神様のボート 江國香織

子供のころに何度も読んでもらったおとぎばなしの影響かもしれないが、私には、自分が森のなかで道を見失い、ぐるぐるとやみくもにさまよっているという感じがある。つねに。

あたしのクレヨンはいつも黒と白ばかり減ってしまう。

風にちゃんと草や木の匂いがする。とくに帰りみちはいい。もう深夜なので、あたりに人っこひとりいない。夜空で星の凍っているその暗い道を、私は襟巻をなびかせて帰る。ときには腰を浮かせ、高校生の男の子みたいな気持ちになって、全速力でペダルを踏む。

でも桃井先生に言わせると、ある場所で浮かないこととある場所に馴染むことは全然別であるらしい。
ーー きみは馴染まないね。
先生によくそう言われた。浮かないけれど、馴染みもしない。それは悪いことではないけど、ときとしてまわりの人間を孤独にするそうだ。

ここが知らない町ならいいのに。
私はいつもそう思った。ここが知らない町で、この町のどこかに、私たちの帰る家があるのならいいのに、と。
そんな私たちを、桃井先生は最低の酔っ払いと呼んでいた。恥知らずで無知で不幸な、最低の酔っ払いだと。

春は嫌いだけれど春風は悪くない。私はすこし遠まわりをして、線路ぞいの砂利道を歩く。散歩のいいところは、すぐに孤独になれるところだ。

春の海。どんどんブルーグレイに暮れていく空は、雲だけがいつまでも白い。

「それで、いつもまっすぐに物事を考えるひとよ」
「まっすぐに?」
そう、まっすぐに、と、ママは言った。それがすごく特別な言葉であるかのように、ゆっくりと、大切そうに発音した。

運動会のなかで、あたしはお弁当の時間がやっぱりいちばん好きだ。外の空気の匂いに、みんなのおむすびの海苔の匂いのまざるところが特別で好き。

パパのことを話すとき、ママはとてもやさしい顔になる。話し方がいつもよりゆっくりになり、一つずつ注意深く言葉を選ぶ。海岸でガラスを拾うときのように。

うっかりしてこの町になじんでしまうのがこわかった。それがどんな場所であれ、なじんでしまったらもうあのひとには会えない気がするから。

私はあのひとのいない場所になじむわけにはいかないのだ。そこは私のいる場所ではないから

ここは日ざしの美しい町だ。複雑な感じのしない町。

そして、わかっていたことだが、そこでギターの弦をはっているのがあのひとではないのをみて、失望というよりほとんど安堵した。

「夕方の匂い」
不思議なことに、夏の夕方の匂いはどの町でもおんなじだ。

「きょうはやめとく」
池の表面には夕方の日があたっている。沼田くんについてあたしが気に入っていることの一つは、こういうときに理由を尋ねたりしないことだ。

電気も半分消してしまうし、さっきまでいた人々の、気配や匂いが残っていて淋しい。私は食器を洗い、ゴミ袋の口をしばっておもてにだす。

空堀の、枯れた芝生に腰をおろす。青い空。あおむけに倒れて、木の枝ごしに雲を眺めた。横を向くと、ほっぺに枯れてのびた芝があたってちくちくする。

うっとりした声で、でも実にきっぱりと。あたしはときどき思うのだけれど、ママはイカレている。パパに関して、あのひとは完全にイカレている。

一度出会ったら、人は人をうしなわない。
たとえばあのひとと一緒にいることはできなくても、あのひとがここにいたらと想像することはできる。あのひとがいたら何と言うか、あのひとがいたらどうするか。それだけで私はずいぶんたすけられてきた。それだけで私は勇気がわいて、ひとりでそれをすることができた。

夏のみかんは小さくて皮がうすく、いたいたしいくらい甘い。

夏の終わりの夜は闇が濃く、虫の声がして、夕方降った雨のせいで、土の匂いがたちこめていた。

互いに相手に気を使いながら遊んだ。私にとって、自分が花火をすることよりも、先生がたのしんでくれることの方がずっと大切だったし、先生もまた、おなじように私をたのしませたいとーー切にーー思ってくれていた。

記憶に残ってしまう匂いね、花火のけむりは。

もっとも、そんな言い方をするとママはおこる。私は誰に奪われたことも、誰を奪ったこともないわ、と言う。

十月になると、空は確実に一段高くなり、ぐんと青さと透明感を増す。

ーー仕方ないね、親の都合だから。
とぽつんと言った。大人みたいなずぼんをはいて。
他の子たちみたいにまた会おうとか手紙を書くとかそういうことは言わなかった。あたしも沼田くんも、もう二度と会うことがないと知っていた。

でもあたしは気にしない。人の言うことを気にするなんて下らない、ということを、あたしはママに教わったから。

私はこたえ、にっこりしてみせた。にっこりするのが大切だと知っていた。もうすっかり心の決まったことだというしるし。

夏休み。あたしはママの仕事がおわるのを待って、スクーターにニ人乗りして帰る。海ぞいの道を走るのは気持ちが良い。ママの背中にしがみついて、潮の匂いがする。ヘルメットが邪魔で、ママの言う「満天の星」はよく見えないけれど
ときどき寄り道をして、夜の海岸を散歩する。波の音、対岸のあかり、打ち上げられた赤むらさきの海藻。夜の海を歩くとき、ママはきまってはだしになりたがる。
ーー危ないよ。
あたしが言うと、困ったように肩をすくめる。
ーー知ってるわ。あなたのパパにもそう言われた。
今度はあたしが首をすくめる。でもママは目がいいせいか、はだしで歩いてもいまのところ、とがったものを踏んで怪我をしたりしたことはない。

しずかな夜。冷蔵庫のうなる音がきこえる。

あたしはわかったと答えた。でもあたしはきっと家出はしない。自分でそれを知っている。あたしが「わかった」とこたえたことでママは安心したようだった。
十月。空気が澄んで、空が青くなる月。

ママにとって、パパの夢はいつだっていい夢なのだ。どんなのでも。

ひんやりとした空気。
これはあのひとのいない世界ではない。
歩きながら、私は考える。
あのひとと出会ったあとの世界だ。だから大丈夫。何もかも大丈夫。

いつかあのひとに再会し、草子のことを告げたら、あのひとは何て言うだろう。
一月の風は穏やかに乾いて、平和な住宅地の匂いだ。
草子の通う中学校は、この神社のすぐそばにある。

ーーパパの約束はね、それが口にだされた瞬間に、もうかなえられているの。

この街の春は、水の匂いがする。

「だって、せっかくここに慣れたから」
と、訊かれもしないのに理由を言った。

ママの顔をみることができなかった。
わかったわ、と言われることが、こんなに淋しいとは思わなかった。

夏は特別な季節だ。
細胞の一つ一つが抱えている記憶。その一つ一つがふいに立ち上がり、風に揺れる草みたいに不穏に波立ってしまう季節。

言葉は危険なのだとママは言う。言葉で心に触れられたと感じたら、心の、それまで誰にも触れられたことのない場所に触られたと感じてしまったら、それはもう「アウト」なのだそうだ。あたしにはよくわからない。ただ、先生の言葉はとてもわかりやすくあたしの心に届くと思う。すごくいい声だし。あたしの美術の成績は、今学期も5だった。もちろん。

「この絵の女の子、ちょっと野島に似てるね」
それは、白い大きなテーブルの絵だった。奥に女の子がすわっている。あたしはすっかり嬉しくなってしまった。

ーーごめんなさい。
小さな声で、苦しそうに草子は言った。
なにをあやまるの?
草子は泣きじゃくっていた。泣きじゃくって、泣きやもうと洟をかみ、また泣きじゃくった。そうしてそれから湿った声で、
ーーママの世界にずっと住んでいられなくて。
と、言ったのだった。
風がつよい。
どんよりと凪いだ海に、表面だけ風が渡ってさざ波をたてている。
泣いてはいけないと思った。泣いてはいけない。泣いたら受け容れることになってしまう。草子のいう「現実」とやらを。ほんとうは違うのに。ほんとうはそうではないのに。
でも、どうしていいのかわからなかった。それで私はひたすら歩きまわっている。狂女みたいに。「現実」から見放された狂女みたいに。

海は鈍い色をして、重たげに波を伝えている。人けのない、冬の海。このごろ、散歩がただの日課になってしまっている。歩いていても、ちっともたのしくないし、なんだか希望がないような気がする。向こうからあのひとが歩いてくるかもしれない、と感じるのはあいかわらずなのに。

まだあかるいが、夕暮れの空気はかすかにスミレ色がかり、深呼吸すると心細い気持ちになった。
ここからでていきたい。
そう思った。この店から。この街から。ここは私の居場所ではない。
この街に来て、二年になる。

「狂ってるわ」
あたしはあきれてて言い、いつものように、言った途端に絶望的にかなしくなる。ママにやさしくしたくてたまらなくなって
「そこはママの、居場所かもしれない」
と、言い直した。
「でもあたしのじゃないよ」

はじめからわかっていた。どっちみちかなしいのだ。
『ハル』で夕食を食べたあと、うちに帰ろうとしたあたしに、
「どうしても寮に入るっていうんならそれでもいいでしょう、きっと」
と、ママが言った。ごく普通の顔で。

あのひとと必ず会えるなんて、一体どうして信じていられたのだろう。草子がいなくなってしまったいま、あのひとの存在さえ、私の想像の産物だったような気がする。あの目も、あの声も、あの腕も、草子がいなくなってしまったいま、あのひとがかつて確かにこの世に存在し、私を愛してくれたということを、示す証拠は何一つない。

「あたし、帰ろうか?」

十六年? まさか。
私は目をとじて街の匂いを吸い込んだ。なにもかも夢だったような気がした。逗子も高萩も川越も、草加も今市もなにもかも。それどころか草子の存在さえ。
ふらふらと灰皿のある場所まで歩き、煙草に火をつけた。広告文字の入った鏡に現実が映っていた。何もかも捨てて旅にでたとき、私は二十代の娘だったのだ。