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命名と千円札

私の名は漱々(そうそう)と申します。

愛読・尊敬している夏目漱石先生のお名前から、
一文字拝借して名付けをしました。(恐れ多いことです)

この「漱」という漢字、「すすぐ」「あらう」などの意をもっております。
潔癖症の気がある私にとって、まさに、という漢字。

ところで、夏目漱石先生との出会いは高校1年の頃。
現代文の教科書に「こころ」の一部が載っておりました。これを初めて読んだ私は雷に打たれました。作品全体に淀む静かで重い空気、抱えるということの不穏さ。
思春期で悩み多き当時の私のこころに、ぐさりと棘が刺さったようでした。
全文を読むため、すぐに図書館へ借りに行きました。それからかれこれ5,6回は繰り返し読んだのではないかと記憶しています。

私は同じ本を読むということはめったにないので、よほど愛読しているということになりますね。

高校生の頃は「それから」「門」もよく読みました。毎年夏の課題であった読書感想文も、3年間漱石先生の作品について書いたほどです。

あまりにも好きすぎて、当時は携帯電話のメールアドレスも「so-seki〜」にしてました。(当時の同級生に若干引かれていました…)

なにせ漱石先生は著作が素晴らしいのもさながらに、垂れ目と通った鼻筋で、お顔もイケメンでした。皆さんもよくご存知の、頬杖をついた斜めショットの肖像写真、あれなんかもうイケオジ感満載ですね(個人的趣向です)

漱石好きが知られていたのもあって、お世話になっていた国語の先生に、年季の入った「夏目漱石全集」を一冊、卒業記念として譲り受けたことを思い出します。

さらに思い返してみると、私が学生の頃の千円札は漱石先生でした。漱石千円札は、1984年〜2007年に発行されていたそうで、驚いたのは私が生まれた年から発行が始まったということでした。
社会人になるまで、ピン札の千円札を何枚か、長財布に大事に忍ばせていましたが、その後、電車で財布をすられたときに丸ごと紛失しました。たいへん苦い思い出です。

いまの千円札は、野口英世先生。
この方も、私には少し思い出があります。
小学1年生のときに買ってもらった偉人伝が、野口英世先生でした。繰り返し読んだので「野口英世=黄熱病」はずっと忘れませんでしたね。

こうなってくると、私と本に関する人が千円札になっているのでは?!と、なにか千円札に運命的なつながりを感じとりましたが、次なる千円札は北里柴三郎氏、まったく存じ上げておりません方でした。(失礼)
勘違いも甚だしい。

んでまず、おみょうぬづ!
(故郷の方言で「それでは、また明日」の意)




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