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神宮外苑の再開発への反対運動について

前にも書いたけど、明治神宮以外、全国の杜は既に無差別に切り倒されてるんだよねぇ。
東京の杜だけ特別なのかなあ?

神宮外苑の木が切り倒されてもいいとは思わないけど、東京人の特権意識を強く強く感じます。

村の鎮守の杜の乱開発を、東京人は誰1人助けてくれなかったでしょ? 「田舎には何にもない」とか、むしろ馬鹿にしてなかった? 虫が良すぎない?


だからね、東京の地元の人が神宮外苑の杜を大事にしたいのはわかるんですよ。

でもね、それを「国家の一大事」みたいに騒ぐのはやめてほしい。

テレビでも、山手線が止まったニュースを延々と全国ニュースで流してるのと似たような感じ。「東京の一大事=日本の一大事」じゃないですから。その辺、全く気づいてない東京人が多すぎます。

その辺の中華思想を抜本的に自己批判してもらわないと、共感は得られないと思うんですよ。

さすがに、最近は、「自由が丘のグルメ情報とかばっかり流されてもなあ」って声は増えつつあります。


こういう問題があっちこっちにあって、それで問題意識とかが、東京-地方、都市-田舎の分断になってる面があることに気づいてない人が多い。

例えば、次に選挙があったら、麻生とか二階とかは当選して、そしたら「だから田舎はダメなんだ」と言うでしょう。私も言いますよ。でも、それだけじゃ何の解決にもならない。

昔々、自民党保守本流が元気だった頃、やたらと道路とか鉄道とか作るのを都市部の人間は「自然破壊だ」と非難しました。でもね、舞鶴に住んで、高速道路ができるできないは死活問題なんだってわかりました。京都まで3時間かかるのと、1時間半なのとでは、ほんとに大げさでなく世界が変わるんですよ。

当たり前のことですが、田舎にはそこに人が住んで、もしかしたら一生そこで生活するんです。都会の人が夏休みに「自然に触れてリフレッシュする場所」じゃないんです。

だからと言って、全国を乱開発して、ミニ東京だらけにすればいいって、それは田舎の人も思ってないし、その辺に葛藤やジレンマがあるんです。

その辺の思いに、東京、あるいは都会の人間はどれだけ寄り添えているのか? 「だから田舎は」って切り捨ててませんか?

私自身の自戒も込めて、そう思います。


能登の復興の問題についても、マスコミは敢えて触れませんが、「戸数数軒の限界集落のために、何億円もかけて道路や水道を治すのか?」という問題に、現地では直面してます。同じ問題は、東北にもあるでしょう。

なかなか難しい問題なのですが、そこを考えないといけない段階になってます。

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