らが勝手に生き生きと動き出し、話し出すようだ。

”色”について話す場面が、二人の関係性を物語っていた。
二人で割り出した最適解の色は、いま手元にはない高価な黒朱色。
心当たりを思い出して、お栄が止めるのも構わず、絵の具を取りにどこかへ走る善次郎。
手に入れた思い通りの”黒”を使って描き上げられた襖絵には、漆黒に艶めく黒揚羽が飛翔していた。

色に拘って描くお栄にとって、善次郎は色について一番分かり合える同志であったのではないか。
なにかに共感することは、思慕に繋がりやすい一面を持っている、と思う。


善次郎はいつも気紛れにやってきて、何日も北斎宅に逗留することもあれば、どこかの女のところへ入り浸っていたりもする。
そんなことは先般承知だったのに、自分とも見知りであるお滝が善次郎と同棲していると分かった瞬間、無自覚に押し込めていた感情が堰を切ったように溢れたお栄。

現実味の無かった他の女性の存在が、形を持って迫って来た時に生まれた感情は、きっと嫉妬だ。
相手の過去を知りたいような、でもいざ聞いてしまったら途端に苦しくなる、それと似ているかもしれない。

善さんの優しさは毒だ。
あたしはとうとう毒を食らうのだ。

優しい毒に一度でも手をつけたら、何度も欲しくなるもの。
お栄も、“一度限り“のはずが善次郎と幾度も肌を重ねてゆく。

善次郎があたしの中にいる。
そう思うだけで、身体の中心から重く激しい波が起きてうねった。

善次郎との逢瀬のシーンは、直接的な表現ではないのに艶めかしくて、とても切ない。
好きな男が自分の中にいる時だけの特別な悦びは、誤解を恐れずに書くと、”女性作家にしかきっと書けない”と思う。
一度限りで終われなかったのは、絵を描くことを共有できる善次郎が、その相手であったから。

「たまさか気の合った男と、体もあっただけのこと」と言いながら、
「本当は(お滝から)奪ってしまいたいんじゃないのか」と、お栄は自らに問いかける。
善次郎は何も言わない。
これからどうなってゆくのかと思案しても仕方ないと敢えて目を逸らすかのように、お栄はますます絵に打ち込んでゆく。

お栄の視点のみで書かれたこの本には、善次郎側の思いは書かれていないし、行間からも読み取ることは出来ない。
絵師としてはライバルであり、最も話の合う同志でもあるお栄と、他の女と会っていることを知りながら、淡々と寄り添うお滝。
一緒にいて楽しい女と、安らぐための帰る場所。

狡くて、優しくて、憎たらしいほど人たらしの男に、なぜ女は惹かれてしまうのだろう。


大火で焼け出されたあと、善次郎はぷっつりと北斎宅に顔を見せなくなる。

「誰かと深くなれば、そのぶん遠ざかるものがある。あたしは何を失ったのだろうか。」

お栄と深い仲になったばかりに、焼け出されたあと、お滝を連れて北斎宅へ顔を出せなかった善次郎は、きちんとお滝と所帯を持った(深くなった)がために、その後はお栄と逢うこともなく、再会したのは実に十数年後のことだった。

お滝と所帯を持ったことを親父様から聞かされたお栄の気持ちを考えると、こちらも胸が痛くなる。
ひとことも本人に想いを告げることもなく、人知れず想いを断ち切らなければならないなんて。

数年後、あっけなく善次郎が逝ってしまった時、夜通し筆を取って通夜にも行かなかったお栄の、善次郎の死を認めたくなかったであろう気持ち。
親父様は二人がいっとき深い仲であったことも、お栄が独りで蓋をした想いにも、気付いていた。

「ちゃんと見送らねえと、尾を引くぞ」

その後、ほどなくして親父殿を亡くし、武家に養子に入っていた弟一家に世話になるお栄は、不自由さを嫌い、ふらりと出てゆく。
『吉原格子先之図』を遺して。

大方がフィクションとはいえ、家族の放蕩に翻弄され、仕事で行き詰まり、叶わぬ恋に悩みながらも凛として生きてゆく様は、共感出来るところが多々あった。
この秋の『吉原格子先之図』の公開も、必ず観に行きたい。

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