拝啓 あみ様(作詞のおすすめ)4

【これはシンガーソングライターの卵である「あみ」さんに、作詞のアドバイスをしたものです。ちなみに、私は別にプロの作詞家ではありません。】

荒井由実(松任谷由実の結婚前の名前)について書くと言ってましたが、彼女を書くためには、その前に「はっぴいえんど」に触れておかなくてはなりません。
1970代の初め頃、人気を高めつつあったフォークソングの対極に、恐ろしくマイナーだった日本のロック界(今のインディーズよりもはるかにマイナー。ほとんど秘密結社状態)で、「日本語ロック論争」というのが細々と、しかし熱く行われておりました。「日本語なんかでロックができるわけねぇ!」と言う内田裕也(こないだ死んじゃった白髪の「ロッケンロール!」のおじいさんね)と、当時としては珍しく日本語でロックをやり始めていた「はっぴいえんど」というバンドとの、つまんないケンカで、今の人が聞いたら「はあ? 何言ってるの?」としか思えないでしょう?
この「はっぴいえんど」というのは、東京出身で慶応とか出たイイトコのお子様たちの集まりで、その辺も内田裕也は鼻持ちならなくて気に入らなかったのだと思うんだけど、とにかくね、今じゃ信じられないけど、当時は、日本人のバンドが英語の歌詞のオリジナル曲を作ってたりしてたわけです。
で、その「はっぴいえんど」側の代表は、細野晴臣(YMOの人。星野源の憧れの人。知ってるかな?)だったんだけど、実は、バンドの歌詞を担当していたのは松本隆というドラムの人でした。
この松本隆は、後に超売れっ子の作詞家になって、全盛期の松田聖子の歌詞をほとんど書いてたりするんだけど、この頃はほとんど無名でした。それで、当時は「日本語でロックをやってみせる!」って気合いが入ってて、結構実験的な試みがあったりしておもしろいんです。

街のはずれの 背のびした路地を 散歩してたらシミだらけのモヤごしに
起きぬけの露面電車が 海を渡るのが 見えたんです
それで ぼくも 風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
青空を翔けたいんです 青空を

                  はっぴいえんど「風をあつめて」

「はっぴいえんど」と言えば、この「風をあつめて」です。CMで流れたりしてたから聞いたことがあるかもしれません。歌詞を見たら、ロックというより、なんかフォークっぽい感じなんだけど、でも、フォークによくあるような泥臭さというか必死さがなくて、すごく余裕があって「知的」で「都会的」で「オシャレ」なんですよね。まあ、やっぱり育ちの良さがにじみ出てます。この「都会的」「オシャレ」がユーミンにつながっていくわけです。
まあねぇ、アルバムのタイトルからして、貧乏くさいフォークとは違うんです。
「狂い咲き」「俺らいちぬけた」(岡林信康) 「人間なんて」「元気です」(吉田拓郎)
「もどり道」「断絶」(井上陽水)
これに対して、はっぴいえんどは「風街ろまん」ですよ。もうおっしゃれー!!!
「はっぴいえんど」はサウンド的には洋楽(アメリカ西海岸のロック)の影響が強いですが、歌詞は、意外と日本的。宮澤賢治の影響があると言われています。
でも、単にオシャレだけではなくて、さっき言ったように実験的な作品もあります。

ぼくははいから 血まみれの空を もてあそぶきみと こかこおらを飲んでる
きみははいから 裳裾(もすそ)をからげ にぎやかな都市を飾る 女郎花(おみなえし)
ぼくは ぼくは はいからはくち

ぼくははいから 血を吐きながら きみののおにただ夕まぐれ
きみははいから 唐紅(からくれない)の ミカン色した ひっぴいみたい
ぼくは ぼくは はいからはくち

                  はっぴいえんど「はいからはくち」

これ、無茶苦茶かっこいいから一度聞いて下さい。

さて、遅くなりましたが、荒井由実です。この人は、すごく雑に説明すると、さっきのはっぴいえんどにプロデュースされるような形で世に出て来た人です。
荒井由実は一言で言うと天才です。この人が日本の音楽を変えました。余りにも卓越した存在で、それまでのフォークだのロックだのに分類できないので、彼女のためにニュー・ミュージックという言葉が生まれました。
この人は、メロディも歌詞も、両方すごいんです。後に松任谷由実になってからも、もちろん偉大な人ですが、音楽界へのインパクトという点では、荒井由実と松任谷由実は分けて考えたい。それくらい初期の3枚のアルバムは衝撃的でした。ヘビメタ、パンク以外のミュージシャンで彼女の影響を受けなかった人はいません。その意味では日本のビートルズと言ってもいいでしょう。
さて、その歌詞なのですが、さっきのはっぴいえんどと同じく、「都会的」で「おしゃれ」なのですが、それと同時に優れて文学的です。詩的と言った方がいいかもしれません。歌詞だから詩的なのは当たり前なんですが、でも、そうとしか呼べないような、壊れやすい繊細な透明感に満ちあふれています。その点が、同じ文学的といっても井上陽水とは印象が大きく異なっています。
どの曲を取り上げてもいいんですが、たとえば有名な「ひこうき雲」。

白い坂道が空まで続いていた ゆらゆらかげろうがあの子を包む
誰も気づかずただ1人 あの子は昇って行く 何も恐れない そして舞い上がる
空にあこがれて 空を駆けて行く あの子の命はひこうき雲

こんな美しい死の歌、自殺の歌があったでしょうか?
十代の繊細な若者は、時として死に魅惑されます。それは昔からです。しかし、そのセンシティブな感覚をしっくりとすくい上げた歌はなかったと思います。
「あの子は昇って行く」「そして舞い上がる」
たぶん飛び降り自殺です。でも、彼女は迷いなく「昇って行く」「舞い上がる」という言葉を使っています。それは天国への階段なのか? 昇天のイメージなのか? たぶん考えたんじゃなくて、自然に選び取ったのでしょう。初期のユーミンの言葉選びには、そういった神がかり的なものがあって、すごいとしか言えません。
「あの子の命はひこうき雲」‥‥なんでこんな言葉が出て来るんだろ? たぶん松任谷由実さんに聞いてもわからないと思います。

雨音に気づいて遅く起きた朝は まだベッドの中で半分眠りたい
ストーブをつけたらくもったガラス窓 手のひらでこするとぼんやり冬景色
今にもあなたが白い息をはき 通りを渡ってこの部屋に来る気がして
時はいつの日にも親切な友達 過ぎて行く昨日を物語に変える

                      荒井由実「12月の雨」

日本でこんなカジュアルでカラッとした失恋ソングが現れたのは初めてだったんじゃないでしょうか? 言ってみれば、演歌のドロドロの「捨てられた女の恨み節」になってもおかしくない状況です。この曲を聴いて、「ああ、日本人は変わったんだ」(正確には「変わるんだ」でしょうが)と思った人は多かったはずです。この歌で言ってることは、いわゆる「日にち薬」の話なのですが、「過ぎて行く昨日を物語に変える」となると、同じことを言っているのだとはとても思えません。
でも、決して悲しみが軽いわけじゃない。「つらい つらいわ 慰めなんか」(クールファイブ「噂の女」)と絶叫されるより、私は、心の痛みをチクリと自分の胸に感じます。
初期のユーミンには雨の良い歌が多いですね。水の透明感のせいでしょうか。

ベルベット・イースター 小雨の朝 光るしずく 窓にいっぱい
ベルベット・イースター 迎えに来て まだ眠いけどドアをたたいて
空がとっても低い 天使が降りて来そうなほど
一番好きな季節 いつもと違う日曜日なの

                  荒井由実「ベルベットイースター」

もう、これは完全に「ある年代の少女にしか描けない世界」であって、おじさんには何も言えません。
「空がとっても低い 天使が降りて来そうなほど」すごいなあ。
この歌はデートに出かける朝の女の子の歌なのですが、それなのにずっと切ないマイナーメロディーなのも何だかすごいです。

と書いてくると「ちょっとほめすぎじゃない?」と言われそうですが、実はね、この荒井由実の3枚のアルバムは、私の高校時代にほぼ重なっていて、拓郎派フォーク少年からハードロック少年になりつつあった私は「何だよ?この軟弱な曲は!」と反発さえしていたのですが、やっぱり田舎者のかなしさか、このオシャレな不思議世界の魅力を完全無視することはできなかったのです。

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