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人生を肯定/否定することの不思議

あるきっかけで某サイトのブログ企画に寄稿させていただいた。今に至る自分の人生を紹介し、その背後にある考えを述べた上でちょっとした提言をさせてもらった。

その記事が掲載されてから数日後、数件のコメントが寄せられていた。その中に「この人はこういう風に書くことで自分の人生を肯定したいんでしょうね」というのがあった。

えっ…

人の人生って肯定したり否定したりできるものなの?

自分の人生であっても、他人の人生でも?

とても奇妙な、不思議な考え方ではないか。

たとえば、歴史に名が残っているような過去の人物。坂本龍馬とか。その人の考え方や生き方に共感を得たり、逆に反感を持ったりすることはできるけれど。それも肯定・否定のうちに含まれるのか?

今生きている人たちが自分の人生を否定するってことはつまり自己否定の究極である自殺であり、自分の人生を肯定するというのはつまりは自慢だったり自己満足ということなのか。

生きてきた今までの時間を肯定・否定という二択で考えたことがなかったので改めて考え直してみたのだが、誰の人生であっても今現在ただそこにあるもので、たまたま独自の経過を経て今に至っているというものだという所に落ち着く。

他人が自分の人生を肯定しようが否定しようがそこにあるものは変えられない。自分自身にもそれはできないしそのつもりもない。

ましてや人の人生についてとやかくいうほど偉くもない。もっとも、いくら偉くなってもそんなことをする資格は誰にもない。

このつまらない一件でひとつ学んだのは世の中にはそういうアングルで自身と周囲を見る人もいるんだということ。

いやぁ、驚いた。

#コラム #エッセイ

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