拝啓 あみ様(作詞のおすすめ)8

【これはシンガーソングライターの卵である「あみ」さんに、作詞のアドバイスをしたものです。ちなみに、私は別にプロの作詞家ではありません。】

さてさてさて、今度こそ「JPOPの歴史」は終わりにして、本題に戻りましょう!
って、本題? 何だっけ? 歌詞の書き方? 歌詞を書くテクニック? まあ、そんな感じ。
それで、今回はね、「直接話法」と「間接話法」の話。ほらほら、何だかテクニカルマニュアルっぽいでしょ?
で、「直接話法」というのは、要するにストレートなメッセージ。私はこんなことを言いたい! こんなことを思ってる! というのをそのまま書いちゃうやり方。
それに対して「間接話法」ってのは、要するに直接じゃないメッセージ表現。うーん、「間接話法」って何か違うよな? 「示唆表現」? 「暗示表現」? まあ、その代表は、これまで散々書いてきたメタファーであったり、ドラマ化して書いちゃうってやり方で、私はこっちの方が好みだ、っていうのも散々書いたよね?

ちょっと復習すると、何回か前に紹介したブルーハーツの「青空」。

生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかると言うのだろう?

これが「直接話法」。
まあ、何だろ? 「見かけや肩書きや出自や属性や性別や年齢なんて意味ねぇぜ!」「オレを中身で見ろよ!裸のオレを見ろよ! 見せかけの姿でオレをわかったつもりになってんじゃねぇよ!」みたいな感じかな? こういう思いって、多くの若い人が持ってるよね? 特に、大人に不信感を持ってる人はそう。歌の冒頭にインディアンの話があるので、「差別はやめろ!」みたいなメッセージも含まれてはいるんだろうけど、それはここではメインではないかな?
次に、

運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか?行き先ならどこでもいい

というのが「間接話法」ね。
これは、脱出願望だよね。「とりあえずここから立ち去りたいんだ。どこでもいいから、ここじゃないどこかへ。」という感じ。「ここ」ってどこだろう? それは、自分のウチかもしれないし、学校とか職場かもしれないし、「現在」かもしれないし、「閉塞状況」みたいなものかもしれない。
とにかく、自分を取り巻く一切合切のしがらみを捨て去りたい、今の自分を脱ぎ捨てたい。だから、行きずりのバスに飛び乗って、どこかに行くんだ。知らない土地、まだ見ぬ世界に。「ここ」でさえなけりゃ、どこだっていいよ。
こういう感覚は、あなたの歌のテーマに似てるんじゃないですか? 参考にしてみて下さい。

ということで、何度も言ってるように、私はこの「間接話法」が好きなんだけど、でも、これにも弱点があります。
それは、「間接話法」は、自分の思いのディティールやニュアンスを伝えるのには優れているんだけど、こればっかり使うと、何を言いたいのか? メッセージの輪郭がぼやけてしまうんです。「何となく雰囲気はわかるんだけど、よくわかんない」という感じになってしまう。
だから、「直接話法」と「間接話法」の両方を使って、そのミックスバランスをうまく調整することが大事なんです。
その辺のことを、あいみょんの歌詞で考えて見ましょう。
まず「マリー・ゴールド」。

風の強さがちょっと 心を揺さぶりすぎて
真面目に見つめた 君が恋しい
でんぐり返しの日々 可哀想なふりをして
だらけてみたけど 希望の光は
目の前でずっと輝いている 幸せだ

麦わらの帽子の君が 揺れたマリーゴールドに似てる
あれは空がまだ青い夏のこと 懐かしいと笑えたあの日の恋
「もう離れないで」と 泣きそうな目で見つめる君を
雲のような優しさでそっとぎゅっと 抱きしめて抱きしめて 離さない

本当の気持ち全部 吐き出せるほど強くはない
でも不思議なくらいに 絶望は見えない

この詞は、「間接話法」をメインに使っています。前半はずっと「間接話法」です。メタファーを多用していますが、「風の強さがちょっと心を揺さぶりすぎて」「あれは空がまだ青い夏のこと 懐かしいと笑えたあの日の恋」なんかは上手い表現だと思います。
それで、「希望の光は目の前でずっと輝いている 幸せだ」「そっとぎゅっと抱きしめて離さない」「本当の気持ち全部吐き出せるほど強くはない」「でも不思議なくらいに絶望は見えない」が「直接話法」です。
全体的に見ると、ちょっと「間接話法」が多すぎるかな? 2人の「ありふれていない恋」のカタチを伝えたいという思いはわかるんだけど、単純に「アイラブユー」だけじゃないモヤモヤした感じもわかるんだけど、ちょっとモヤモヤしすぎていて、あるいは、いろんな思いが詰め込まれすぎていて、ちょっと散漫でバラバラで「雲のような」感じです。「いつまでもいつまでも離さない」と言ってるけど、ほんとにそうなのかな? あちこちに「不安」や「弱さ」が散りばめられていて、それほど愛を確信してるようにも思えない。「懐かしいと笑えたあの日の恋」って、もう終わった恋なんじゃないの? かといって、そういう「恋の終わり」の不安を描いた歌でもなさそうだし‥‥。そこのところがよくわかんない。
まあ「直接話法」と「間接話法」のバランスの問題というより、メッセージの「統一感」のなさが問題なのかもしれませんね。やっぱりちょっと詰め込みすぎの感は否めません。
次に、もう一つ。「生きていたんだよな」。

二日前このへんで 飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた
血まみれセーラー 濡れ衣センコー たちまちここらはネットの餌食
「危ないですから離れてください」そのセリフが集合の合図なのにな
馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった
冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない
赤さが綺麗で綺麗で

泣いてしまったんだ 泣いてしまったんだ 何にも知らないブラウン管の外側で

生きて生きて生きて生きて生きて 生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラは他の誰でもなく 自分に叫んだんだろう

彼女が最後に流した涙 生きた証の赤い血は
何も知らない大人たちに2秒で拭き取られてしまう
立ち入り禁止の黄色いテープ
「ドラマでしかみたことなーい」そんな言葉が飛び交う中で
いま彼女はいったい何を思っているんだろう
遠くで 遠くで 泣きたくなったんだ 泣きたくなったんだ
長いはずの一日がもう暮れる

生きて生きて生きて生きて生きて 生きて生きて生きていたんだよな
新しい何かが始まる時 消えたくなっちゃうのかな

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて綺麗事だな。
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで 風になって 遥遠くへ 希望を抱いて飛んだ

生きて生きて生きて生きて生きて 生きて生きて生きていたんだよな
新しい何かが始まる時 消えたくなっちゃうのかな

生きて生きて生きて生きて生きて 生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラ他の誰でもなく 自分に叫んだんだろう

この歌は「直接話法」だらけです。メッセージがくっきりはっきりしていて、よくわかる。
それでいて「青年の主張」みたいな「臭さ」もないし、押しつけがましさもない。
その理由は、ストレートなメッセージの中に、あちこちに盛り込まれているメタファーの効果です。
そもそも「生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きて生きていたんだよな」は「ど」ストレートなメッセージなんだけど、でも「だからどうした?」という説明はない。そこに意味とか教訓は語られていない。とりあえず「生きていたんだよな」という事実の提示、確認だけで、そこから先は「あんたが考えるんだよ!」みたいになってる。その辺の構造的な上手さを感じます。
そういえば、肝心なところは疑問形なんですよね。「いま彼女はいったい何を思っているんだろう」「消えたくなっちゃうのかな」とか。それが押しつけがましさを防いでいます。
それに、やっぱりメタファーが効いている。「赤さが綺麗で綺麗で」「何にも知らないブラウン管の外側で」「何も知らない大人たちに2秒で拭き取られてしまう」「長いはずの一日がもう暮れる」なんかはとっても上手い表現。
この歌は「マリーゴールド」とは対象的に、メッセージがストレートで統一感があって、すっきりとしているから伝わる。言葉が、思いが届くんです。「直接話法」と「間接話法」のバランスが上手く取れた作品と言えるんじゃないでしょうか?
だから、単純に2つの「話法」の量的なバランスじゃないんですよね。その辺は言葉ではうまく説明できなくて、難しいんだけど、その辺の技術は、いろいろ書いて、試して、経験的に獲得して行くしかないんでしょうねぇ。
とりあえず、メッセージや思いを「整理のつかないままに盛り込みすぎない」ということ。「何か自分でもよくわかんないんだけど、わかってよ! わかるでしょ?」は甘えです。表現者としては、そこのところは責任を持ってもらわなくちゃ。これは大事なことだと思いますよ。

ということで、この辺で。

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